第154話 兄

 兄が馬の腹を軽く蹴り、ゆっくりと私の塔の真下にやってきた。

「……集音」


 静かに唱えると、兄の息遣いすら聞き取れるようになった。全く乱れていない。


「クロエ、遅くなってすまない」

 私は首を横に振りながら、そんな仕草、兄からは見えないと気がついた。きちんと声にする。


「いいえ……いいえ」


「クロエ、帰ろう。まずはエメルを外に出せ」

「え?」


 ここは王家のテリトリーで、敵兵は次々と補充される。今は普通の警備兵しかいないけれど、やがて昨日のヒゲ男やジャックレベルの強者も集結する。


「お兄様、それはあまりに無謀……」


 そう言いかけた矢先、我が軍勢にごうごうと燃えた火球が十数個襲いかかってきた。魔力の出元を探すと隊列を組んだ、華やかな軍服を着た騎士の一団とジャックの着ていたローブ姿の人間たち、そして絢爛豪華な馬車が王宮方向からこちらにやってきている。


「クロエ、聞いているのか?」


 しかし、兄は動じない。私が迫り来る火球にソワソワしていると、ニーチェが右手をさっと上空に向けて払うフォームをした。


 途端に我が軍を覆う水の結界が可視化された。結界から水が蛇のように立ち昇り、次々と火球を飲み込んでいく。ほんの数秒で、心配が消え去った。


 ニーチェも……〈水魔法〉MAXになったのだ。

 おそらく、兄の連れてきたこの兵たちは、全員MAXかそれに準ずるレベル……正直、この我が手勢に負けなどない。

 私たちに弱点さえなければ。


 その弱点である、私とエメル。


 私がモタモタしているうちに、敵の援軍が到着した。

 ジャックやヒゲ男と思われる黒尽くめ集団に守られて、馬車から降りてきたのは、やはりエリザベス殿下と……国王だった。


「ジュード・ローゼンバルク、あなた、思ったよりもバカだったようね。まさか私の命令に反くとは思わなかったわ。ドラゴンと妹がどうなってもいいわけね?」


 早朝にもかかわらず、王女の出立ちは完璧だ。そして今日は、陛下も国王のマントを纏っている。


「妹を誘拐し、神であるドラゴンを禁断の魔道具で使役しようとする、人とも思えぬバケモノに、なぜ我々が服従せねばならない?」


「なっ……」

 王女が頰を引き攣らせた。


 兄が下馬することもなく、国王に向けて尋ねる。


「陛下、改めてお聞きいたします。陛下はこの王女のローゼンバルクへの常軌を逸した行いを、承認されていらっしゃるのですか? 是か非かお教え願います」


 陛下は右眉をピクリと上げ、声を張った。

「是。……ドラゴンは古来より王家のもの。元の形の戻すだけのこと。ジュード、控えよ」


 兄がアイスブルーに瞳をすがめた。

「自らの力を保持し続けるためならば、家臣だけでなく神をも傷つけることも厭わぬとは……もはやリールド王家は尊敬に値わず。ただ今を持って、我々ローゼンバルクはリールド王国を離れます。もはや王家との主従関係はない。あなた方はローゼンバルク一族の最愛の姫を誘拐し暴行を加えた……敵だ」


 唐突に、デニスの後ろから数えきれない真っ白な鳥が、青空に向けて一斉に羽ばたいた。紙鳥だ!

 ダイアナも……来ているのだ。あのひどい怪我をおして。


「な、何、この鳥は!」

 王女がキョロキョロと周囲を見回す。


「今の、王家と我々ローゼンバルクとの決別のやりとりを、辺境伯のサイン入りで国内の領主及び国外の君主全てに送りました。信じるも信じないも受け取り手次第ですが、見るものが見れば、高レベルの〈紙魔法〉師が真実であると、その命を賭けて誓約していることがわかるでしょう」

 ホークが、国王を冷え切った目で見据えながら、そう教えた。


 ざわざわざわと、ローゼンバルク以外の人間の間に、動揺が広がっていく。

 ローゼンバルクのリールド王国との決別。それは建国以来300年、身を挺して国の北西部で他国と魔獣から自分たちを守ってくれていた存在がいなくなったということだ。


 今この時、リールド王国は、武力的に裸に近い状態になった。


「……エリザベス。どういうことだ。お前は自信たっぷりに、ローゼンバルクに忠誠を誓わせられると言ったはずだが?」


 王が王女を睨みつけた。


「陛下、事態は何一つ変わっておりません。なんといってもドラゴンに〈調伏の首輪〉はついたままなのです。彼らではなく、あの素晴らしい最強兵器は私の命令を聞くのです! ご案じめされますな! 皆、ここにいるローゼンバルクの者たちは謀反人です! 討伐なさい!」


