第158話 ルーチェ

 その光景を想像し、この神殿での奉公中に身につけた感謝を表す印を、思わず胸の前で切る。


「リド様が誕生したドラゴンに、光を意味するルーチェと名づけた。そしてルーチェ様は幼い体から想像もできない威厳のある声で命じた。『我らは神の眷属。我が唯一の番とその〈魔親〉に仇なし、我が〈魔親〉にここまで悲痛を与えたこと許すまじ。天罰を下す』と」


「ルーチェ様……」


「ルーチェ様はガイア様とは全然別系統の、神殿に代々巣を持ったドラゴンの記憶を持つそうだ。それゆえ我らの知らない各国の権力者の汚い歴史や、ドラゴンを操る魔道具の存在をご存知だった。そして神殿とは、ドラゴンを神と崇め、そして万が一の時に神であるドラゴンを手助けするための組織……というのが原点なんだって」


「そう……なの……」


「ドラゴンは神。清廉で嘘を嫌い、間違いをおこさない。大神官たちは一斉にルーチェ様の意志のとおり動いてくれた。我々と同じ熱量の、怒りを持って」


 ふと膝に丸くなっているエメルに視線を落とす。


「エメルのことも、神殿の皆様はお認めになってくれたの?」


「当然だ。崇拝するドラゴンであるだけでなく、ルーチェ様の番。そして避妊薬はじめいくつかの薬はエメルの発案と思われている。エメルは初めて大神殿に姿を現した時から畏怖されるとともに、薬神と思われてるって」


 ジュードがエメルの頭の産毛を撫でつけた。


 思えば避妊薬で会合を持って以降、こちらの警戒心に関係なく、結局神殿は我がローゼンバルクに協力的だった。信仰対象のドラゴンの住まう土地だから微塵も問題なし! ということだったのだろう。


「ルーチェ様、エメルのこと、番ってわかってくれたんだね」


『うん。オレの魔力が入ってきて、生への渇望が湧いたって言ってたよ。まあルーチェも同胞がオレしかいないってわかってて、その唯一が腐った人間に殺されかけてると知れば、まあキレる。オレだって、ルーチェを奪われたらそいつを国ごと全て土に返すよ。この国が形を残したのは幼いルーチェの魔力切れのためだ。それに感謝したほうがいい』


 エメルは熱量なくそう言い放つと、私を見上げる。


『それとオレの渡した魔力には、オレの記憶が少しは残るから、殻の中で言語の習得が簡単だったって言ってた』


 私はエメルのアゴを人差し指でさすりながら頷いた。


「やはり大神殿は、あの魔道具を知ってたの?」


『そうだって。で、ああいった呪いを解き放つ〈光魔法〉もきちんと伝えられ、ルーチェも親龍から受け継いでいた。さすがにマジックルームの中には解呪も届かないから、強引にオレを外に出したんだ。オレの命の灯が消えそうな気配を察知し恐怖して、一刻も早くとジュードを脅したって言ってた。それにしても親龍たちの呪具に対する憎悪……というより怨みは、凄まじいらしいよ』


 今にして思えば、あの極限の場面でペラペラ手の内を晒せるわけがなかったとわかる。ジュードは私たちがジュードを信じると……信じてくれたのだ。


「ジュードは、それを見当つけてたの?」

「そうだな。ドラゴンに関して一番詳しいのは神殿だろうと思っていたし、何か解決方法を一つくらい伝え聞いているだろうと思った。神殿はずっと単一系統だしね。でも、ルーチェ様の誕生に居合わせるとはさすがに思わなかった。エメルの誕生時より二回りは小さい。無理に孵化してくださったのだ」


 私は手を組み、二度目の人生で最も真剣に、神に祈りを捧げた。


「それで……ローゼンバルクは、皆は無事なの?」

「当然。皆かすり傷程度だよ。それすら神官たちが呆気なく治療してくれた」


「……王家は?」


 ここまで後回しにしてきた、最も知りたくてでも知りたくない質問を絞り出した。


「ルーチェ様の〈光魔法〉で、ドラゴンを害したものは全て死んだ。ルーチェ様の登場は、まさしく神の降臨で、その断罪の声は王都中に響いた。神に刃を向けたリールド王家に同情するものは貴族であれ、平民であれ、おおっぴらにはいない」


『ルーチェはまだオレほど人間と馴れ合っていないからね。よほど神に等しい。厳格で苛烈だよ。で、ルーチェが取りこぼしたやつはオレが仕留めた』


 仕留めた……エメルもドラゴンなのだ、と痛感する。


 王女や王は……この厳かなドラゴンを従えることができるなど、なぜ思ったのだろう。生態もろくに知らない、最低でもここ百年は誰も見たことのない、幻の、未知なる存在だったというのに。


 根拠のない自信があったのだろうか? あの魔道具さえあれば、恐るるに足らずと。

 為政者の書き残した書物など、成功例しかないだろうし。


「巻き込まれた人とか、いない?」

「天誅は、神に仇なしたものだけが的になるらしい。だから、王宮は壊滅状態だけど、なんの関係もない文官や下働きの人間は無傷だ。まあありえない光景を見てショックは受けているけどね」

 ジュードが事実そのままを伝える。


「つまり……エリザベス王女や国王は……」


『死んだよ、確実にね。神を冒涜した魂は、永遠に混沌を彷徨い救いはない』

「……直系の王族で生き残ってるのはアベル殿下とドミニク殿下だけだ」


 王女と国王、愛するエメルを苦しめた二人ではあるが、彼らの死にやはり動揺する。私は……凡人だから。でも、ホッとしたのも事実。これで二度とエメルが恐ろしい目に遭うことはない。

 もしそれを非難されることがあれば、私が甘んじて受けなければならない。

 エメルも兄も、ひ弱な私の代わりに手を汚したに他ならないのだ。


 神罰の下らなかったアベル殿下とドミニク殿下は、今回の事件に加担しておらず、妹のやりように乗ることもなく、ドラゴンを操ろうという考えはなかったということだ。


 だとしても、神たるドラゴンが国王と王女を断罪した。もう、元通りにはならない。

 国は根幹からひっくり返った。世界は確実に荒れる。体がこわばる。


 そんな私を、ジュードがぎゅっと抱きしめた。


「ここから先は、おじい様と大神官が話を整える。おじい様が到着するまでクロエは休め」


 祖父が、たくさんの命をその背に一人で背負い、厳しい表情で荒野に立つ姿がまぶたに浮かぶ。


「おじい様、今度こそ怒ってない? 私、いつも迷惑ばっかりかけてる……」

「……相変わらずバカだな。ものすごく心配してるよ。でも……よく耐えたって手紙に書いてあった」

「よかった」


 とりあえず足掻いて足掻いて生き残った。

 一度目の人生の最期の数年を過ごした、苦しみ抜き孤独に死んだあの牢獄から、兄とエメルとたくさんの仲間の力が合わさって、たった半日で生きたまま脱出できた。


 事態を改善したり、誰かを救うなんて仰々しいことはできなかったけれど、人に恥じるようなことはしていない。

 ジュードの言うとおり、ここからは祖父に任せよう。


「おじい様……早く会いたい……」

「ああ。俺もだ」


 私にとってもジュードにとっても、おじい様の腕の中こそが……家だ。




※本日「草魔法師クロエの二度目の人生」二巻が発売されました!

ということで、久しぶりで最後の週末クロエ、明日、明後日と連続投稿し、完結です。

最後までお楽しみいただけますように。

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