第10話 義兄 ジュード・ローゼンバルク辺境伯嫡男

 



 ◇◇◇




「クロエ様はお休みになられましたか?」

 隣を走る、古参の側近ホークが、金髪をなびかせながら辺境伯リチャードに声をかけると、主は小さく頷いた。


「クロエ様……しばしお預かりしましょうか?」


 リチャードがさっと毛布をまくり上げると、リチャードとクロエ様は植物の蔓で幾重にも巻かれていた。毛布は再び素早く巻き付けられる。


「なんと……素晴らしい……まだこのように幼いのに、ご自身の魔法を自在に使いこなしてらっしゃるのですね」


 後ろから会話に混ざるためにやってきた、一際体格のいい、明るい茶色の短髪のゴーシュも目を見張る。

「これは……草のレベルはわかりませんが……40は超えてるんじゃ?」


「……必要に迫られて、身につけたものだ。いい気持ちはせぬ。十年ぶりに現れた魔獣どもへの対処のために一年近く家を空けていたせいで、あの悲壮な手紙に気がつくのが遅れた…… 忙しさにかまけて、草の報告も己で目を通さず……エリーがここまで……」

 リチャードの声は暗い。


「ですが、だからこそ、よく一人で頑張ったと褒めてあげるべきですよ! お館様。まだ、こんなにお小さいのです。全てを褒めてあげて差し支えない歳です」

 ホークが力説する。


「うむ……ジュード」

 先ほどから口を挟まず、じっと耳を傾けていた、もう一人の供である少年が、さっと、リチャードの横に自身の馬を寄せる。リチャードを真似るように、水色の髪は後ろで束ね、青い瞳でクロエを見つめる。


