第90話 王都 中央大神殿②
私は人生二度目の大神殿を訪ねることにした。
付き添いはエメルとミラーと当事者のアーシェル。そしてドーマ様も来てくれることになった。心強い。
兄も一緒に行くと言ってくれたが、この件にローゼンバルクを巻きこみたくないと言って、渋々引いてもらった。
ドーマ様の付き人も含めて、五人で王都に向かう。アーシェルは現時点ではローゼンバルクの人間ではないし、今後の処遇がどうなるかわからないのでエメルには姿を消してもらう。
「アーシェル、大神殿に行って、もう一度鑑定して、登録しなおすよ? 一生〈火魔法〉と偽って生きることなど不可能なの。リールド高等学校の実技を嘘で切り抜けられるわけがない。今しかないわ」
「……モルガン侯爵家はどうなるの」
「……厳しいお咎めを受けるでしょうね」
「あなたはそれを、なんとも思わないんだ」
「悪いけど、なんとも思わないわ。あの人たちには虐げられた記憶しかないもの。アーシェルにとっては温かい家庭だったのかもしれないけれど、私には……」
「もう、どうでもいい。ただ、父上に切り捨てられるだけだ」
私がアーシェルに手を伸ばし、ためらいつつ何か言葉を捻り出そうとしていると、ドーマ様に視線で止められた。
これまでにない、重苦しい空気の立ち込める旅になった。私は誰にも気が付かれないように息を吐いた。
◇◇◇
王都のローゼンバルク邸は使わず、大神殿の参道にある参拝者用の旅館の一つに滞在し、ドーマ様に到着の旨を伝えてもらうと、翌日あっさりと大神殿に招かれた。
「ドーマ様、なんかキラキラしたマフラーが増えてない?」
普段簡素なドーマ様には違和感のある、金糸銀糸の刺繍入りの幅広な布が、首から垂れている。
「わしはこの数年で階級が三つも上がったんじゃよ。その前は四十年ものあいだ存在すら忘れていたくせに。まあそんなことでケンカしても大人気ない。有効に使わせてもらうさ」
その装飾のおかげか、時間になり大神殿に赴くと、入り口の神官はドーマ様に深々と頭を下げ、用件を告げるとすぐに中に案内してくれた。
前回と打って変わった応対だ。
ここまで人形のようだったアーシェルは急にギクシャクとした動きになった。
「大神殿は初めて?」
「……うん」
まあこの大神殿の荘厳な雰囲気に呑まれるのは仕方ない。
「アーシェル、今日私たちの相手を誰がしてくれるかわからないけれど、間違いなく私たちなんかが敵わない相手よ。正直にお話するのが一番だわ。当時あなたは……私も、子どもだったのだから」
「……」
「クロエ、稀代の『薬師クロエ』が来るんだ。相手は決まっておろうが」
ドーマ様が呆れたように言った。
そうなってしまうのか? と、私は肩を落として、案内に続いた。
◇◇◇
王宮のように色彩はないが、白を基調とした上品な初めての小部屋に通されると、ドーマ様の予想どおり、大神官様が二人の供を連れて入ってきた。
私たちは一斉に立ち上がり、ドーマ様は神官式の礼を、私たちは神像を前にするがごとく、膝をつき、頭を下げる。とまどう弟にも同じようにするように示す。
ここはプライドをはるときではない。
「おや、久しぶりのお客様だねえ。皆、椅子に座りなさい。ドーマ、息災で何より。そしてクロエ、会うたびに大人になって……あとの二人は初対面だね?」
「大神官様、ごきげんよう」
ドーマ様が神官の挨拶をして革張りのソファーに腰掛けた。私たちもそれに倣う。ミラーはソファーの背にまわった。エメルは念のため、一切の気配を消している。神殿は私達の知らないことが多すぎるから。
「大神官様、お久しぶりでございます。こちらはローゼンバルクの私の供のミラーとモルガン侯爵家嫡男、アーシェルです。私の血縁上の弟です。本日はお忙しいところ、お時間をとっていただき感謝いたします」
「ほう、モルガン侯爵家の……クロエは完全にあちらとは切れているものと思っていたが?」
大神官は、私の訪問理由をどこまで知っているのだろう? まあ、一から正直に話すしかない。ただ、弱みを見せないよう注意しないと。
「完全に切れております。ですが、私にも関係することでしたので、一緒にご相談に参りました」
「ドーマでは解決できなかったのかな?」
大神官がドーマ様に向けて首を傾げる。
「私の力が及ばぬ問題です。大神殿の知恵を授かるように申しました」
「ふむ」
私は居ずまいを正し、大神官様を真っ直ぐに見た。
「大神官様は、私が五歳の〈適性検査〉で〈火魔法〉と鑑定されたのをお聞き及びでしょうか?」
