第92話 断罪

 大神殿は約束通り、時を置くことなくアーシェルの適性審査の誤ちを、国に報告訂正した。

 王都に、貴族社会に激震が走った。


 神殿は一介の神官が勝手なことをした監督不行き届きということで、大神殿は世間に深々と頭を下げた。……それで終了。


 そして人々の注目はあっさりと、当然に、モルガン侯爵の不正申告に移った。

 誰もが、父は自分のメンツのために、神官を懐柔し、子どもの将来を潰したのだろうという結論に至る。あいつならやりかねない。上の娘のときも偽装したという話もある……という噂が駆け巡る。噂の出どころは……神殿だろう。


 その頃にはもう、一神官の失態などだれも思い出さない。大神殿はほぼ無傷だ。


 王家は事態を重くみて、関係者を王の御前で取り調べることになった。


「クロエ、アーシェル、こちらへおいで」

 大神殿に呼び出されて刻限ちょうどに来てみると、先に事情を聞いているらしいドーマ様に先導され、奥の部屋に通される。


 中には三人の神官と、水を張った、大きな甕があった。

 一人の神官は随分と若いが、ドーマ様よりも凝った刺繍の神官服を着ている。前回お会いしたカダール副神官長と同じくらいの金糸の刺繍……これからのイベント?の責任者、といったところだろうか? 金眼で紫の長い髪を背中で結わえている。超然とした雰囲気で、生粋の神官……と言った感じだ。魔法のレベルも高い。少なくともマスターだ。

 あまりじっと見るのも不躾なので、ドーマ様に視線を戻す。


「ドーマ様、ここは?」

「神殿の水鏡の間じゃ。高レベルの〈水魔法〉師の魔法によって、遠方の様子を見ることができる。他言無用……お館様以外には秘密じゃよ? 今回は大神官様のご好意で、入室を許された」


 ここにいながら各地の様子を知ることができるということ? 私も〈水魔法〉レベルはそこそこなのだが、全く仕組みがわからない。独学ではたどり着けないものなのだろう。


 ドーマ様が控えている神官に頷くと、一人の年配の神官が瓶に近づき両手を水面スレスレに広げ、複雑そうな魔法を繰り出した。


 この部屋の天井を写していた水面がゆらりと波打ち、青白く光った。すると、ワインレッドの壁の部屋に複数の人間が映し出された。


『へえ……これまた古い魔法がよく伝わってたもんだ。さすが大神殿ってとこだな』

 上空からエメルが呟く。瓶の真上に陣取ったようだ。


「ふむ、すぐそばに大神官様の指輪が見える。術師は大神官様の左横に立ち、部屋全体を写しているようだねえ」


「もしや、水面に写っているのは王宮ですか? 大神官様自ら出向かれていらっしゃるの?」

「うむ」


 だとしたら、大神官様は雛壇にお座りのはず。そして水鏡には映っていないけれど、右隣には国王陛下……。


 水鏡に衛兵に挟まれた、両親が現れた。

「ひっ!」

 アーシェルがビクッと体を揺らすので、思わず肩を抱く。


 両親が陛下に向かって跪くと、久しぶりに見る背中が映し出された。アベル殿下だ。


「さてモルガン侯爵、単刀直入に聞く。なぜ、嫡子アーシェルの魔法適性を〈火魔法〉と偽って申告した?」


「すごい、声も聞こえるのか……」

 思わず、後ろからミラーの声が漏れる。


 アベル殿下自ら問いただすようだ。学生ではなくなった殿下の声は聞いたことのない厳しさで、ピリピリとした緊張感が水鏡越しであっても伝わってくる。


「恐れながら、私には身に覚えがありません!」

 父が必死の形相で反論する。


「おや? モルガン領の神官はすでに懺悔をしているんだけどねえ。〈火魔法〉と偽ることで、多額の報酬と、高位の神官になる口利きを約束してもらったから嘘の届出を書いた、と」

「知らん! 殿下!本当に知らんのです! 何かの間違いだ!」


「ふふ、侯爵は大神官の厳正なる結論に異議を申されるか?」

 大神官様の声だ。


「い、いえ、大神殿に楯突く気など毛頭ない! その下級の神官が勝手にデタラメを言っているのだ! あの、モルガン領の神官は平民あがりだった。侯爵である私とどちらが正しいか、皆わかるはずだ」