「はい」


「ワシはそう簡単にくたばるつもりはないが……次期領主として、お前がクロエを守るのだ」

「…………」


「どうした? 返事は?」

「血の繋がったクロエ様が……領主になったほうがいいのでは?」

「領主はお前だ。ジュード。お前はわしが育てた。わしの子だ」

「……はい」


「ジュード様、クロエ様は随分と辛い目にあってこられたようです。領主としてシゴくよりも、甘やかしてあげましょうや」

 ゴーシュがにぱっと笑った。


「そうですそうです。領主となるジュード様は、これまで同様我らビシバシしごきますがね〜!」

 ホークも合いの手を入れ、そして、

「そういえば、クロエ様はお館様の娘になられたから、ジュード様にとっては叔母さんか?」


 ジュードはリチャードの嫡男でクロエの母エリーの兄であるポアロの養子だった。そのポアロは二年前、隣国との小競り合いで戦死した。


「ジュード、クロエのことは呼び捨てでよい。お前が保護者なのだから」

「……はい」



 ◇◇◇




 私が次に目が覚めたときは、漆黒の中だった。一瞬動揺したが、祖父の温もりが全てを思い出させて落ち着かせた。


「起きたか?」

 頭上から、すでに誰よりも信頼できる、ぶっきらぼうな声がする。


「はい……おじい様、夜も駆けるの?」

「同盟を組んでいる土地の宿までは走る。昼には着くだろう。そこで休み、馬を替えてまた進む」

「そうですか……」

「異存があるか?」

「いえ、でも、おじい様は疲れないの?」

 祖父は鼻でフンと笑った。

「戦争中の敵陣を駆け抜けることに比べれば、旅行のようなものだ」


 なるほど。


 それにしても、何の道しるべもない漆黒の荒野だ。

「おじい様はこの道に慣れているの?」

「いや? 今回の往復のみだ。何故?」

「迷いなくすごいスピードで駆け抜けてるもん」

「……暗闇ではない。空を見ろ」


 私は祖父に寄りかかりながら、頭上を仰いだ。

「わあ……」

 無数の星空が広がっていた。

 思えば前世、下や後ろばかり見て、空を見上げることなどなかった。

「きれい……広い……」

 これからは、空だけでなく、あちこち見てまわろう。自分を疎ましく思う人々のなかにとどまったりせずに。


「おじい様は星を頼りに移動しているのですね。素敵! 私にも教えてください!」


「……ふむ」


 隣からクスクスという笑い声がした。

 祖父の腕のなかからひょっこり覗くと、モルガンの父の書斎から一緒にいる金髪の護衛がすぐそばにいた。


「クロエ様、お館様にそんな繊細な技はありません。まにうけてはダメですよ」


 どういうことだろう。私はコテンと首を傾げた。


「ああ、私はお館様の付き人を長く務めておりますホークと申します。クロエ様。お館様は我がローゼンバルク領から王都まで、地下に木の根をはって来られたのです。ゆえにその根を辿って帰っているだけなのですよ」


「……木の根を……地の下に伸ばして……?」

 そんなことができるの? 全く思いついたことのない魔法の使いかただ。

「あの、この方法は、ローゼンバルクでは常識なのですか?」


「近距離であれば、案外使いますね。ただ、ここまでの距離ですと〈木魔法〉のマスターレベルは必要でしょう」


 祖父を見上げる。祖父の魔法は高度で柔軟だ。まだ会ったばかりというのに誇らしい。


「おじい様、カッコいいです。私にも〈木魔法〉、教えてくれますか?」

「…………お前の根性次第だ」

「が、頑張ります!」


「よかったっすね! お館様!」

 逆サイドの馬に乗る、筋骨隆々の男からも声をかけられた。


「クロエ様、オレはゴーシュと申します。よしなに。ああ俺は妻子持ちなんで、惚れないでくださいよ!? クロエ様、お館様は〈木魔法〉を伝授したくてウズウズしてるんです。でも天才肌だから教えかたがヘタで、誰もついてこれねえ。なあ、ジュード様!」


 ホークが後ろに向かって叫んだ。祖父の肩越しに覗くと、しんがりをピタリと走ってくる若者が……いえ、少年?


「クロエ、ジュードだ。ワシの孫で、ローゼンバルクの次期領主だ」

「つまり……私のいとこですか?」

「そうだな。ワシのいないときはジュードを頼れ」

「ジュードお兄様。えっと、おにいさまとお呼びしても? よろしくお願いします」

「ああ」


 彼は、私と目を合わせなかった。どこかでやはり、と思う。

 私は若い男性から、好まれるタイプではないのだ。前世から。


 なるだけジュードの邪魔にならぬよう過ごそうと、誓った。




 寝たり起きたりしているうちに夜が開けた。途中二度ほど、水場で馬を休ませたが、それ以外はノンストップで走り続け、昼前に目指していた宿場街に着いた。


「おじい様、全行程のどれほど進んだのでしょう?」

「……四分の一だな」


 街で一番大きな宿に入ると、従業員総出で出迎えられた。

 祖父が馬を降りた途端、疲れ切った馬たちは引き取られ連れていかれた。お疲れ様だ。

 私は祖父の腕に抱かれたまま、祖父が支配人に挨拶を受けるのを聞いている。


「これはこれは、小さなお姫様とご一緒なのですね……お部屋はいかがしましょうか?」


「……三部屋用意してくれ。ワシ、従者二人、それと子供部屋だ。ジュード、クロエの面倒を見ろ」


「「え!」」


 ここまでポーカーフェイスだったジュードが焦った顔をした。

「お、おじい様、私、どこか隅っこで大丈夫です。ジュードお兄様にご迷惑はかけられません!」


「……六歳児が何を言っておる。ジュード、子どもの面倒くらい、見れるな?」

「……はい」


「では、ワシらは寝る。ジュードはクロエの必要なものを一緒に店に行き買い揃えてやれ。ああ、なんか食べさせておけ。クロエは痩せすぎだ」


 祖父はなんと、ポイッと私をジュードに放り投げた。彼は目を見開き、慌てて両手を広げてキャッチした。

「ご、ごめんなちゃい! あ! 噛んだ……」


 ……どうしてこのタイミングで噛むかなあ……ひたすら恥ずかしく、ジュードの肩に額を擦り付ける。


「……なんだ、こんなに小さかったのか……そうだよな……たった六歳だもんな……」



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