第33話 二度目の縁談

 王子と……縁談?


 身体がブルブルと震える。歯がカチカチと鳴る。

 またあの、ドミニク王子の鬱憤ばらしのおもちゃになれと? そして、ゴミの如く捨てられて、死ねと?


『クロエ! どうした?』


「逃げなきゃ……私は二度と、あいつらのいいようになどならない……」

 私は祖父の腕の中でもがき暴れた。

「おじい様放して !エメル! 私を隣国へ連れて行って! 今すぐよっ!」


「クロエ!」

 耳元で祖父が大声を上げ、私の思考が一旦止まった。


「お前が暴れるほど嫌がることを、わしが強制するわけがないだろう?」

「でも……王家の命令は絶対でしょう?」

「命令などさせぬわ」


 祖父は私をキツく抱きしめたまま、ソファに座った。エメルはふわふわと浮いて、ホークは右前に立って、ただ控える。


「クロエ、ひとまずわしの話を聞け」

「…………」

「今回の件で、ローゼンバルクに優秀な〈草魔法〉使いがいることが知られた。〈草魔法〉使いは数が少ない。ローゼンバルクの〈草魔法〉使いといえばクロエ……と、まっすぐ王家は結びつけた」


「……なぜ?」


「二年前、お前と第二王子との婚約を白紙に戻すときに、モルガンはわしが言い放ったとおり『〈火魔法〉は誤診で、〈草魔法〉だったために、お受けすることはできない。クロエはその〈草魔法〉が発揮できるよう、ローゼンバルクに養子に出す』という理由を使ったんだ。能のないやつよ」


「…………」


「今回の避妊薬、宮廷魔法師が文献を調べたところ、〈草魔法〉レベル80以上なければ精製できんとあったらしい。マスターレベルを越えていて、あらゆる秘薬を作れて、王子と同世代。取り込もうという結論に達したようだ」


 相変わらず、ロクでもない。

「王家側の事情などどうでもいい。どんな事情でもやることは変わらないもの。ほどほど機嫌を取って、使えるだけ使って、利用価値がなくなったらボロ雑巾のように捨てて、皆の祝福のなか本命の四大魔法の娘と結婚するのよ。二度とドミニク王子のいいようになど……使われない……」


 祖父が眉間にシワを寄せた。


「ドミニク王子はクロエと同い年のはず? 過去に何か嫌な目に合わされたのか? それとクロエ、お前の縁談相手はドミニク王子ではない。前回一旦婚約しかけて白紙になったものをまた結ぶわけにはいかんからな。今回の相手は第一王子アベル殿下だ」


「え? 第一王子……殿下?」


 思いがけない事態に頭のなかがあらゆる思考でグルグル回る。

 アベル殿下、ドミニク第二王子の……私たちの三つ上だったかしら? 何一つ問題などなく、王になる未来が100%約束された人。この人が王になると決まっているから、第二王子の妃は〈草魔法〉の私でも問題ないとみなされたのだ。


「そうよ……未来の王妃が〈草魔法〉適性なんて、ありえないわ。またしても、私を利用したあと、使い捨てるに決まってる……」


「確かに普通に考えれば四魔法至上主義の貴族を慮って、お前など候補にもあがらんだろう。しかし、今回はどうあってもローゼンバルクを逃したくないのだ。神に最も近いレベルの薬師のお前と、エメル様と縁を繋ぎ、神殿を出し抜くために」


「エメルと私の絆はばれていないでしょう?」

「もちろんだ。しかしエメル様がローゼンバルク領に住まい、守護していることは明らかにしたからな」


『……こざかしい』

 エメルから冷気が漂う。


 前世、アベル殿下とお会いしたことはほとんどない。私が王宮に上がるようになった頃にはすでに実務でお忙しくされていた。結婚はされていなかったけれど、確か友好国の姫君とご婚約されていたはず。


「王家の思惑はそうでしょうが、モルガンの父のような、取り巻き貴族が黙っていないわ。彼らの陰湿なイジメに耐えしのび、報われぬ王妃教育を受けようという被虐心など持ち合わせておりません。そもそも第一王子ともなれば、すでに婚約してるでしょう?」


