第88話 理由

 アーシェルが絞り出すような声で言う。

「あんたたちは……金を出すべきだ」

「……なんの? というか何故?」


「あんたが父とのただの家庭内の不和を、殿下に言ったり事を荒立てたせいで、金が入らなくなったんだ! だから私たちは困窮し、来年入学予定のリールド高等学校への試験費用も入学金も用意することができない!だからあんたたちが責任を取るべきだ!」


「つまり貴様は、姉であるクロエはあのまま侯爵邸で我慢して、孤独なまま餓死すればよかったと言っているのだな?」

 兄が底冷えするような声で言う。


「部外者が口を挟むな!」

「挟むね。クロエは私の最愛の妹なのだから」


 アーシェルに熱くなられては困る。とりあえず最後まで話を聞きたい。


「お兄様、もう少し私に話をさせてください。アーシェル。国防委員なんて名誉職の給金などそもそもたかがしれているでしょう。モルガン領は王都近郊の肥沃な土地。辺境であるここと違って、正直なところ何もしなくともお金が転がり込んでくるはずです。ここ数年、天候も安定しているもの。それに騎士団のお給料も高額なはずです」


「騎士団は……辞めてしまわれた」


 モルガン侯爵家は〈火魔法〉を駆使して戦う戦上手として何人もの騎士団長を輩出してきた武の名家。それこそがモルガンの誉であり時期がくれば父も当然なるものだと……本人も家族も思っていた。


『弱くて団長になれず、拗ねて辞めたってとこか?』


 エメルの言葉にストンと腑に落ちる。父は……弱すぎる。


「領地の件は……きっと代官……くそっつ! 私にはっ、わからない! でも金がないと父は金策に走りまわり、母は泣いてばかりいる! それもこれも、全部あなたが薬で稼いだお金を送らないからだと!」


「つまり、きちんと領地経営できなかった自分の手腕を棚に上げて、昔切り捨てた娘が〈金になる木〉だったと遅まきながら気がついて、金を巻き上げに来たと。浅ましい。言っとくが、クロエがモルガンに感じる恩は産んでもらったことだけだ。それもその後の仕打ちでマイナス。つまり、クロエにはモルガンになんの借りもない。ここまで親切に、自白剤まで飲んで教えてやってるのにわからないのなら、お前はバカだ」


 兄が凍るような眼差しで弟を睨みつけながら、吐き捨てるように言った。


 はあ、と思わずため息をつく。どうすればアーシェルに常識が伝わるだろうか?

「アーシェル。私は一文無しの役立たずだった」

「クロエ!」

「お兄様、今はわかっているのです。子どもは役に立とうなんて思わなくてもいいと。でも、モルガンで、使用人からもずっとそう言われて過ごしてきた私は、役に立たなければ、このローゼンバルクから追い出されてしまうと、ヒヤヒヤして生きていたわ」


