第34話 王宮
車寄せで馬車から降り立つと、祖父が私に腕を差し出した。うんと高い位置にある肘に手をかける。こんな素敵なエスコート、初めてだ。嬉しくて思わず微笑む。祖父も目尻を下げる。
私たちは誰にも妨げられることなく、王宮に入ると、案内役がやってきて先導される。後ろにはホークがついてくれる。
祖父は大神殿とは違い、私に合わせて? 軍服ではなく、シンプルで上品なスーツだ。
今日はエメルはお留守番。私がエメルの〈魔親〉だと、万が一にも感づかれてはまずい。王家には私たちの知り得ない情報、書物が山とあるに違いないから。
謁見の間に行くのかと思ったら、別方向に曲がり、外に出た。中庭……パティオか?
「クロエ様の〈草魔法〉を見るため……とか?」
ホークが囁く。
「クロエを見世物にする気か? 笑えん」
祖父を纏う空気が怒気を帯びる。始めから喧嘩腰はまずい。私は慌ててふざけてみせる。
「王家の皆様には二度と笑えなくしてさしあげますから」
「……うむ。よく言った!」
手入れされた庭を歩くと、中程に屋外に置くにはもったいないソファーやテーブルが設置され、キラキラした集団が座っていた。
「おお! リチャード! 待ち兼ねたぞ!」
金髪に金の髭、碧眼鮮やかな男性が祖父に向けて手を振っている……国王だ!
前世、数度だけ拝謁したことがある。明らかに私に興味のない様子で、声もかけられなかったけれど。
国王の隣には美しい女性、おそらく王妃。私は前世、王妃に会ったことはない。妃教育も教育係によるもので、〈草魔法〉だから軽んじられているのね、と思っていた。思ったよりも若い。
王妃がとても可愛がっているという噂の、一番下の王女殿下は今日はいないようだ。前世、あの人にも随分嫌がらせを受けたけれど。
そして、その王妃を挟むように二人の少年が座っている。背の高い碧眼で栗色の髪ほうがアベル第一王子、そして金髪碧眼のまだあどけない……ドミニク第二王子。
ドロドロとした気持ちが胸を渦巻く。トムじい直伝の鎮静薬を飲んできたほうがよかったかもしれない。
目を逸らしたいけれど……それでは負けだ! 私は前世今世とも、恥ずかしい生き方などしていない! 堂々としなくちゃ!
絶対に弱みなど見せない。
祖父が膝をついたので、私とホークもそれにならう。
「おいおいリチャードやめてくれ! ここは非公式の場だ。さあ、座って!」
「……非公式ねえ。クロエ様、このパティオを囲むように重鎮が勢揃いしておりますので、お気をつけて」
ホークの小声に小さく頷く。ならばきっと、父もいる。
闘志に……火がついた。
祖父と手を繋ぎ立ち上がる。そして、しめされた王族の向かいのソファーに二人で座った。ホークは数歩後ろに立っている。
私は背筋を伸ばして浅く座り、給仕された自分のティーカップを見つめる。
「リチャード、クロエと言ったか? なんとも……もう子どもを脱した落ち着きのある娘だな」
「恐れ入ります」
自分の子どもほどの年齢の王に、祖父が頭を下げる。
「クロエ、こんにちは。お菓子を召し上がれ?」
王妃がにっこりと微笑んでそう言った。
私は祖父をチラッと伺う。
「王妃様、王族の皆様が口をつけぬ限り、クロエは口にできません」
「あら、ごめんなさい。ふふふ」
田舎娘は試されていたようだ。
王妃が口に紅茶を含み、王妃に促され、王子たちがクッキーを齧る。
順番はお前だとばかり、私に微笑む。しかし……
一目見て、そしてかすかな匂いでわかっている。このお茶は植物系の毒入りだ。強くはないけれど、解毒しにくく、内臓に蓄積するタイプ。
少し考える。
「おじい様、私とお茶を交換してください」
「なぜ?」
「私、長生きしたいのです」
祖父は片眉をピクリと上げて、
