第59話 過去

 ゆっくりと意識が浮上し目を開けると、クリーム色の知らない天井だった。


「気がついた?」


 声のしたほうにゆっくりと顔を向けて……ぎょっとした。

 アベル殿下だった。


「殿下……え、何で……」

 慌てて起き上がろうとすると、

「ダメだよ。寝てて」

 肩を押されて真っ白なベッドに戻る。

 動揺して、殿下を見つめると、説明してくれた。


「ここは学校の医務室だ。これまで世話になったことないの?」


 ここが医務室か……。

 前世、四年あまりこの学校に通っていたというのに、この部屋に入ったことはなかった。私如きがお世話になってはいけないと思ったのだ。

 その前世の思い出をきっかけに、先ほどの記憶が甦る。途端に心臓がギュッと絞られたような痛みが走る。


 涙が目尻から、ツーっと枕に落ちる。

 ダメだ。前世に振り回されすぎている。中指で涙を拭おうとしたら、白いハンカチが当てられて、拭き取られた。殿下がいたんだった。


「お恥ずかしいところを……お見せしてしまって……忘れてください」

「気にするな」

「それで、殿下がなぜ……」


「クロエは校舎を出た瞬間倒れたんだ。だからここで休ませた。ローゼンバルク邸にも連絡を入れた。もうすぐ迎えがくるだろう」

「偶然、居合わせてしまったんですか? ご面倒をおかけしました。ありがとうございます」

「…………」

「えっと、殿下?」


「……クロエにウソを言ってもしょうがない。クロエは重要人物として王家から見張られている。当たり前だろう?」

 そうか……当たり前かもしれない。


「それで、クロエが倒れたと連絡が来て、私が駆けつけた」

「そうでしたか」

「私の見立てでは、睡眠不足と過度のストレス。どうだ?」

「……どうでしょう?」


 私のこの前世を思い出した時から引きずる、重苦しい鉛を飲み込んだような感覚は、ストレスという名のものなのだろうか? 他人と比べようがないからわからない。


「教室でああも責め立てられれば……全く、子どものように自分本位なことばかり喚いて、見苦しい」


 ああ、ザック様とケイト様とのやり取りも、耳に入っているのか。

「それにしても、あやつらは勇気があるな。クロエを罵倒するなど、辺境伯を知っているものからしたら考えられん。国一番高い時計塔に吊るされても文句言えないぞ。学校に入るまでに、一般的な貴族の知識くらい頭に入れてきていると思ったのだが……」


「……きっとこれから伸びるでしょう。彼のことはほっておきましょう」

「……全く。君は強者に強く、弱者に弱い。そんな風で生きていけるのか心配だよ。では……『天の癒し』」


 私の全身……いや部屋中が眩い光に包まれる! 真っ白な世界で温かでトロミのある海に心も体も不安なく沈み込むような感覚……これが〈光魔法〉。


 時間にして一分ほどだっただろうか。光は空気に溶けるように消えた。

「……言葉も……ありません」

「体は?」

「そうですね。だるさが消えて、あまりの感動で心が浮き足だってます。でも、私ごときの疲労に〈光魔法〉を使うなんて……申し訳ないです」


 途端に殿下が不機嫌になった。

「〈光魔法〉もそれに見合った魔力も私が決死の努力で身につけたもの。使う対象やタイミングは私が決める。選択権は私だけにある。そうだろう?」

「おっしゃる通りですね」

 殿下の数少ない自由を否定してしまった。素直に申し訳なく思い、頭を下げた。


 私がゆっくり起き上がるのを、殿下が背中を支えてくれる。そのとき、この医務室の外が騒がしくなった。


「殿下、なりません。ここは医務室、体調の悪いものが……」

 シエル様の声。


「シエル、邪魔するな!どけ!」

 ガラッと引き戸が開いた。


「兄上! なぜ学校ごときで神聖な〈光魔法〉を発動……お前は!」


 入ってきたのは……金髪に碧眼、懐かしの……私を殺した時の姿そのままの……ドミニク第二王子殿下だった。


「ドミニク! シエルは私の命令でドアの外に立っていたのだ。なぜ静止を振り切り入室した!」

「お前! なぜお前ごときに兄上は〈光魔法〉を使われたんだ!」

 ドミニク殿下が私を指差す。


『お前ごときが私の妃になれると本当に思っていたのか?』

 前世と……重なる。


「兄上、騙されてはなりません。この女は級友の父親が死にそうなのに、薬を出し惜しみした恐ろしい金の亡者なのです!」

「ドミニク……いい加減にしろ! そもそもお前がクロエにまずすべきは『助けてくれてありがとう』と頭を下げることだろう!」


「っ! あれは余計なことでしたっ! 私は速やかに脱出するところだったのです! こんな女の助けなど必要なかった!」


『〈草魔法〉のお前の助けなど必要ない! 思いあがるな!』


「あ……」


「ドミニク……常に物事は俯瞰で眺め、見極めよ! と王がおっしゃるのを忘れたか!」

「兄上こそ、貴重な〈光魔法〉をこんな女に使うなど、王家にあるまじき行為!」

「クロエは私の友人だ。そして国家の重要人物。加えて言えばお前の恩人! なぜわからない?」


『こんな女、なんの価値もない…………』


 ああ……記憶に……呑まれる……

 嫌だ。私は何もしていないのに、なんで悪く言うの? 何もしないのがムカつくの? ならばほっといて! そんなに嫌いなら一人にして!


 ダメだ! 本物のドミニク殿下に心を制御できない! 私は、もう、自暴自棄になってはいけないの。今世では私を思って傷つく人がいるって知ってるの!



「……お願い、守って……」


 外圧からも、過去で苦しむ私からも。


 必死に魔力を流すと私のあちこちのポケットから一気に草が成長し、私をベッドごと包む。

 初めてダンジョンに潜ったときに考えついた、一人用のシェルター、『草繭』。

 これでもう……何も見えない。聞こえない。


「く、クロエ! はっ!容態がみるみる 悪化してる! 術を施したのになぜ!? クロエ、出てきて! 術をかけさせてくれ!」

「な、なんなんだ! 草? 本当にいちいちジャマくさいっ!」



 ◇◇◇




 どれくらい時間が立ったのか。見知った魔力の〈草魔法〉が流されて、私の繭がこじ開けられた。


『クロエ。帰るぞ』

「クロエ様……」


「……エメル……ベルン……」


 あのどす黒く乱れた己の心から、どうにか生き延びた。


 肩に透明なエメルを乗せ、苦しげな顔をしたベルンにそっと抱き上げられ、私はようやく力を抜いた。






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