第89話 偽証

 私は静かにアーシェルを立ち上がらせ、手を引いて客間に連れていった。

 ソファーに座らせるとぼんやりと壁を眺めている。聴こえているかわからないけれど少し休むようにいい、信用できる使用人を一人置いて、一旦自室に下がった。


 部屋に入るなり胸にさまざまな感情がせりあがり、ベッドに走り、枕に顔を埋める。

「う……うわああああ……ああ……ああ……」


 体全体を震わせていると、エメルが本来の姿に戻り、私を包み込んだ。

『クロエ……泣くな……お前のせいじゃない……またしても土地の神殿ぐるみで偽装してたんだ。誰も気がつけない』


「でも! でも! 私だけは知ってたのよ! あいつらが自分の子どもに対して平気でそんなことをしでかす奴らだって! だって私もされたもの! 私だけは、アーシェルの窮地に気がつくべきだった。でも、あの家に近づくこともおぞましいと、手を差し伸べなかった」


『クロエは子どもだっただろ?』

「子どもでも前回の記憶がある! だからおじい様に助けを求めることができた! でもアーシェルにはそれもできなかった。ずっとあの屋敷で、苦しんで……」

 前世の私と同じだ。涙が止まらない。


『……結局アーシェルは、クロエに救ってほしくて、あれこれ理由をつけて、ここまでやってきたんだな……』


 救ってほしくて……気づいてほしくて……こんな非情な姉なのに、他に誰もいないから。


『じゃあ……泣いてないで手を貸すしかないんじゃない? おねえさま?』

 エメルがチュッと私の涙を吸い取った。私は下唇を噛み締め涙を拭った。




 ◇◇◇




 祖父の書斎に行くと、仕事中の祖父と兄が手をとめて、私を招き入れてくれた。


「アーシェルについてきていた従者を締め上げたところ、モルガンはドンドンと若手に階級を抜かれ、とうとう軍を辞めたそうだ。しかし領地に戻ることもなく、鬱憤ばらしか虚勢なのか、王都での生活はますます派手になり……これまでの蓄えを食いつぶしているらしい。そしてとうとうアーシェルの来年からの学費を出すことが出来なくなり、奥方の発案でここにせびりに来たそうだ」


 兄が自ら、私のカップにお茶を注ぎながら教えてくれる。


 リールド高等学校の学費は入学金と合わせて四年分一括納入だ。1,000万ゴールド弱といったところだったか?庶民からすればとんでもなく高額だ。

 理由が認められて手続きをすれば分割払いもできる。今年の収穫の税収があれば、きっと払える。しかし貴族にとってはいかなる時であっても十分に出せる額で、分割など恥、と思っている貴族が大半だろう。そのくだらぬプライドを誰より持っているクズが父だ。


 そもそも貴族が子どもを産んだ時点で、かかるとわかっている経費だ。それすら食い潰すなんて……。


 祖父の目を真っ直ぐに見て、言う。

「アーシェルの学費は、私が工面します」

「クロエ、バカなこと言うな!」

 兄が眉根を寄せる。


「ちっともバカじゃない! おじい様のお金はローゼンバルクのものです。そのお金をモルガンに使うなんて、民がいい気持ちがするはずがありません」


 私は自分の財布の中身をざっと計算する。私の薬の売り上げは……一応私の資産だ。今あるストックの薬も吐き出せば……なんとか足りる。


「クロエ、わしは祖父だ。100%親族で関係者だな。お前がそう言えばきっとわしが金を出すと、エリーが見越していたのなら、大したもんだ」

「おじい様……」


「はあ。罪深いのはこのわしよ。適性詐称……全く気がつかなかった。あやつらは自分たちの見栄のためならば、子どもの人生など簡単に捻じ曲げると知っておったのに。先入観もさることながら、モルガンに付けておいた監視の報告もなく……クロエと違い、食事を抜く、無視をするといった虐待がなかったから見抜けなかったというところだろう。アーシェルの内面の葛藤までは、草にはわからん……」

 祖父がこめかみを揉み込む。

「それに、アーシェルはクロエと違って嫡男だ。事態を知ったところでここに連れてくることなど……結局難しかっただろうよ……」


 知らなかった事実を聞かされて、心が鉛を呑んだように重くなるが、それよりも、これからのことを考えなければ。


「おじい様、私は……ドーマ様にアドバイスを受けたのちに、アーシェルと大神殿に出向こうと思います。そこで改めて鑑定をして、間違いを正し、〈風魔法〉に変更してもらい、国に修正申告しようと思います」


 一つずつ、できることから進めよう。

 〈火魔法〉と偽ったまま生きていくことなどできない。すぐ目の前の学校ですら生き延びられないだろう。先日のような魔法実習を兼ねた演習も、しょっちゅうあるのだ。


「神殿に頭を下げるのか?」

「いえ、神官もグルでなければできないことなので、痛み分けで国に登録しなおせないかと……私のときのように。甘いでしょうか?」


「「甘い」」

 祖父と兄が口を揃えて言い切った。


「クロエのときは、まだ鑑定から一年足らずで、本来は魔法も使えぬ年頃だったから『うっかり』というバレバレのごまかしが通った。しかしアーシェルは時間が経ち過ぎている。故意であることが見え見えだ」