「いいだろう。わしは十分生きたからな」
祖父は両手で手早く、私たちのカップを取り替えて、元は私のものだった紅茶を口に運んだ。
「待て。悪かった」
王が声をかけた。
さっと使用人がやってきて、私と祖父のお茶をカップごととりかえてしまった。
祖父が低い、冷めた声で、
「一言で言って不愉快ですな。ローゼンバルクのこれまでの忠心を逆撫でする行為。クロエ、帰るぞ」
「まあまて、クロエが只者でないことを、そこらのものに納得させる必要があったのだ。クロエこそが王太子妃に、王妃になるにふさわしいと。いや、この肝の座りっぷりと、毒の探知能力恐れ入った。あの毒は王家の極秘の調合だったのだぞ?」
王がニコニコと褒めて、自らの正当性を語る。
祖父はぐるりと周りを見渡し、睨みつけた。
「ああそうだ。クロエはわしの自慢の孫。ゆえにローゼンバルクの外に嫁がせるつもりはない。王妃の枠を埋めるつもりはないから皆の衆、安心するがいい」
あたりがざわめく。
「リチャード! 全く困ったな……」
王が人差し指で頰をポリポリと掻いて……みせた。
「ねえ、クロエ、あなたは王子と結婚してお姫様になりたくないの?」
場を繋ぐように王妃が私に声をかけてきた。
「おそれながら、私はすでにローゼンバルクのお姫様ですので」
「ま、まあ、辺境伯が孫にそんなに甘いなんて意外ですわ」
「クロエ様」
アベル殿下が初めて声を上げる。
初対面の彼の視線を真っ直ぐ受け止める。
「私は君の薬学の力を借りて、この国をより良くしたいと思っている。一緒に働いてくれないだろうか?」
……国のための縁組とはっきり言ったことは、ドミニク殿下よりも好感が持てる。
「私はローゼンバルクにて、国のために貢献いたします」
暗に断りの文句を述べる。
すると、とうとうにこやかな仮面を外した王妃殿下が、眉間にシワをよせ、私を睨みつけた。声色は気味が悪いほど優しい。
「私の王子の何が……不満なのかしら?」
私が再び祖父を見上げ、目で確認を取ろうとすると、国王が、
「正直に話してよい。さすがに八歳の子どもの言うことにいちいち目くじらを立てない」
国王陛下のお墨付きが取れた。ならばと、一番嫌われるだろうこと、二度と顔を合わせたくないと思うことを考え、口にした。
「私よりも弱いところです」
周囲が息を飲む。
王妃が扇子をギリギリと握り込む。
「アベル王子がお前よりも弱いと言うの?」
「はい」
「〈草魔法〉のお前よりも弱いと?」
「〈草魔法〉の私ごときよりも弱いお方など、正直眼中にございません」
「無礼者めっ!」
王妃が声を荒げた途端、衛兵がわらわらと現れる。
それと同時に、私はパティオに所狭しと咲き誇るバラに魔力を送り、集まった衛兵にガチガチに蔓を巻きつかせ、四方にいるギャラリーの前にトゲを前面に押し出した壁を作り出す!誰もそばに近寄れない!
自由がきくのは、私たちと、王家の四人だけ。
恰幅のいい衛兵が身じろいでいるので注意する。
「ああ、動かないほうがいいです。そのトゲ、外科手術しないと抜けません」
ガサゴソという音がピタリと止んだ。
「……素晴らしいな。本当に八歳か?」
国王が、思わずと言ったふうに立ち上がり、周囲を見渡した。
「この壁でもって、辺境を守ってくれております。もはやクロエは一人前です」
祖父は足を組んで、お茶を飲む。
「ご存知の通り、クロエは〈草魔法〉ゆえに親に捨てられましたので、〈草魔法〉でも存分に戦えるように辺境で鍛えました」
祖父は左後ろをジロリと睨んだ。その先を見ると……懐かしい父がいた。草壁に生えるトゲを前に真っ青な顔をしていたが、王が振り向くのに気がついて、
「こんな草の壁など、燃やしてくれるわ!」
目の前の壁に向かってお得意の火を放った!
