第125話 【書籍化記念SS】卵の中

 オレはドラゴン。現在柔らかな殻の中にいる。


 ドラゴンは運よく番を見つけ、子を授かる場合もあるが、悪環境のためにだんだんと種を減らし、そういう繁殖は稀なものになってしまった。


 大抵は〈魔親〉と死別すると世界中を旅をし、数千年生きて、孤独に死ぬ。そのときに自分の身代わりとなる卵を産む。自分の培った英知を世界に残すために。自分の生きた証を残すために。


 しかし、その単体繁殖すら危うくなってきた。卵を孵化させるだけの魔力を持つヒトが減ってしまったのだ。


 殻の中のオレは自我が芽生えた途端、何代にも及ぶ先祖のドラゴンたちの膨大な経験と知識が宿った。それと同時に直前の親で、今自分を殻ごと包んでいるガイアの感情が流れてきた。それは諦めだった。オレはああ、誕生できないのだな、と達観した。

 ガイアの記憶によると、長き生の時間、一度も同胞に会うことはなかったらしい。どれだけ寂しい一生だったのだろう?


 そう思っていると、それを否定するかのように、明るくほのぼのとした記憶が浮かび上がる。若いガイアが大海原を渡りながら首を後ろに回すと、ガイアの背中に乗ったいかつい顔の男がニカッと笑った。ああ、こいつがガイアの〈魔親〉か。


「ガイア、今のクジラの群れ、見たか? ビューっと潮を一斉にだして面白かったなあ」

『ふふふ、そうですね』

「ガイア……すまねえな。俺が厄介な病気になったばかりに、こんな遠くまで薬草を探しに付き合わせて……」


 男は明るい声と裏腹に、顔は青白く、体は骨が浮き出るほどに痩せていた。


『……あなたが厄介なのは今に始まったことじゃないですよ』

「ははっ! 違いない!」


 そしてガイアの記憶はこのあとすぐに最愛の〈魔親〉が病で命を落とすことを教える。

 しかし、その〈魔親〉との時間は光の矢のように一瞬だったが、確かにそれは幸せだった、あの数十年があるだけで生まれてよかったと思うほどに……と伝えてくる。あの〈魔親〉との思い出が胸にあるだけで、同胞に会えずとも寂しくなかったと。


 羨ましいな、とため息をこぼして、オレは目を閉じた。



 ◇◇◇



 息苦しくて目が覚める。ずいぶんとガイアから与えられる魔力が減っている。覚悟はしていたが、あと一年は持つと思っていたのだが……するとガイアの思念が飛び込んできた。


 そうか、残り少ない魔力を細々と使い、生き繋ぐのではなくて、ダンジョンをこさえて、強者を手繰り寄せることにしたのか。また大きな賭けに出たものだ。しかし悪くない。オレはこの勇敢な親を好きになった。この親と二人で死ぬのなら諦めもつく。


 静寂だった世界に数多くの人間の気配、魔力が漂いこむ。ガイアがそれを慎重に選別し……大きなため息が聞こえる。なかなかお眼鏡にかなう人間は現れないようだ。


 ダンジョンは開くのもそうだが、維持にも魔力を使う。魔力は命そのもの。日々それを削り続けるガイア。そんな中でも俺への魔力だけは注いでくれていたのだが……今日は昨日の半分、もはや限界か?


 だとしてもあっぱれな判断だったと、オレはガイアに向けて魔力を放つ。するとガイアはオレを殻ごと腹の下の奥の方にしまい込んだ。

 ドラゴンはキラキラ光る宝を集めて、腹の下に隠すのが習性だ。オレのことも最後の最後まで大事に守ってくれるつもりらしい……。




 ◇◇◇




 グルッというガイアの唸り声で目を覚ます。殻越しでも尋常でない魔力を放つ何かが、上方を動き回っているのがわかる。


『まあ待て我が子よ……託せる相手か……見極めねば……』


 オレが興奮しているのがわかるのか、ガイアが殻の上からたしなめた。


『……これはまた珍妙な……面白い。うむ、賢き童じゃぞ? よかろう。我が子よ……別れの時じゃ。我らは常にお前とともに在る……良き旅を……』


 空気がざわめく。現実の人間の声が聞こえる。ガイアが試している。そしてあたりが明るくなる。ガイアが卵を安全な腹の下から外に出したのだ。


 そして、春先の若葉のような光を放つ、ほのかに暖かい魔力が卵の中に流れ込んだ。それは体中を包み込み、じわじわと心まで染み渡る。これは……確かに命だ。〈魔親〉とは命を分け与える存在なのだ。


『ああ……この〈草魔法〉があれば、あの時も救えたかもしれない……いや、もうよい。ようやくあなたに会える……クラウス……』


 そう呟きながら、ガイアは残った全ての魔力を、オレの〈魔親〉に与えて果てた。


 どうやらオレの〈魔親〉は〈草魔法〉らしい。あの、記憶の彼方の陽気で優しい男を救えたかもしれない魔法。今後、オレの前に現れるかもしれない美しい魂の同胞や人間を救うことのできる力……悪くない。


 小さな腕の中に抱き上げられたことを知る。ようやく生きながらえたことが身に沁みる。小さくともガイアが認めた人間だ。

 オレはとりあえず、ずっと足りていなかった魔力をぐいっと吸収すると、易々と思った以上の魔力を与えられた。抜きすぎたか? と慌てて様子を探ったが、〈魔親〉の魔力はまだ十分にその身に蓄えられ、卵を抱いたまま体勢も変えず、仲間と喋り続けている。

 ガイアの目に狂いはなかった。ようやく安心して深い眠りについた。



 ◇◇◇




 次に意識を浮上させたときは、明るい光に包まれていた。どんな地上かはわからないが環境は良いようだ。そして、肌と触れ合わせてくれていたのか? 魔力も満タンだった。


 そしてなぜか、自分の体内に〈氷魔法〉も含まれていた。まさか〈魔親〉が増えた? それも清らかな……そして痛みを知っている、苦労して蓄えられた魔力。なんとありがたい。ドラゴンは潔癖だ。肌に合わぬ淀んだ魔力で生きながらえるくらいならば死を選ぶ。


 これで確実にオレは生きる。この二人の〈魔親〉の生涯を命懸けで守っていこうと自然に思えた。


 魔力不足の心配がなくなったことで、オレは冬眠状態に入った。ずっと生か死かの緊張を強いられていたオレには長い休息が必要だった。たまに目を覚ましては、外の声に耳を澄まし、状況を探り言葉を覚える。いつでも単調な人間の営みが聞こえることに安心して、また目を閉じる。

 オレの〈魔親〉はクロエというらしい。氷はジュード。魔力から感じられる喜びや期待に、心が沸き立つ。早く時が満ちて、会いたい……。




 ◇◇◇



 そして……


「わあ……はじめましてかなお久しぶりかな? 私はクロエ! よろしくね」


 オレのエメルとしてのドラゴンの一生が、幕を開けた。




※本日、草魔法師クロエ発売しました。

皆様の応援のおかげです。ありがとうございます。

今後ともクロエとエメルをどうぞ宜しくお願いします。

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