 王女の命令に、王家の援軍が一気に動き出した。先ほどまでのこの塔の警備兵と違い、今度はレベルの高い魔法師も複数いるようで、うちの兵士たちも隊列を解いた。

 ホークが指示を出し、相性の良い相手から順に、容赦なく倒していく。ニーチェは例のヒゲ男の竜巻を滝のような水で飲み込み倍返ししている。


 ミラーが馬でこちらにやってきて、兄の背中についた。

 全ての動きが、計画通りで、全く隙はない。危なげのない戦いだ。


 しかし、それでも王女の言うとおりだ。エメルが王女の手に渡れば、戦況は一瞬で変わる。


「クロエ、急げ。この程度の兵、どうってことないが、次から次に援軍の相手をしていればさすがに疲れる。デニス!」


 戦闘中のデニスが私に向かって人差し指を突き出し、魔力を放った! 驚いているうちに、目の前の換気口に取り付けられていた鉄格子が溶けた。結界をものともしない、強力な〈鉄魔法〉だ。


「エメルを俺に向けて投げろ。エメルならばその穴を通るだろう?」

「でも! エメルは魔道具をはめられてて、出せば利用されてしまいます!」


「クロエ」

 兄が忍耐強く、私に言いふくめる。


「俺がかつて、クロエとエメルを受けとめ損ねたことがあったか?」


「っ!」


 そんなの……ない。

 初めて町で買い物に連れて行ってくれた日から、ずっと、どんな荒んだ私であってもまるで宝物のように抱きしめて、慈しんでくれた。


「クロエ、必ず助ける。エメルもクロエも。俺を信じろ」


 兄が信じろと言う。


 ……最愛の人を信じずに、誰を信じろと言うのだ。


「……マジックルーム」


 右肩の上に虚空を開き、私の草でぐるぐる巻きのエメルのハコを両手で取り出す。

 それをそっと抱き締めると、草が地面に落ち、グリーンのハコがキラキラと霧散して、かわいいエメルだけが残った。


「聞いてた?」

『うん。行こう』


「エメル……」


 昨夜よりもますます弱って見えるエメルをぎゅっと抱き締める。目につくところ全てにキスを落とす。


「大好き、大好きよ。たとえ、エメルがどんな状態になっても、私は大好きだよ! エメル……私の大事な大事な子……どんなエメルでも、私はそばにいるから!」


 エメルもペロリと私の涙を舐めとり、笑った。


『心配しないでいいって……オレもオレの〈魔親〉である二人を、誰よりも……信じてる』


 私たちは最後にぎゅっと抱きしめてあって、脱力しきったエメルを抱え上げ、換気口に乗せた。


「お兄さまっ!! お願い!!」


「来い! エメル!」

 兄が手綱を放し、両手を広げた。


 私は腕を精一杯伸ばして、兄に向かってエメルを落とした。

 エメルは朝日を受けて、キラキラと幻想的に輝きながら、落下した。


 しかし、兄の腕に届く寸前で、ニーチェと交戦中のヒゲ男に気づかれた!


「クソがっ! やっぱり隠してやがったか。それも小さくなんぞして! エリザベス殿下! やはりドラゴンはここにおりました! おい! 大きくなりやがれ!」


 そのヒゲ男の命令は、無情にもエメルの耳に入った。

 エメルの目から、光が消える。体は輪郭がぼやけ、ゆっくりと巨大化していく。


「エメルーーーー!! 耐えてーーーー!!」


「カラム! でかしたわ! ドラゴンよ。身の程を弁えず我らに歯向かう、かつてのお前の主たちを、殲滅なさい! あーおかしい。私に逆らうものなどドラゴンに踏み潰されて死ぬがいい!!」


 王女が耳障りな声で、高らかに笑った。


 エメルが! 兄が! 皆が!


「いやあああああ!!」


 私の胸が恐怖で引き裂かれた!



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