第77話 ダンス

「クロエ、お久しぶり。元気そうだね。よかった」


 背後からの声に振り返ると、濃紺の品のいいスーツを着たシエル様だった。

 観念してドレス姿で膝を折り、完璧な礼をする。前世の所作は今世の体にも染みついている。


「踊ってくれる?」


 手を差し出した、本日の主役の卒業生である侯爵令息に断ることなどできようか?

 ダイアナに目配せし、そっとシエル様の手を取る。二人でダンスフロアに向かうと、先ほどと違ってスペースを開けられる。シエル様の腕が私の腰に周り、踊り出す。


「シエル様、改めましてご卒業おめでとうございます」

「ありがとう。クロエ」

「聞いていいのでしょうか……あの、卒業後の進路は?」


 シエル様はキョトンと、珍しい表情をしたあとで微笑んだ。

「……ふふっ、知らないんだ。まあまあの噂になったのに。私は王宮に入り、文官スタートだよ」

「上級職試験、合格されたのですね! シエル様、さすがです。やっぱりあの卒論書かれただけはあります!」

「私の卒論読んでくれたの?」

「はい、先生に少し早いのですが卒論の書き方の指南をお願いしたら、一番素晴らしい例ということで、拝見させていただきました」


 国の高級官僚への道は、時勢が一見落ち着いている今、人材がだぶついていて狭き門だと聞いている。

 シエル様は侯爵嫡子、正直なところ侯爵領の運営を学ぶという理由で官吏になどならなくとも良いのだ。

 とはいえ父親である現在侯爵はまだまだお元気だし、辺境のように嫡男自ら魔獣討伐にでなければいけないわけではないから、確かに領地に引っ込むのはもったいない。その優秀な頭を是非国のために使っていただきたい。


「そう……ちゃんと試験を受けたよ。これしきコネなどなくとも通過できる……」

 どうやらどなたかに、気に触ることを言われたようだ。眉間にシワを寄せている。私は気を逸らそうと繋いだ手をキュッと握った。


「将来的にはどのようなお勤めを望まれているのですか?」

「……外交官だ」

「シエル様! 是非! 是非! 辺境の我が領にも目配り願います! 外交がきちんと働けば、我が領は隣国と小競り合いをせずに済み、魔獣に特化できるのです! うわあ、外務方に知り合いができるなんて心強い……あ、申し訳ありません。調子に乗りすぎですね」


 シエル様は横に首を振り、ふっと表情を和らげた。


「クロエは本当に……先入観がないね。皆、私は宰相府に入り、親と同様将来宰相になる。アベル殿下の側近としてこれからもずっと殿下のそばを離れないと思っている。そんな約束されてもいない不確かな将来など、あてにできるものか」


 確かに、殿下の側近など、いくらでも替えがある。殿下の気分一つで簡単に首を切られるのだ。……婚約者すら、そうなのだから。

 でも、かつての私と違い、シエル様とアベル殿下にはきちんとした信頼関係があると思う。


「外交官であれば、十分にアベル殿下を支えることができます」

「殿下もそう言ってくれる。それぞれに見合った場所で活躍し、国を支えて欲しいと。私は魔法はからっきしだからね!」

 シエル様がウインクしながらターンする。


「そばにいるとは……物理的な距離だけではないと思います」

「でも、物理的な距離が近いと話しやすい。今、私はクロエとこうして踊るのがとても楽しいよ」

 シエル様がイタズラっぽく笑い、難易度の高いステップを踏みはじめた! 私には笑う余裕がなくなる。


「先ほどから私がステップを間違うたびに、笑ってますよね……」

「だって、楽しい。完璧ではないクロエを見られるなんて」

「シエル様の前で倒れていたではないですか? 私は完璧などではないですよ?」

「あれは、笑える事態ではなかっただろう?」


 曲が終わった。

 シエル様が問答無用で私をダイアナが待つ元の場所ではないスペースに導く。

 行先がわかり、心の内でウンザリしていると、シエル様がヒールをはいても小さな私の耳元に体を傾けて囁いた。

「クロエ、覚えておいて。私も婚約者、まだいないから」


 それに反応するより早く、王族しか使えない金糸を用いた刺繍入りの真っ白なスーツに身を包んだアベル殿下のもとにたどり着く。後ろには大勢の取り巻き。初めてみる上級生と……ドミニク殿下。謹慎は終わったようだ。


 この卒業パーティーは一応学生主催のために、今年度の卒業生と在校生と教職員しか参加できない。ドミニク殿下の取り巻きは、前世見た顔ぶれと変わらないようだ。

 今日は……ガブリエラはいない。謹慎が長くて、隣のクラスのガブリエラまでは親交を深めていないのかもしれない。

 そして婚約者らしい女性もいない。ひょっとしたら年下で入学前なのだろうか? 私のように、疎外されなければいいけれど。何にせよ、今日はアベル殿下が仕切ってらっしゃるから問題ないだろう。


 アベル殿下がフワリと笑った。シエル様もアベル殿下の斜め後ろに戻る。


「クロエ、そのドレス、よく似合っている」


 殿下の王族らしい通る声に、周囲の目が一斉に、私の草色に真珠の露が煌めくドレスに注がれる!


 一瞬考える。シエル様に庇護を求めて逃げるか? 正面から受けて立つか?

 ……立ち向かう一択だ。今世の私はローゼンバルクの娘なのだから。


「アベル殿下、ご卒業おめでとうございます」


 私は跪き低頭し、最高位相手に対する礼をする。

 粗野なローゼンバルクの娘が、予想以上の作法を身につけていることに、殿下の後ろの貴族たちが息を呑む音がする。


 カツ、カツと足音がして、殿下の爪先と指先が視界に入る。

「クロエ、踊ろう」


 差し出された手をゆっくりと取ると、体が引き上げられダンスフロアへ誘われる。

 踊っていた全員が場所を空けた。


『見せ物かよ……』

 エメルの囁きを耳がとらえる。


 楽団も一旦演奏を止め、私と殿下のためだけのダンスタイムが始まった。


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