第78話 片想い
私の腰に、殿下の腕が回り、ゆっくりとした曲に合わせて一緒に足を踏み出す。
曲に体が乗ったところで、上方にある綺麗なブルーの瞳を上目遣いに睨みつける。
「……殿下、ひどいです。散々静かに生きていきたいと言っておりますのに」
「ごめんねクロエ。友人としてこうして会えるのも今日が最後だから。ドレスを着てくれてうれしいよ。とても似合っている。クロエは本当に……美しい」
建前上、同じ学生同士なのだから身分や立場は気にせず無礼講という体のこの学校。あくまで建前上。
だが、明日からはその建前すら消え去る。殿下と私の間には高い高い壁ができる。直接言葉を交わすことなど、ひょっとしたら生涯ないかもしれない。
なんのかんの言いつつ、恐れ多くも長い付き合いだ。情がある。きちんと祝い、お別れをしたほうがいい。
「殿下、先ほどシエル様にもお願いしたのですが」
「ああ、何を親密そうに話していたのか、とても気になっていたよ。何?」
「たまにはローゼンバルクが辺境で国土の防衛のために頑張っていることを思い出してくださいね」
「……ふふっ、そんな色気のない話だったのか。大丈夫だ。私がクロエ……ローゼンバルクを忘れることはない。折に触れ上がってくる報告を確認し、物資、必要な人材をよこすようにする」
「ありがとうございます。辺境から殿下の活躍を祈り、陰ながら殿下のために汗を流します」
殿下が私をクルリと回す。エメラルドのドレスの裾が優雅に開く。
「そうか……先日、モルガン侯爵とお会いする機会があってね。これ以上私の大切な友人に苦労をかけるようであれば、君の活躍する場はどこにもなくなると、釘を刺しておいたから。王家の目を侮るな、と。次にクロエが傷ついた瞬間、証拠の有無に関わらず、地獄行きだ」
驚愕し、目を見張る。
「殿下……なぜ……」
「私たちは……同士で……友人だろう?」
「友人だなんて光栄です。でも、それにしても、あくまで家庭内のトラブルですのに」
ルルへのウソ八百の吹き込みや、母が押しかけてきた件で、祖父は父にかなり物騒な最後通告をしたらしい。でもあの人は愚かだから引き際がわからない。このまま大人しくしてくれればいいけれど……どこか不安が拭えずにいる。
そんな私の気持ちを読んで、力をふるってくださったの?
「統治者としたら、侯爵よりもクロエのほうがうんと優秀だからクロエを優先した、という答えになる。正直侯爵は高位貴族としても、騎士団の武人としても大した働きを見せていないよ。私人としてはクロエに生涯私の治世を見届けてほしいから、だね。遠く離れていても、クロエが私を、その私欲のかけらもないくもりなき目で監視していると思えば、ヤル気になる。だから、機会を逃さず対処した」
「そんな大きなお役目、私には無理です」
「クロエはいつもどおり、薬を作り弱者を助けていればそれでいい」
殿下はそう言うと、穏やかに笑った。
私は王家相手に常に不敬すれすれの態度だったというのに、ここまで私を買って、気にかけてくださっていたとは……。
「殿下に……最高の利き目を保証する、ポーションを毎月送りますね」
「できればレモン風味にしてほしい」
私たちは見つめあって、ダンスをただ楽しんだ。
「今日踊った三人で、誰が一番上手かった?」
「ダントツでシエル様ですね」
「そこは、空気を読んで、殿下ですと言うところだろう?」
「天は二物を与えず、と言いますでしょう?」
「私の一物は……〈光魔法〉っていうこと?」
「いえ……諦めないこと、ですね。私は諦めない殿下を一生見習って、精進していきます」
〈光魔法〉でMAXになることを決して諦めなかった殿下。こんな小娘に頭を下げることも厭わず……運命を自ら切り拓いた。
「……そうか……君は私のそこを、評価してくれるのか……」
殿下は急に私の腰に置いた手を引き寄せ、私の肩に額を乗せた。近い!