「……記録を間違えたと、訂正があったと聞いている。モルガン管轄の神官には口頭で厳重に注意したんだったか。それがどうかしたか?」
「ここにいるアーシェルも〈火魔法〉という神殿の鑑定を受け、国に登録されています。しかし……」
「……つまり、もう一度、同じ過ちが起きて、そのまま五歳のころより正されていないということか?」
「はい」
「……情けない」
大神官は目を細め、不愉快そうに言った。思いのほか神官の偽証を取り繕うつもりはなさそうだ。
「大神官様、クロエもアーシェルも鑑定時はまだ五歳の幼な子。本人らにはなんの手立てもありません。偽りの適性で生きてきた苦しみを思って、なにとぞ穏便に、アーシェル殿の適性訂正を、私からもよろしくお願いします」
ドーマ様が言葉を添えてくださる。
「うむ。直ちにアーシェル殿の再鑑定をして、その結果を国に報告しよう。……モルガン領の神官は交代させる。他にもくだらぬ真似をしていないか、調査せねばなるまい」
大神官はそのまま付き人に頷くと、付き人は一礼して早足で退室した。
「ところでクロエ?この件を王家に伝えた時点で、どうなるかわかっておるな?」
父は鑑定をねじ曲げ、王家に嘘の届けを出した。貴族として大罪だ。それに加え、アベル殿下がすでに最後通告をしていたのだ。
モルガン侯爵家は、これで終わりだ。
私はしっかりと頷いた。自分の行いに、目を背けるつもりはない。
「では、再鑑定の準備ができたようだ。アーシェル殿、この神官についていきなさい」
「アーシェル、ちゃんと待ってるわ。一緒に帰るから!」
瞳に不安な気持ちをのせたアーシェルを励まし、彼を送り出した。パタンと扉が閉まると、残った一同はふう、と息をはいた。
「クロエ、私に神殿代表者として謝ってほしいかい?」
「いいえ。大神官様が直接聞いてくださったから、こうもスムーズに解決できました」
私は手元の鞄から避妊薬を10本取り出し、机に差し出す。
「本日のお礼に寄進いたします」
「……クロエはこういうことが嫌いだと思っておったが?」
大神官がニコニコと私に問う。
しかし、元凶はモルガンの父なのだ。モルガン領の神官はいくらか父から金銭を受領したかもしれないけれど、組織としての神殿は完全にとばっちり。
「私どもの面倒な手続きで、お手間を取らせることなどわかりきっております。それに避妊薬は避妊薬でしかありません。結果的に神殿に助けを求める女性たちの役に立つのであれば、正しい寄進だと思います。いつだったか、荒野で私が魔法を使ったときに、大神官様は美味しいお菓子でねぎらってくださいました。それと同じ重さです」
「ふむ。プレゼントでねぎらいあう関係も悪くない。クロエ、必要な場面で使わせてもらうよ」
「それと、私に勤労奉仕をさせていただけないでしょうか?」
「……というと?」
「大神殿の草取りや庭の手入れをさせていただきたく」
こう見えて、私は庭師トムじいの四番弟子なのだ。
おそらく、大神殿は王家に誤登録したことを頭を下げて、再登録する流れになる。私が悪いわけではないけれど、大神殿が悪いわけでもない。
しかし薬師としての技をこれ以上、あたえるほどでもない。これくらいで今回の骨折りと同等の対価だと思ってくれないだろうか?
「ふふ、それでは正面をきれいにしてもらえるかな。後ろのほうは、神官以外は立ち入れない区域だからね」
大神官はあっさり受け入れた。空気が緩む。ホッとする。
大神官は話は一区切りついたとばかりに、穏やかな声で私に話しかけた。
「ところでクロエは、学校を卒業後、どのように動く予定かな? まだ婚約者はおらぬようだが?」
貴族はリールド高等学校を卒業後、半数は結婚する。女性はそれよりも多い。
「大神官様もお聞き及びでしょうが、クロエは自分よりも強い男でないと、結婚する気はないそうです」
ドーマ様が出されたお茶を飲みながらクスリと笑った。
「それは……なかなかのハードルだなあ」
「一人前の薬師として身を立てられるように、研究生活となる予定です」
結婚など、自分には縁遠い話だ。前世の不幸な縁を断ち切って、生き抜くことだけが目下の願い。
「それはローゼンバルクを離れて?」
「ローゼンバルクに籍を置いたまま、です」
「ふむ……クロエ、ここに学びに来ないか?」
大神官はニッコリ笑った。
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