 兄が痛ましげに私を見つめる。


「だから、必死に努力し、必死に働いて、薬を作った。少しずつお金を稼いだ。生きるために私が六歳から全力で貯めたお金を、父の散財の穴埋めに使えとあなたは言うの?」


「私が借金を作ったわけではないっ!私だって、自力でできる努力はなんでもしてきたっ! なのに、まさか入学できないとはっ!」


 その言葉に思わずアーシェルの全身を両目で眇める。

 ……なるほど、アーシェルはレベル40台後半、マスター目の前だ。十三才にしてはレベルは高い! 既に父は超えている。


「そうみたいね……やはり愚かなのは、あの人たち」


 教わるべき父よりもレベルは上、父が自分よりも〈火魔法〉が上の師をアーシェルに紹介するわけがない。愚かなほどプライドが高いのだから。


「アーシェル、では勝負しましょう。あなたが私に勝てば、あなたの学費は私が姉として全額負担しましょう」


 ……リールド高等学校に行かないことは、貴族としての命を絶たれる事だ。


『……情けをかけるのか。甘いなクロエは。しかしコイツは今のところ馬鹿なだけで実害はないからな』


 まあまあの試合に見せかけて、彼の〈火魔法〉で草盾を燃やさせて一本くらい取らせてやろう。幼い頃の愛らしい私を慕ってくれたアーシェルへの恩返しだ。


 私は彼を縛り付けていた草を解き、芝庭に誘った。





 ◇◇◇






 アーシェルは先程の勝ち気な様子はどこかにいって、そわそわと躊躇っている。


 私が強いと……レベルMAXだと知らないのだろうか? ありえる。父は私に優れた面があることなど口にしたくもないだろう。


「アーシェル、女だからと遠慮することはない。全力でかかっておいで!」


 アーシェルは有る事無い事両親に吹き込まれ、私を間違いなく恨んでいる。私をやっつけるチャンスのはずなのに。


『動かんな』


「アーシェル、モルガンのお家芸の〈火魔法〉を存分に見せてちょうだい。この屋敷はドラゴン様に護られているから延焼しない。遠慮はいらないわ」


「っ! なぜ、私が〈火魔法〉と!」

 なぜって……私は確か、アーシェルが五歳になったころに祖父から聞いた覚えがある。嫡男は〈火魔法〉だったと王宮で自慢していたと。〈草魔法〉の姉などやはり不要で、養子に出したのは間違いなかったと自らを正当化するように言いふらしていたと。おそらくローゼンバルクの草が見聞きした情報だろう。


「だって、モルガン侯爵が言いふらしたと聞いたわ。私はまた聞きだけれど」


「こんな……辺境まで……」

 アーシェルはボソボソと呟くと、俯いてしまった。


 これではらちがあかない。私はもうこの辛い対面の時間を一刻も早く終わらせたいのだ。


「では、私から行くわよ。『飛棘!』」

 私は無数の人差し指サイズの草の棘をアーシェルに向けて飛ばす。〈草魔法〉のレベル40の魔法。〈火魔法〉のレベル30程度で簡単に燃やせる魔法だ。


 しかしアーシェルは何故か顔を歪め、瞳に悲しみをのせて、右手を突き出し何か呟いた。

 途端にアーシェルの目の前に人間の大きさのつむじ風が発生し、私の棘を風の渦に巻き込みながら上空に弾きとばした。


 これは……


 エメルが私の前に出て、アーシェルを見極める。そして少し上擦った声で、

『クロエ……こいつは〈風魔法〉適性だ』


 思わず、息を呑む。

「アーシェル……あなた……〈火魔法〉ではなかったの?」


「わ、私は、火……ぐほっ……」


 アーシェルは今、嘘がつけない。


 前回のあなたは〈火魔法〉を誇り、私を散々馬鹿にした。だから今回も祖父が仕入れてきた情報にやっぱりと思った。


 いつかの母が、

『ええ! 今となってはクロエも役にたつ子どもだと認めるわよ! だから早く薬を出して! アーシェルが死んだら、私は旦那様からどんな目に合わされるかっ!』

 アーシェルに期待がかかってると言うことは〈火魔法〉なのだと疑わなかった。


 〈火魔法〉でなければ、父に見放されるから、母が偽装させたの?

 いや、母が神殿を騙せるとは思えない。だとしたら、父ぐるみ?

 どちらにせよ、ありうる話だ。あの両親は私のときも〈火魔法〉と偽装させ、王家に放り込もうとした。バレたときの私への処罰など、何ら気にも止めずに。


「アーシェル……五歳からずっと偽って生きてきたの?」

「っ! 逃げ出したあなたに何がわかるーーーー!!」


 アーシェルが泣きながら癇癪を起こし、〈風魔法〉の『風刀』を全力で全方向に放った!

「アーシェル!」


 私はアーシェルに向かって飛び出す! 頰が、服が、風でビシビシと切れる。

「『クロエ!!』」


 兄とエメルは私に止まるよう叫びながらも、屋敷の人間を守るために、土壁や氷盾を四方に張り巡らす。


 傷を負いながらも自分に向かって突進する私に怯えた表情をしたアーシェルに、私は問答無用で飛びかかり、地面に倒し、拘束するように抱きしめる。


「くっ! 放せ! 放せったら!」

「……なんてこと……なんてことなの……」


 まさか……アーシェルまで偽装させていたなんて……。

 あの二人……許せない……。


「ごめん……アーシェル、ごめんね……」


 私は……姉だったのに。


 悔しくて情けなくて、思わず涙が溢れ、弟のもう柔らかくない頬に、ポタポタと落ちた。


 アーシェルの力が、ふっと抜けた。そしてささやく小さな声は震え、悲鳴のようだった。


「なんで僕を……置いていったの……僕だって一緒だったのに……おねえさま……」


 私がおじい様に救い出された時点で、アーシェルはまだ幼くて、適性検査を受けていなかった。


 かわいい弟を、〈火魔法〉ではない弟を、結果的にあの地獄の家に置き去りにしてしまった。


 私しか、弟を救えなかったのに、自分よりも小さきものを犠牲にした。


 ああ……罪深いのは私も同じ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る