第123話 卒業式
「そういえばさあ、二年生のクロエ先輩。クロエ先輩は学校のこと、とーっても疎いじゃないですか?」
リド様が急に学校内でよくする、ふざけた先輩呼びをはじめた。
「……なんです急に? 疎いっていうか、他の関心事に気持ちが向かってるだけです」
「学校での社交の重要性をものともしないクロエ先輩、かっこいい!」
「リド様だって、変装してるくらいです。似たようなものでしょう?」
茶化すリド様を睨みつけると、リド様は頬杖をついてニヤリと笑った。
「私だって貴族の社交はクソだと思っていますが、情報はきちんと取り入れていますよ? ねえクロエ先輩、今度卒業する四年生のルルって女性、ご存知ですか?」
リド様の口から出てくるはずのない人の名前が飛び出し、瞠目する。
しかし、ご本人が言う通り、しっかり情報収集していれば、あれは耳に入る騒ぎだったのだろう。たとえリド様が入学前の話であっても。
『ルル……ねえ……』
エメルがヒヤリとする冷たい声を耳元で発する。エメルはルルに悪印象しかない。〈魔親〉の私が命を捨てそうになった事件のきっかけだったから……。
「ルルは私の……最初の……五歳のころの友達です……大切な……」
「……我らモルガン家の被害者です。我々が罪なき庭師一家を陥れた」
アーシェルが顔面を蒼白にしながらそう言い、救いを求めるように両手で印を結び祈った。アーシェルの耳にも入っていたのか……。
「アーシェル、当時六歳のあなたにはなんの責任もない」
「……姉上は私が両親に甘やかされているあいだ、その人と師の存在で生を繋いでいたんですよね……唯一の師を、父が……」
「アーシェル!」
私はアーシェルの震える拳を両手で包み込む。
「やはり君たちにとって重要人物なんだねえ」
リド様が私たちの深刻な雰囲気など意にも介さず、ふんふんと頷く。
「とにかく、彼女自身はなかなか優秀な成績で卒業するんだ。しかし、彼女がモルガンとローゼンバルクとゴタゴタがあったことは案外知れ渡っていてね。就職に際し、王宮の文官や、商会の事務方などいろんな職業に応募したようだが……全てダメだったようだ」
「ルル……」
もしルルが困っていたら、なんでもする気持ちはある。だがローゼンバルクの領政に携わる仕事は彼女自身が嫌だろう。
さらにローゼンバルクは良くも悪くもほぼ完結した組織で、紹介できる王都の優良な就職先など手持ちにないのだ。
ローゼンバルク領内の商店などであれば、ギリギリ働いてくれるだろうか? それよりもいっそアルマン商会に頭を下げようか……王都を離れがたいならば……。
そのようなことをうつむいてツラツラと考えていると、リド様があっけらかんと言った。
「でね、クロエに恩を売るチャンスだから、私が声をかけたんだ。信徒との調整役のような神殿の下部組織で働いてみないかって?」
「え?」
呆気に取られた。慌ててアーシェルからリド様に向き直る。
「リド様……とってもありがたいお申し出ですが、恩を売るって……私に恩を売っても、何も出てきませんよ」
「そうかな? クロエに恩を売れば、グリーンドラゴンに会わせてもらえると思ったんだけど? ああ、その女の前にはドラゴンが現れたらしいね。全くもって羨ましい」
『「…………」』
「でもね、断られた」
「え、ルル……どうして……」
懐かしのあのトムじいたち庭師の作業部屋には、小さな祭壇があり、ルルはトムじいをまねて、毎日花を供えていた。神殿のこと、ジーク神のことを真っ直ぐに敬っていた。信徒にとっては名誉なお仕事なのに断ったの?
リド様がずいっと私に身を乗り出して、目を合わせた。
「『姫さまの足を引っ張るような真似はしない』んだって」
「な……」
「こうも言っていた。『就職活動に全部落ちて吹っ切れた。やはり小さな頃の夢を追って庭師になる。〈草魔法〉だけでなく、〈岩魔法〉も使った庭作りを学ぶために南部の知り合いの庭師に弟子入りする』って。学校で学んだこと、まるっきり無駄になっちゃうね」
「ルルが……庭師に……」
「でも、いい顔していたよ? ふふふ、この情報で、少しはここ一年の借りを返せたかな?」
リド様は優雅に微笑んで、背もたれに体を倒しお茶を口にした。
「そう……そうですか……」
それからの話は実はあまり覚えていない。私は卵に祈りを捧げ、また誘うというリド様の言葉に生返事をして、アーシェルと握手して、エメルに支えられるようにして帰宅した。
◇◇◇
…………
『私がじーちゃんとおとーちゃんの跡を継いで、庭師になるの。だって子どもは私だけだもん』
『すごーい、ルル。私も庭師になりたいなあ』
『姫さまなら、いつでも雇ってあげる。だって姫さまってば、大変そうだもん』
『うわあ! ありがとう。一緒にいっちばんカッコいいお庭、作ろうねえ!』
…………
胸を張って笑うルルを懐かしく思い出しながら、私は庭で白バラの花芽のある枝を切る。
「成長……着色」
数本繰り返し、丁寧に丁寧に形を整えて、小さなブーケを作った。花が長持ちするよう、目を閉じて魔力をこめる。
「トリー?」
「はい」
「これをルルの寮に届けてくれる?」
「かしこまりました」
トリーを見送って、雲間から覗く、青空をあおぐ。
◇◇◇
数日後、私は卒業式にきちんと参列した。
背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向き、壇上に向かうルルの胸には、青バラが一輪さしてあった。
「……卒業生には婚約者や仲の良い後輩が花束を贈るっていう伝統があるらしいですね。もらった花束から一輪抜いてコサージュにするまでが、一連の流れとか? クロエ様、よくご存知で。見てください。青バラなんてただ一人ですよ。わかるものには、彼女がクロエ様の庇護下にあると、関係は良好であると、伝わったでしょうね」
ダイアナが隣で不満げに呟く。伊達に二度は生きていない。ただ前回は卒業できなかったから、誰からもブーケはもらえなかった。
「安心して。ダイアナが卒業するときは、もっとすごい花束あげるから」
「やった! じゃあ、私も、クロエちゃんに……ああでも次期様にそのチャンスは取られるかなあ」
声がどんどん大きくなるダイアナの膝をポンポンと叩き、正面に向き直る。ルルが卒業証書を受け取るのを見届ける。
少しでもルルの役に立ったのなら、よかった。
そう思いながら見つめていると、なぜかこの大勢が参列する式典で、壇上から階段を降りるルルと目が合った。
ルルはこれまで澄ました表情だったのに、突然顎を少し上げて、歯を見せてニカッと笑った。それは貴族の嫌う、下品と言われる笑い方で……
『姫さま!〈草魔法〉いいなあ! 教えて!』
そう言っていた、幼い頃と全く同じ、私の大好きな、ルルだった。
「おめでとう……ルル」
私も目いっぱい口角を引き上げて、歯を見せて、笑った。
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