 兄は背もたれに寄りかかり、私を見据える。


「でも、神殿相手にあまり策を弄するのも、悪手だと思うのです。いっそ完全に大っぴらにしたほうがいいんじゃないかと。何か条件を出されるかもしれませんが、無茶を言われたら、無理ですと泣いて帰ってこようかと」


「はあ……おじい様、私がクロエに付き添います」

「お兄様、ダメです。お断りします!」

「クロエ?」

「私は今回のアーシェルの問題に、いっぺんたりともローゼンバルクをかかわらせたくありません。お兄様はローゼンバルクそのものです」


 兄が眉間にグッとシワを寄せた。それを見て、祖父はふぅとため息をついた。

「……クロエ、とりあえず、ドーマに会ってこい」





 ◇◇◇




 翌日、ローゼンバルク神殿にアーシェルを連れ、ローランドを背負い、エメルを頭に乗せ、ミラーをお供にやってきた。


「クロエは……とことんついてないのう……」

 神官長室に通されて、つくづくドーマ様にそう言われてめげそうになる。


 指示されるままアーシェルは、皆の前で鑑定石に手を乗せる。

「見てもいい?」

 私が聞くと、弟は無気力に頷く。



 ーーーーーーーーーーーーーー


 適性:〈風魔法〉レベル48

 その他:〈火魔法〉レベル2


 ーーーーーーーーーーーーーー



「ふむ。アーシェルと言ったか? 十三歳でマスター目前とはかなりきつい鍛錬を行ってきたのだろう。素晴らしいぞ!」


 ドーマ様の優しい褒め言葉に一瞬瞳を揺らしたが、また無表情に戻った。


「……アーシェル、神殿と孤児院の間の茶畑に風を循環させてくれると助かるわ。ミラー、案内してあげて」


 ミラーは人の良さそうな笑みを浮かべ、アーシェルの手を引いて部屋を出た。ミラーから見ればアーシェルなど子どもだし、ミラーならばアーシェルが癇癪を起こしても押さえつけられる。


 ドアが閉まると、フワッとエメルが姿を現す。ドーマ様が一旦立ち上がってお辞儀をした。


「ドーマ様、嘘の鑑定を行った神官はどうなるかしら? そしてそれを正す手順なんてある?」

「そんなもんないわい。神官は『絶対に過ちをおかさぬ』のだから。モルガンの神官はなぜこうも浅はかな真似を……」


「ひょっとしたら、領主に命じられ、何か人質でもとられてやむにやまれずだったかもしれないわ」


「言ったじゃろ? クロエ。いかなる理由があろうとも、『絶対に過ちをおかさぬ』のじゃ。そもそも質に取られて困るような執着を持つことも禁忌。神官は唯一神のみを信仰し、民草に平等に手を差し伸べねばならん……表向きはな」


 そう言いつつ自ら出産に立ち会ったローランドを私の背中から取り上げて抱き、目に入れても痛くないという視線で見つめ、優しく頭を撫でて、念入りに健やかであれと祈祷するドーマ様。

 ローランドはそれをさも当たり前のように受け入れ、ドーマ様の指を口元に持っていき、しゃぶろうとする。


「虚偽の申請をしたその神官はすぐ堕落者の焼印を押されて、神殿から追放されるだろう」

 ドーマ様は右眉を上げて私の覚悟を問いただす。


「……容赦しないわ。情けなどかけない。私とアーシェル二人の平穏な人生を奪ったのだから。その神官に恨まれても……跳ね返す。相手が違うと」


 そう、根源はモルガンの両親。私が神殿に適性魔法の訂正を願い出れば、一瞬で王家に伝わり、約束どおりアベル殿下が裁くだろう。


『モルガンは、自分の策でいよいよ失脚するんだな』

 エメルが冷めた声でそう言った。


「……大神殿に面会申請の手紙を出しておこう。返事があり次第、出立するといい」

「ごめんねドーマ様。モルガンのせいで面倒くさいことさせて」

「ふん、このくらい手間でもなんでもない! そう年寄り扱いするな! しかしクロエ、その後の弟の処遇はきちんとお館様とご相談するのだよ」

「うん。私一人で、アーシェルとモルガン領の面倒を見るなんて無理だってわかってる」


 ローランドはドーマ様の腕のなかで幸せそうに眠ってしまった。ぷくぷくのほっぺが、アーシェルの幼い頃と重なり、再び胸にズキンと痛みが走る。思わず顔が歪む。


「クロエ、神殿は避難場所でもある。アーシェルは落ち着くまでここに置いておいてもいいからな。もちろんクロエも。疲れたらここでも孤児院でも、ダイアナとともに骨休めにくるといい」


 ドーマ様はそっと私の頭を撫でてくれた。弱った心に染みる。


「ありがとう。ドーマ様」




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