しかし、草壁は燃えることも色を変えることもなく、青々と茂ったまま。表面を〈水魔法〉でコーティングしているから。私の〈水魔法〉マスターは伊達ではない。
そして今回の草壁は反撃効果を付与している。壁からシュルシュルと蔦は伸び、衛兵と同様に父の全身に巻き付いた。身体は締め付けられ圧迫され、大きなトゲが、草壁のあちこちから狙いを定める。
「うわあ!」
涙を流して、悲鳴を上げる父を見つめる。
これしきの〈草魔法〉で、なんて情けない声を出しているの?
あなたがさんざんバカにした〈草魔法〉で身動きの取れない気分はどう?
私への仕打ちだけならば、今後私の人生に関わってこないならば、放っておくつもりだった。
でも、お前は、私の師を、私への当て付けのために殺した。
今、お前の命は私が握っているとわかっているだろうか?
私が魔力を込めて、毒を含むあのトゲを身体に突き刺せば……
「クロエ!」
祖父の声に我に返った。
「子どものお前が自分の手を汚すことはない。あとはわしがする」
祖父が父を睨みつけた!すると、父に巻き付いた蔓がミシミシと軋み、そのトゲが父の目前に瞬時に迫った。
呆気なく、父は気を失った。
「ふん」
祖父は視線を正面に戻した。
おじい様、いつの間にか〈草魔法〉を覚えてくれていたんだ……私のためだ。
胸が熱くなる。でも、
「おじい様、私ってば取り乱して……王の御前でこんな真似を……」
「クロエ、ここには王族のお方々とわしらしかおらんのだ。ここにいるはずのない人間のことを考える必要はない」
祖父はそう言うと、クッキーを一つ摘み、口に入れた。
「甘すぎる」
「〈火魔法〉のモルガン侯爵が〈草魔法〉に手も足も出ないだと⁉︎」
「〈草魔法〉に攻撃ができるなんて……」
「さすが辺境伯……孫をここまで鍛えるとは……恐ろしい……」
「墓に花を咲かせるだけではないのか……」
……昨日のトムじいへの弔い、見られていたみたい。
ざわめく場を、王が己の発言によって、落ち着かせる。
「そうか。確かに女の子にとって、自分より弱い男なんて魅力はないかな? ちなみにクロエより強い、クロエの好きな男は誰なんだい?」
「おじい様です」
「だよねえ……」
王は苦笑した。
「今日は良いものが見られて楽しかった。試すような真似をして悪かったね。国防の要であるローゼンバルクに実力ある後継者がいるとわかって、頼もしいよ。婚約の件は今日のところはなかったことにしよう」
祖父が私に頷いた。私は全ての余計な蔓や草を枯らし、風で飛ばした。拘束されていた衛兵たちが、力なく膝から落ちる。父もどさりと倒れた。
「そして、今後素晴らしい薬を作り、民に配るときには、サンプルを私にも分けてほしい」
これは、明らかに命令だ。婚約が消えたぶん、ここは譲歩だろう。案の定、祖父が頷いた。
サンプルを渡しても、真似して作れるわけがない。そこから先の問題はそのときに。
祖父が私を抱き上げ立ち上がった。
「では、遠い辺境への帰り支度がありますので、これにて。陛下と王家の皆様方のご健勝をお祈りいたします」
勝手に帰るんだ! 本当におじい様は自由だわ……。
「ああ、リチャード、クロエ、そして……ホークだったな、また会おう」
入室したときからの、バカにされないために自分の足で立ち、凛としていよう! という気持ちをサラッと無視されて、甘やかすおじい様の腕に縦抱きされて、退出した。
◇◇◇
その夜、ベッドに入り気がついた。
『どうしたの? クロエ?』
「エメル……」
私は今日、とりあえず、モルガン家と王家の呪縛から、解放されたのだ。
唐突過ぎて、呆然とした。
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