「ええ、わかります。うちの神官の懺悔が正しいと」

 大神官様の穏やかで揺るがぬ声が、響き渡る。


「世迷言を! 大神官様ともあろうものが、平民の戯言を信じなさるか!」


「信じるとも……自白剤を使ったからねえ」


 画面に映る、全ての人々の目が大きく見開かれた。


 私がアーシェルに自白剤を使った話をすると、大神官様に一本譲ってほしいと頼まれた。侯爵家を相手にするのだから、慎重であらねばならぬ、ひとつまみの疑惑も残さぬために必要なのだと言われ、祖父に相談の上、2本お渡しした。試薬用と本番用。


「……欲に目が眩んだと言っておった。二度ともな。そして、言うとおりにしたのに大神殿に戻れなかったことに腹を立てておった。愚かなことよ。モルガン侯爵に神官の出世の口利きが出来るとは……ふふ、知りませんでした」


「つ、作り話だ! そいつをここに連れてこい! これまでの恩も忘れおって!」


「残念ながら、呼びたくともよべませんなあ。彼はもう、彼岸に行きましたゆえ」

「な……」

 父が絶句する。


「当たり前でしょう? 民を導く神官が道を誤るなどあってはならぬこと。神殿は独立組織。ゆえに規律はどの国よりも厳しいものです。ただの平民である彼は、きちんと懺悔し、自分で責任を取りましたよ」


 罪をなすりつける相手がいなくなり、茫然とする父に、アベル殿下が追い討ちをかける。

「モルガン侯爵、大神官はその神官の尋問の際に、王家の派遣した書記を中に入れてくれた。証言を書き留めた完璧な書類が手元にある。侯爵の発言は、王家をも侮辱したことになる」


 アベル殿下がカツカツと音を立てて歩き、父の目の前に立つ。


「証言には「二度偽装した」とある。つまり、姉である当時のクロエ侯爵令嬢の時も、うっかりではなく、作為的だったということだね。あの時は目をつむったが……二度も見逃すわけがないだろう?」


「し、しかし!」


「どうにも神官だけの責任にしたいようだ。こうも神殿を傷つけられるとは悲しきこと。アベル殿下、組織を守るものとして、私は自白剤を飲みましょう。侯爵とともに。それでどちらが潔白かわかるというのもの」


 大神官様、私の自白剤一本温存していたようだ。


「自白剤だと!? なぜそんなもの、侯爵たる私が飲まねばならぬ!」

 父の声が見苦しくも裏返る。


 すると、


「もう良い」


 ずっと昔聞いた、陛下の声……。

「大神官よ。希少な自白剤など使うまでもない。侯爵、残念だ」


 アベル殿下が振り向いて陛下の声に頷いた。久しぶりに見た殿下は、あの卒業パーティーからたった数ヶ月しか経っていないけれど、もう為政者の顔になっていた。彼は陛下の傍らに戻って言い渡した。


「モルガン侯爵夫妻に、バッガード島への終生の収監を言い渡す。領地やその他の件は王家及び閣僚にて時間をかけて取り決める」


 それまでずっと床を見ていた母が、錯乱したように泣き叫びだした。

「私は知らない! 知らないのです! 陛下! 私は関係ありませんっ!」


「関係ない、と言うことが罪ぞ。侯爵夫人」


 近衛兵の動きで、陛下が退出したのがわかる。


「お、お待ちください!」

 父が立ち上がり、追い縋ろうとするのを両脇の兵士が取り押さえた。


「モルガン、私はもうあとがないことを伝えておいたはずだ。改心し、まじめに生きればよかったものを。もはや何一つ温情はない。王家を謀った罪、謀りおおせると侮った罪、そして、クロエと弟を苦しめた罪、一生悔いて過ごすがいい」


 アベル殿下が手の甲を向こうに払うと、衛兵は両親をズルズルと引きずって退出した。

 そして、水鏡は波立ち、通信は途絶え、ここの天井のカラフルなステンドグラスが映った。


 私とアーシェルは二人して、膝の力が抜けてしゃがみ込んだ。

「クロエ様!」

 ミラーが慌てて私たちを覗き込む。


 とうとう……両親に鉄槌が下された。


「父上も母上も……私のことなど……一言も話さなかったね……」

 アーシェルがつぶやいた。


 後から聞くと、バッガード島とは船で二日かかる、西の海に浮かぶ孤島で、島自体が監獄。一度足を踏み入れれば、二度と本土を踏むことはない、というところらしい。


 これでとうとう、両親との縁が切れた。二度と彼らに傷つけられることはない。

 この日を……前世を思い出した日からずっと願っていた。


 それなのに、


 隣で、声もなく、ハラハラと涙をこぼす弟がいる。

 胸に込み上げるのは、虚しさだけだった。


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