第155話 必然

 その時、なぜか急に世界が暗くなった。巨大な影に、覆われた。

 一瞬皆、訳がわからず、思考も動作も停止した。空に顔を上げた瞬間、





「『……解呪』」






 上空から、凛とした澄み切った声が響いた。


 その声が下界に伝わると同時に空気が波状に震え、肌に刺さる衝撃とともに、地上が真っ白に光った。あまりの眩さに、皆目をぎゅっと閉じる!


 数秒経ったが、何も起こる様子はない。恐る恐る目を開けると、光が少しずつ収束しつつある。私は鉄格子の外れた狭い換気口から身を乗り出して上空を見上げた。


 そこには、真っ白な大きな翼を広げ、急降下してきている……神がいた。

 背の黒い点は……人?


「あねうえーーーー!!」


「っ!」


 思いがけない声に、思わず右手で口を覆う。

 一度目の人生の時から心のどこかで熱望していた、私を求める家族の声。


 近づいてきたその巨体は……翼に薄緑の渦模様の入った、全身から光が溢れる世にも美しい、


「……ホワイトドラゴン……」


 ……心当たりが一つだけ。


 そんな、こんな早く? まさか? でも、それしか考えられない。

 ああ……無事……あの子は……孵化したのだ。


 そして、その背には、私に向かって泣きながら手を伸ばすアーシェルと……神々しい特級神官の衣装に身を包み、優雅に佇むリド様がいた。


「間に合った……姉上、ああっ! あの美しい御髪が! くそう……」

 アーシェルの瞳から、はらはらと涙が落ちる。私のために……怒ってくれている?


 そんなアーシェルの肩に手を乗せ、ドラゴンの背でゆるりと立ち上がったリド様は……神殿の壁画に描かれた神の使徒、そのものだった。悠然と大地を見下し、声変わり前の美しい声が、逆に畏れを抱かせた。


「……身の程知らずとは、お前たちのこと。ドラゴンは神の化身。そして我らは神の僕。王族と言えども神に手を上げし者に我らは容赦などしない。覚悟せよ。……天誅」


 リド様がカッと目を光らせ、大神殿での祈祷の際に見たものと似た印を右手で切った。すると、複雑な神殿文字が空中に丸く渦巻くように浮かび上がり、一瞬で地表全体を覆った。さらにそれに力を上乗せするようにホワイトドラゴンが白く輝くブレスを勢いよく吐いた!


「「「うぎゃあああああ!!」」」


 あちこちから、恐ろしい喚き声、うめき声が上がる。地表を見ると、その声の主たちはキラキラと光る文字の鎖で縛り上げられていた!

