第91話 すり合わせ

「クロエ様を神殿に?」

 ミラーが初めて声を上げた。私はそっと制して

「つまり、神官へのスカウト……ということですか?」


「神官はさすがに辺境翁が許すまい。在家で神官と同じ境遇を得られる『神の愛し子』という立場を使えばよいと思っている」

 大神官様はそう言って、お茶を一口飲んだ。


 ドーマ様が瞠目する。

「……なぜ、この100年使っておらぬ肩書きを引っ張り出してまで、クロエを留めおこうとなさる?」


「ドーマ、クロエと縁を繋ぎたい、と思うのは不思議なことではないだろう? おそらくクロエはドラゴンの加護持ち……もしくはクロエがいるからあのドラゴンはローゼンバルグにとどまっているのであろう? クロエの魔力が糧なのかな? あの一瞬だけ具現された崇高なるお姿……立派なグリーンドラゴンであった……〈草〉よの」


 エメルが静かに私の肩に戻る。

『へーえ。一応俺への関心、まだあったんだ』

 歴史のある大神殿には、一般に広まっていない伝承が伝わっていることだろう。ひょっとしたら、〈魔親〉や、グリーンドラゴンの〈魔親〉が私であることなど、感づいているのかもしれない。


「神殿には神域にしかない草花や、それらからできる薬についての書物がある。目を通してみたくないか?」


「もったいないお話です」

 出来るだけ表情を変えず返事する。


「そして、神殿の姫として、アベル殿下に嫁ぐこともできる」

 ここでまた会話が掴めなくなった。


「……すいません。全くお話が見えません。確か、アベル殿下は神殿の〈光魔法〉のかたと、婚約が内定した、ということをドミニク殿下より聞きましたが、それと私とどのような関係が?」


「……ドミニク殿下は本当に……口が軽い。誰があの方の耳に入れたのか……王妃しかおらんか」

 大神官が額に手を当てる。


「王家と大神殿で、この平和な時代を磐石のものにするために、そのような話はある。そしてもちろん神殿には〈光魔法〉を使える年頃の賢き女性は数人いる」


 おそらく上級ないし特級神官の親族だろう。きっと清らかな娘に違いない。私と違って。


「もしクロエが望むのならば、クロエにその立場を与えてやってもよい、ということだ」


「……は? あの、先程から一体……なぜ私に神殿の立場が必要なのでしょう?」


 大神官様は、なぜか微妙な顔をされて、ドーマ様を見た。

 ドーマ様は深くため息をつき、

「恐れながら、クロエは自分が高貴なる方に選ばれる……という可能性などつゆほども考えていないのです。ここまでの薬を作っておきながら……自己評価が地面につくか? というほどに低く……」


「……ローゼンバルクではそのような躾を?」

「まさか。その前の生活の影です。辺境伯はじめローゼンバルクのものは皆、必死にクロエがいかに必要か説いておりますが、幼いころに身についた性分はなかなか抜けず……」

「ふむ……アベル殿下が少々気の毒になった」


 大神官はやれやれとばかりに、肩をすくめ、お茶を一口飲んだ。


「では、もう一つの切り口から話そう。今回の件で、アーシェルは微妙な立場となる。アーシェル自身は被害者であっても、不正を働いた家の嫡男なのだ。侯爵家を継ぐにしても風当たりは当然厳しくなる」


 私は小さく頷いた。もちろんわかっていたことだが、改めて人の口から言葉にされると、心が重くなる。


「そして両親である侯爵夫妻から新当主となったアーシェルに命乞いやら罵詈雑言やら浴びせられるだろう。彼は随分と甘やかされて生きてきたように見える。それに耐えられるか?」


「私が……姉として守ろうと……守るしか……」

 私に守る力などないことはわかっているけれど、そう答えるしかない。下唇を噛む。


「アーシェルを預かることはローゼンバルクのためになるか? そしてその環境でアーシェルは休まると思うか?」


 できることならば、ローゼンバルグとは別の土地のほうが、アーシェルにはいいのだろう。アーシェルにとってローゼンバルクは敵と刷り込まれてきたのだから。ローゼンバルクにとっても割り切れぬものがある。でも、穏やかに過ごせる他の土地のアテなどない。


「クロエ、アーシェルを一旦神殿預かりにしてはどうか? ということだ。提案だよ?」

「神殿……預かり……」

「特別なことではない。神殿は苦しむものらに常にドアを開いている」


 領で、ドーマ様もそうおっしゃった。でも大神殿は……違うでしょう? と心で異議を唱える。ここは権力の中枢。そんな穏やかな場所ではないはずだ。


「心配ならばクロエも当面、アーシェルにつきそえばよかろう」


 二人揃って神殿に身を寄せるように、と言っているのだ。

 たしかに、行き場のないアーシェルには願ってもないお声がけだ。

 でもこれは……私一人では決断できない。


「……アーシェルの希望を聞いてから、お返事してもよろしいでしょうか?」


「かまわんよ」


 神官が戻ってきて、大神官に耳打ちした。


「ふむ。〈風魔法〉に間違いないそうだ。では早急に訂正し、国に報告しよう」


 私は深々と頭を下げた。


「そして、魔力量も抜きん出ている。さすがクロエの弟だねえ……素晴らしい」


『魔力量は遺伝の要素は薄い。何度も空っぽになるまで励んだんだろうね。クロエと一緒で努力家なんだろうな』

 エメルが見直した風に呟いた。


 努力家なんかじゃない。と心の中で思わず反発する。生きるために仕方なしにやっただけだ。私もアーシェルも。私はエメルに向かって小さく首を横に振った。


 それにしても、大神殿の鑑定石は魔力量まで測ってしまうのか……。いい気持ちはしない。




 ◇◇◇




 宿に戻り、アーシェルに尋ねる。

「アーシェル、大神官様がここでしばらくご奉仕して世間から距離を置き、神に祈りつつ休んではどうかとおっしゃっているわ。それともローゼンバルクに来る? アーシェルが望むならローゼンバルクの屋敷を出て、郊外に小さな家を借りて、二人で静かに過ごしてもいいよ」


「……ローゼンバルクには……戻れない。おじい……さまに顔向けできない」


 祖父はそうしたことを根に持つタイプではないけれど、良く知らないアーシェルにそれを言ってもしょうがない。顔向けできないことをしたという意識があるだけよかった。


「そっか……」

 腕力でなら、アーシェルを守る力がある。でも権力や、汚い、予想もつかない手を使って攻撃されたら私では太刀打ちできない。私は……所詮子どもだ。


 ローゼンバルクをイヤと言う。ならば当面神殿しかない。


 ドーマ様に相談の上、祖父にタンポポ手紙を出し、細々とした準備をはじめた。



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