第45話 大人の二人

 翌日午後、談話室に六人? が揃った。

 マリアの隣に私が座り、その肩にエメル。

 正面にベルンが座り、その横にホーク。

 一番の上座に祖父。


 昨日の事件のあらましをホークがマリアに説明する。

「本来ならば元凶であるゴーシュもここに呼び、マリアに存分に鞭打って欲しかったが、奴は昨夜奥方に『この女心のわからない最低野郎!』と、まな板でしばかれまして、今日は起き上がれませんでしたので、また後日ね」


「え……」

 マリアが青ざめる。


「『うわあ……』」

 昨日、祖父があっさりゴーシュを家に帰したのはそういうことだったのか。家できっちり制裁を受けるとわかっていたんだ。それにしても、ゴーシュの奥様、素敵……。息子のトリーが良い子なのは、奥様の教育がいいんだな。

 そしてうちの領では盗みは鞭打ち刑だった。罪状で回数は決まる。


「では、ベルン、お前からマリアに一言」

 ホークがベルンの肩を軽く叩き促す。


「……ご迷惑をかけて、すいませんでした。私がここにいれば君は居づらいだろうから、私はここを出ていきます」


 マリアが俯いたまま首を振る。

「いえ、もう過ぎたことです。ベルンさんは執事としてこのお屋敷になくてはならないかた。どうでもいい私こそ、すぐに荷物をまとめますわ」


「「「『はあああああ』」」」


 あまりに想定内の二人の応答に、その他四人は大きなため息をついた。

 二人とも、ただ穏便に済ませるための大人の対応だ。そこに二人の思いはない。


「クロエ」

 祖父に名を呼ばれ、私はポケットから細長い薬瓶を二本取り出し、テーブルに置いた。昨日のものと同じサイズだけど、中身はピンクではなくて透明だ。


「クロエ様、それは?」

 ベルンが研究者目線でそれを凝視する。


「これは昨夜、ホークとエメルと一緒に近場の洞窟で摘んできたスララ草で作った、いわゆる自白剤です」


「自白剤……?」

 何故そんなものがでてきたのかさっぱりわからないマリアは首を傾げる。


「ゴーシュのせいで、すっかり屋敷の重要人物である二人が拗れてわしはほとほと困っておる」


「重要人物……」

 重要人物である祖父に、重要人物と言われ、マリアはそっと頰を染めた。


「二人とも責任を取って身を引くと言うばかり。聞いてるわしらもスッキリせんのだから、お前らとてスッキリしておらんはずだ。どうだベルン。どうせ辞めるつもりならばこれを飲み、マリアを傷つける意図などなかったことを証明し、マリアを楽にしてやれ」


「もちろん、私とホークが昨夜飲んで、副作用なんかないのを確認したわ。味もほんのり青リンゴ味に調整したし」

『ただ、胸のうちをペラペラ喋りたくなるだけだ。クロエが実は青カビのチーズが嫌いな事が判明した。ビックリだ!』

「エメル!」

「いつも……文句を言わず食べてらっしゃるのに……」


「そうだな……質のいい酒を飲んだときと同じ感覚だ」

 ホークは試飲後上機嫌で、おじい様ラブを語ってくれた。祖父は赤面し、咳き込んだ。


「……これを飲む事で、マリアの気持ちが少しでも救われるのならば」

 ベルンは薬を一本取り、躊躇なく蓋を開けてグイッと飲み切った。


 目を閉じて、数秒。もう脳がふわふわとした感覚があるはずだ。


 ベルンがゆっくりと目を開けた。モノクルを机の上に置いた。

「マリア」

 マリアの体の力が入る。私はぴったりくっついて、膝の上のマリアの手を握り込む。


「惚れ薬を飲んだときのマリアは、正直なところ、人間ではない、そう女神のような美しさでした」

「……そういう薬ですもの」

 マリアの体が強張った


「でも、私は普段の、親鳥のようにクロエ様を守り育て、成長を喜ぶあなたの姿を見て、毎日癒されています。ああ、こんな情の深い女性と添い遂げられたら、どんなに幸せだろう……と夢を見ながら」