「で、殿下? 具合でも悪くなりましたか?」
「……他ならぬ君との約束だが……ああ、守れない。私は諦めが悪いから。クロエ、私は君をあ……」
「クロエさま〜! お腹痛ーい!」
静寂を切り裂く馴染みの声が聞こえたせいで、皆音もなく、固唾を飲んで私たちの動向を見つめていたことに気がついた。グイッと肘を伸ばして殿下と距離を取り、声の主を探す。
「ダイアナ?」
ダイアナがダンスフロアの隅で蹲っている。
「時間切れか……」
殿下はそう呟くと私から手を離した。
ダイアナに駆け寄ろうとすると、
「待て! 兄上とのダンスよりも、お前は従者を優先するのか?」
ドミニク殿下が反対側から叫ぶ。
「恐れながら、アベル殿下は本日ご健勝のご様子。従者が体調を崩せば、その面倒を見るのが主の務め」
「お前は、ここまで兄上に目をかけてもらっておきながら……」
「はい、このように私はとても非常識なのです。ゆえに、皆様がたの居場所に割り込むことはありません。ご安心ください」
「……信じられない……」
「ドミニク、めでたい祝いの席の雰囲気を壊すな。クロエ、早く行ってやるといい。再会する日まで元気で」
私は深く頭を下げて、早足でダイアナのもとに向かった。
◇◇◇
痛みに顔を歪めるダイアナに肩を貸して、ゆっくりと講堂を出ると、思いがけない人物が待ち受けていた。
「お兄様?……どうしてここに」
闇に溶けそうな、漆黒の旅装束に帯剣姿の兄がローゼンバルクの馬車にもたれて腕を組んでいた。
ゆらりと体を起こし、私の前まで歩み寄る。
「クロエは二度と王家と関わりあいたくないと言った。もしお前が強引に連れ去られるようなことがあるならば、全力で阻止するためだ。例え、国を敵に回すことになってもね」
空気が小さく揺らいだ。私はここに来ているのが兄だけではないと知る。ローゼンバルクの……領主直属の私すら素性を知らない影の部隊を……引き連れてきている!
「そんなこと……」
私が目を見開き、言葉を続けようとすると、兄が珍しくそれを遮った。
「十分あり得たぞ。草の集めた情報ではアベル殿下は卒業後、良き日を選び立太子することが内定している。その殿下が、この衆人の前でクロエを抱き、クロエを妃にすると宣言すれば十分な既成事実となり逆らえない。クロエは王家に絡めとられ逃れられなくなる。かつてクロエは自分より弱い男には嫁がないと言ったが、腕力でどうこうできる話ではなくなるのだ」
そんなこと……高潔な性格のアベル殿下は無理じいなどされないと思うけれど……
「お兄様は領から……その可能性を考えて?」
私がやむなくパーティーに参加することを聞いて、万全の準備で駆けつけてくれたと?
「もちろん、クロエが自分の足で王家に行くというならば……祝福するが?」
兄が右眉をピクリと上げた。
「ありえません! お兄様は前世も何もかも、全てをご存知なのに、どうしてそんな意地悪を言うの?」
思わず口がへの字になる。情けないことに涙がじわりと浮かぶ。
「そうだな。意地悪……だったか。ごめん。クロエが二度と戻らないかもしれないと思って……余裕がなくなった」
兄がマントをから手を出して私の肩を抱き、頭をポンポンと叩く。大きな兄にすっぽりと包まれる。
「許せクロエ。さあ、帰ろう。ダイアナ、ご苦労様」
「はっ!」
ダイアナは何事もなかったかのように自力で真っ直ぐ立ち、後ろに下がった。
『ジュード、ダイアナの機転に救われたぞ? クロエは自分の価値がわかっていないから本当に危なっかしい。特に前回出会わなかった人間に油断している。まあいざと言う時は俺が咥えて飛んだがな!』
「ダイアナ、昇給だ」
私は兄に導かれ、エメルと三人馬車に乗り込んだ。扉が閉まった瞬間、走り出す。
あっという間に学校も、ダンスもパーティーも遠い世界になった。
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