 それは王家の兵士のほとんどで、当然……国王もエリザベス殿下も恐ろしい表情をして地面をのたうちまわっている。


 これは……〈光魔法〉だ。それも、エメルの秘伝の書にはなかったもの。おそらくは神殿にのみ伝わっている、ドラゴンと協働の、本当の秘伝だ。


 その、想像を絶する光景に畏怖の念を抱き、再びホワイトドラゴンを見た。すると一瞬バチリと視線が合い、神はその、リド様そっくりの金の鋭い眼光をフッと和らげた。

 ドラゴンは大きく羽ばたき、リド様とアーシェルとともにブワリと上空に舞った。


 すると、そのドラゴンの抜けた場所に、バサッバサッと音を立て、もっと大きな何かが、地面から迫り上がってきた。


 それは、傷だらけで、でもそれでもキラキラとエメラルド色に輝いていて……。


「ああ……」


 アイスブルーの瞳は英気に溢れ、腕を見れば、あの忌まわしい魔道具は、跡形もなかった。


「エメル……」


 いつもの巨体より、さらに頭一つ分大きくなっているエメルの背には、剣を抜き、水色の髪をなびかせた兄がいた。


 兄は……当然、約束を守ってくれたのだ。


『クロエ! 後ろに下がって身を守れ』


 エメルのいつもどおりのハリのある声に、私は感極まってただ頷き、言われたとおりにした。


 エメルは悠々とホバリングしたまま右腕を振りかぶり、一撃で塔を私の頭上から粉砕した。埃の向こうに青空が見える。


 バラバラと瓦礫が落ち終わるのを待って、私がそろそろと結界を解いて立ち上がると、エメルの背中の兄が剣を納め、体を倒し身を乗り出す。


「クロエッ!!」

「おにいさまーっ!」


 私が兄に手を伸ばすと同時に、兄が私の腰に腕を回してぐいっと引き上げた。私はいつもの馬上のように、兄にしっかりしがみつく。


「エメルッ!」

『よし!』


 私が己の背に着地したとわかるやいなや、エメルは翼をバサリと動かし、一気に天高く飛翔した。




 ◇◇◇





 戦いと、リド様たちをも遥かに見下ろす空まで飛び、エメルはようやく翼を止めた。


 ドキドキと激しく心臓が鳴っている。恐る恐る顔を上げると、兄の、決して嘘をつかないアイスブルーの瞳が真剣に見つめ返していた。


 体からふっと強張りが抜けた。


「あ……」


 ハラハラと、涙が溢れ落ちる。エメルがいて、兄がいる。

 兄がやはり、私を救い出して、受け止めてくれた。


「お兄様……お兄様お兄様……」

「よく頑張ったな、クロエ。偉いぞ」

 兄が私を持ち上げ、膝の上に乗せて抱き直した。頭や背中を、労りをこめてゆっくりとさすってくれる。


「や、約束したもの……がむしゃらに足掻けって。生きることを諦めるなって」

「うん、そうだな。俺が頼んだ」


「お兄様っ……ありがとう…………信じてたけど……怖かった……」

 二度と皆に……兄に会えないことも、覚悟した。


 兄は私の頭に頰を載せ、大きく息をはいた。

「クロエ……もう二度と、離さないから」


 兄にしがみつく私の腕、私に回される兄の腕。私たちは隙間なくひっついて、こんなこと兄以外の男性とできるわけがないと、あらためて身に染みた。


「うん……二度と……もう二度と離さないで……ずっと一緒にいて……」


「……もちろん」


 兄の胸から顔を離し、兄を見上げて懇願する。


「ようやくわかったの……大好きなの……お兄様としてだけじゃなくて、ジュード様のこと、全て好きなの。そんなのジュード様だけなの。覚えてて。一番好きなの」


 想いはきちんと伝えておかないと後悔する。死んでしまえばチャンスなんてない。今回十分に懲りた私は、思いの丈を焦って言葉に紡ぐ。少しでも伝わってほしい。


 兄は一瞬瞠目したあと、切なげに眉根を寄せた。


「……ジュードでいい」


 兄……ジュードは私の剥き出しになった首の後ろをグッと掴み、さらに顔を上向かせた。そして疲労と涙でぼろぼろな顔のはずの私に首を傾け、いつもと違う、誓いのようなキスをした。額、まぶた、鼻先、そして唇。私の二度の人生通しての、ファーストキス。


 ジュードは……〈氷魔法〉なのに……私の体を沸騰させるように熱くした。やがて名残り惜しげに唇を離し、祖父がするように自分のマントで私を包み込んだ。


「もう、寝巻き姿なんか、俺以外に見せるなよ」

 そう言われると、途端に恥ずかしく、情けなくなり、ジュードの胸に顔を埋める。


 兄はそんな私をマントの上からぎゅっと引き寄せつつ、エメルの背を軽く叩いた。


「エメル、そろそろ降りよう」

『……そうだな。こんな忌まわしい場所、長居は無用だ……でも……』


 二人がこれからについて話している。草繭できちんと休息をとったはずなのに、徐々に思考がぼんやりしていき、ついていけない……。


「エメル、自分の体を無茶苦茶にされたんだ。好きにするといい。煩わしい後始末は、俺に任せて」


『ジュード、さすがオレの〈魔親〉。クロエ、魔力もらっていい?』


 私の名にハッと反応する。

「もちろんよ。エメル、やっぱり辛いのね?」


 慌てて兄の懐から顔を出すと、首を回してこちらを振り向いているエメルは……凄みのある笑みを浮かべていた。


『ちょっとだけね。……っていうか疲れてるなクロエも……さもありなんだけど。でもまあ遠慮なくもらうよ』


「う……」


 昔、ルルとの会合の時のように、私の持つ魔力を根こそぎ奪われた。もちろん、エメルが回復するためならばなんの問題もないけれど……体がいうことをきかなくなり、ジュードの胸に沈み込む。


「クロエ、おやすみ」


 ジュードが私の額にキスを落とし、視界が暗くなった。マントを頭からかけられたようだ。

 朦朧としていると、頭上からエメルの声が聞こえた。


『大罪人め……ぶっ殺す』


 私の意識は途絶えた。




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