「え……そんなそぶり、一度も……」


「私はあなたよりも随分と年上ですからね。恥ずかしいし、プライドは高いし、エリー様に捨てられて臆病になったし、一生、口に出すつもりなどありませんでした」


「ベルンは、昨日の薬で美しくなったマリアに関係なく、それ以前からマリアを好きだということ?」

 私は子どもらしくストレートに聞いた。


「ええ。マリアが好きです。容姿も今のマリアのほうが親しみやすくて好きです。正直、美人すぎるのは……苦手です。また誰かに見染められ、私を捨てて出て行きそうで」

『その言い方もどうかと思うぞ?』

 エメルが呆れたように言う。


 本当に、自白剤効果抜群だ。私も心配でそっとマリアを見上げると、マリアは見たこともないほど真っ赤になっていた。


「クロエさま〜この薬、効きすぎだわ。この男がこんな熱烈な愛の告白をするなんて」

 ホークが背もたれにドスンと体を預けた。


「まあでも、ベルンすら抗えんのであれば、これから尋問で役に立ちそうだ。さて、マリア。ベルンがお前を侮るつもりなどなかったと、信じられるか」


 祖父の問いかけに答えず、マリアは突然、目の前の残った薬瓶をつかんでコクコクと飲んだ!

「マリア! マリアは飲む必要ないでしょう?」

 私は慌てて瓶を取り上げるけれど、既にカラ。


「わ、私だって、大恩あるお館様やクロエ様、そして……ベルンさんに私の言葉を信じていただきたいのです!」

 マリアが自分の手をギュッと握り込んだ。


「私は前の結婚での死産で、子供がもう授かれなくなりました。そのせいで婚家を追い出されました。私の胸の中はあの子を失った悲しみと、その仕打ちへの怨みでいっぱいです。クロエ様を可愛がるのも、奥様よりも私に懐いて欲しかったから。もう産む事ができない私の子どもにしてしまいたかったからという私欲です。私は褒められる女ではないのです」

 マリアの目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。


「マリア! それでも! マリアの亡くした赤ちゃんの代わりだったとしても! 私はマリアのおかげで幸せだったよ!」


 マリアが泣きながら首を横に振る。

「子どもも生めない、性格の悪い私が、幸せになんかなれっこない! でも、ここでの生活は日々楽しくて、私もやっぱり、幸せになりたい! なりたい……」


 マリアがグスグスと鼻水をすすりながら、痛々しい独白を続ける。


「ベルンさんの昨日の薬の発言、結局偽りの幸せしか私には提示されないんだって、卑屈にも思ったのです。全て、私の心の問題なのです。冗談と笑いすごせばよいものを、そうできず、事を大きく……」

 時折嗚咽しながら、泣き続けるマリアの背を一生懸命さすっていると、ベルンがキレイにアイロンがけされた白いハンカチを静かに差し出した。


「マリア、あなたも私ももう隠し事はない。その上で、私とお付き合いをしてくれませんか? もちろんできれば私のことを好きになってほしいと思ってます」


「お付き合い……」

 マリアがそっと顔を上げて、ベルンをうかがう。マリアの瞳に、これまでになく真剣で、緊張したベルンの顔が映ったはず。


「そう、あなたも私も、今度はゆっくり、順を辿ってお付き合いしたほうがいいと思うのです。マリアは子が授からないのが一番の問題と思っているようですから敢えて話題にしますが、私はこの屋敷でクロエ様とジュード様の成長をこれまで同様楽しめれば十分です。もしマリアが子どもが欲しければ、養子を考えればいいでしょう?」


「ああ……」

 今日はそばにいないけれど、私の愛する兄は養子だ。だけど誰もが認める家族だ。家族は血のつながりだけではない。

 私の自白剤の効果は丸一日。ベルンの言は全て、本心だ。


「お嬢様……」

 ベルンの真っ直ぐな視線に負けたマリアが、うれしいような困ったような、泣き笑いの顔で私に助けを求めた。


「マリア、図書室にあるミサ伯母様の残したたくさんの恋愛小説を参考にするとねえ、こういうときは、『お友達からお願いします』って言えば間違いないんだよ? それと、惚れたほうが負けなんだって。だから、マリアが勝ってるのよ! 安心して!」


 マリアは私をギュッと抱きしめて、恐る恐る、ベルンと向き合った。


「お、お友達から、お願いします……」

「うれしいです。マリア」




 ◇◇◇




「ほらー! クロエさま〜! やっぱり俺の手柄じゃーん!」

「うるさい! ゴーシュはすることが雑なの! 結果的にうまくいったからいいものの、マリアを泣かせたこと、私はまだ怒ってるんだからねっ!」


 とはいえ、謹慎の明けたゴーシュは、げっそり痩せて、顔は青痣が治りかけの黄色に変色していて痛々しくて、私の怒りも続かなかった。


 それに、

『クロエも悪い。薬の管理に例外を設けるな! 身内であれうかつに他人の目の前に晒してはダメだ!』


 エメルの言う通りだ。劇薬も含む私の薬。反省し、今後はエメルと祖父と相談した後でなければ、マジックルームから出さないと決めた。

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