「婚約解消に向けて動いておられる。そしてその方はドミニク第二王子と改めて婚約を結ばれる予定だ」

「そんなバカにしたようなこと、相手方は許さないわ!」


「その辺は王家の問題だ。あれこれ別の優遇や詫びを入れるのだろう。とりあえずクロエは現段階で婚約者はいない。明日の顔合わせは避けられん。それで問題がなければ婚約が整う。嫌であれば、蹴るがいい」


「いきなり明日? それになぜ私が王都にいることがバレているの……」


「腐っても王家ですよ。そのくらいは探れるのです。クロエ様」

 ホークが静かに口を挟んだ。


 王家の立場と私の立場、理解した。私は虚な気持ちで、宣言した。

「……おじい様。私は王家に嫁ぐくらいならば出奔します」

「そうか」

「でもそれで、おじい様とローゼンバルクが窮地に陥るのであれば、婚約した後に事故死します」


 いよいよあの毒を作っておくのが賢明か……。私に効く唯一の毒。ただの突然死にしかみえない、一瞬で心臓を止める、〈草魔法〉レベル99以上でなければ毒ともわからない、前世の私の最悪傑作。


「それほど嫌か」

 私はただ、くうを眺めて頷いた。


「ならば相手に呆れられるほどに、嫌われることだ」

 私は驚いて祖父を見上げた。

「構わないの……ですか?」

「全く。とっくにローゼンバルクは総嫌われじゃ!」


 祖父は右の口角だけ器用に上げて、笑った。




 ◇◇◇




 翌日のお茶の時間、私は祖父とともに王宮に入った。

 車窓に入ってきた前世ぶりの王宮は、相変わらずの絢爛さに吐き気を催した。そして遠くに灰色の尖塔を見つけて、思わず涙ぐんだ。私が閉じ込められて、死んだ場所。


 あの苦しみの日々が昨日のことのように蘇る。怒りが胸に渦巻く。頭に血が昇る。

 でも、これでいい。この思いを胸に滾らせていれば、簡単に相手に呑まれ、いいなりになどならないだろう。私はすでにあそこで死んだのだ。失うものなど何もない。


「クロエ、随分と、憎しみを募らせているのお……いずれ訳を教えてほしいものだ」

「おじい様……」

 愛する祖父に秘密を持つ自分が恥ずかしい。でも前世の記憶……なんて話を告げる勇気はない。


「それにしても、ちょっと意表をつかれたぞ? 婚約者にならぬため、野暮ったい格好をでもして嫌われるもかと思えば……」

 祖父がニヤリと笑った。


 私が今身につけているものは、全て、今王都で手に入る最高級品だ。昨日私はもう一度ホークと外出し、身に付けるものを自分の目で選んで買った。祖父のお金を使いたくないなどと言っていられなかった。私の未来がかかっているのだから。


 甘く可愛い子ども服ではなく、エメラルド色の光沢のある最高級シルクでシンプルかつ優美なデザインで徹夜で縫ってもらった。共布を張った靴に共布のリボン。髪も朝からプロの髪結いに来てもらい、どこから見ても隙のないようにした。


「下手に出ると、相手を調子づかせてしまうもの」

 前世、〈草魔法〉ごときと蔑まれた私は、地味な、控えめな装いに徹し、息を潜めて生きていた。その結果、親が、学校の生徒たちが、ドミニク王子が、ますます私をバカにした。


「ふふん、さすがわしのクロエだ。弱者のフリなど悪手も悪手。格の違いを見せつけてやればよい」

 祖父は愉快そうに笑って、私の首に、二連の真珠のネックレスをかけた。

「これは?」

「お前の祖母の形見だ。最愛のダリアに誓って無様な姿を見せるなよ?」

 ……おかしなプレッシャーをかけられた!


「おじい様……頑張ってみます。骨は拾ってくださいね」

「まかせろ」



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