第32話 天国
王都のローゼンバルク邸に戻り、全員で祖父の書斎に入る。
それぞれソファーに座り、エメルは全身で、私の魔力を吸い込んでいた。さすがに私も脱力気味で、エメルごと祖父が私を抱きかかえて座る。
「あの偉大なお姿を維持するには、かなりの魔力が必要だったのですねえ」
ドーマ様が私の前に薬湯を置く。
『もうちょっと、成長すれば、簡単にでっかくなれるんだけどね〜』
エメルは私の首筋を甘噛みし、ますます本格的に補給しだした。
「クロエ様が魔力欠乏する姿を見ることがあろうとは」
ホークも心配そうな声を出す。
「クロエ、大事ないか?」
「ん……多分大丈夫です。おじい様」
前世、完全に枯渇して、昏睡状態に陥ったこともあったもの。それに比べればまだ随分前段階だし、倒れたとしても介抱してくれる人がいる……現世では。
「多分これで、魔力量がちょっと増えます」
祖父がそっと薬湯のカップを口に当ててくれる。ありがたく飲ませてもらう。苦い。
飲めるだけ飲んで、もういらないと首を振ると、そっと顔を硬い胸に押しつけられた。
安心と疲労でうとうとする。
「まあ、概ねこちらの想定どおり進みましたわね」
「神官ではないものの気配が数人おりました。王家のものや、抜け目のない貴族、情報屋といったところでしょう。そこから大神殿が聖なる存在であるドラゴンの薬を台無しにしたこと、ドラゴンを怒らせたことが静かに広まります」
ホークが現状を整理する。
「目撃者が多くて何よりだ。これでローゼンバルクが薬を作ることにあれこれ口を出すことはできまいよ」
「私は、早速ローゼンバルクに戻り、薬を普及したく存じます」
「好きにするがいい。わしは、クロエとエメル様が本調子に戻ってから出立する。まあ、数日後になるだろうがな……はあ……」
大人たちの話し声を子守唄に、私はエメルと抱き合って、どこよりも安全な腕の中で眠った。
◇◇◇
翌朝、王都の屋敷の自室のベッドで目を覚ましたときには、普段通りの体調に戻っていた。
「エメル、おはよう」
『おはよ〜クロエ』
エメルの魔力吸引力ももとに戻った。よかった。
身支度をして、ダイニングに行くと、祖父とホークは朝食をとっていた。
「おはようございます、おじい様、ホーク。あれ? ドーマ様は?」
「ドーマはもう帰った。歳の割にセッカチなやつだ」
「私たちはいつ帰るのですか?」
「お前の体調が良くなったら、王都観光でもして帰ろうと思っておる」
「おじい様、私、この通り元気です。私も早く帰りたい」
王都には、いい思い出などない。ああでも、やらねばならぬことが……
三人プラス1ドラゴンの穏やかな朝の空気をかき乱すように、こちらの使用人がバタバタと走ってやってきた。ホークが立ち上がり焦った様子の彼から用件を聞き取り、手紙? を受けとる。
「お館様、午後一番に王宮にお呼び出しです」
「……ふう。まあそうなるか」
祖父が行儀悪く、ナイフとフォークを投げ出した。
「昨日の様子は当然王家に漏れていて、事情聴取ってわけです」
ホークが説明してくれる。
「おじい様が王宮……」
「クロエ? 一緒に王宮に行くか?」
「い、嫌です! 絶対に嫌!」
王宮なんて……恐ろしい。
「そうか……ではホークと留守番しておれ」
「お、おじい様! ちゃんと、帰って来てくれる?」
王宮は悪魔のいる場所だ。
私は祖父のもとに駆け寄り、両手を揉み絞った。
「……もちろん。わしの居場所はクロエとジュードのもとだ」
祖父はそっと、私の額にキスをした。
◇◇◇
祖父は嫌なことはさっさと終わらせると言って、昼前に王宮に向かった。
「時間、合わせないでいいのかな?」
「さあ? この時間しか空いていない、とでもおっしゃるんじゃないでしょうかね? 今回のお呼び出しはあくまで『お誘い』ですので。こっちが悪事を働いたわけではありませんし」
そういうものなの? 前世の私は、なんの悪事も働いていなかったけど、いつも王子相手にハラハラソワソワしていた。なによりも王子を優先していた。
好きだったもの……しょうがないよね……。
「クロエ様、二年ぶりの王都です。私が細心の注意を払ってお守りいたしますので、どこか外出しませんか? ジュード様にお土産でも買っては?」
兄にお土産……ちょっと素敵なアイデアだ。ホークは二年前、モルガンを出てくるときも、そこにいた。私が何を怖がっているのかわかっている。ならば、助けてくれる。
「ホーク、行きたいとこが、一つだけ……」
◇◇◇
黒い服を着て、ホークに調べてもらって連れてこられたところは、王都外れのさびれた墓地。
周りを警戒する必要もないほどに、うらぶれて、薄気味悪く、誰も寄り付きそうにないところ。
たくさんの墓標を通り過ぎて、ただ、地面に掘られた大穴の前に到着する。
「トムじいは……墓標を立てることも許されなかったの?」
穴からは異臭がたち、白い剥き出しの骨が見える。
喉がショックで張り付き、かすれた声しか出ない。
そこは、身寄りがなかったり、墓を建てることが許されなかったものの骨を捨てる穴だった。
「クロエ様のお師匠様は、侯爵家に罪人とされてしまいましたので」
ホークが、申し訳なさそうに私に頭を下げる。ホークには全く関係ないのに。私はホークの胸を押して頭を上げさせる。
「……エメル、私の師がここに眠るの。手伝ってくれる?」
『クロエの師なら、オレの師だ。それに、ここの骨に悪の残滓はほとんどない。皆不運ゆえここに埋められたものばかりだ。せめて、穏やかな空気を纏わせてやろう』
私は、空間から、種をじゃらりと取り出し、穴に放った。
「『発芽!……開花!!』」
私とエメルの魔力に呼応し、瞬時に、芽吹き、成長し、あっという間に花を咲かせる。薔薇、百合、菊、あやめ、チューリップ、ラベンダー、蓮華、カミツレ、マーガレット、そして……すずらん。季節も土壌も関係ない。私とエメルの力技。悲しい何もかもを色の洪水が覆い尽くす。花の豊かな香りだけがあたりを包む。
ここを私が天国にする。
しゃがみ、直接地面に手のひらをあてて、私の魔力を注ぎ込む。これで二年はこの状態が続くだろう。
「トムじい……」
私をはじめに抱きしめて、暖めてくれた人。
「安らかに……」
右手首のマーガレット、そして一輪残ったすずらんをギュッと握りしめる。
「クロエ様……」
ホークがしゃがんでいつのまにか流れていた私の涙を拭き、抱きしめてくれた。
『ホーク、このありえない花畑は、ここに偉大な草魔法使いが眠るからだと。そして全て病を治すほど薬に通じていたのに冤罪で殺されたらしい、ヒトにとって大きな損失だと、流すんだ』
エメルが常にない低い声で、私の肩から命令する。
「エメル様のおっしゃるとおりに」
私はホークとエメルに見守られながらしばらく祈って、〈水魔法〉で虹をかけ、トムじいに別れを告げた。
◇◇◇
そのあと、兄やマリア、領地のお留守番組にあれこれお土産を買い求めた。ホークのおかげで、モルガンの関係者とは誰にも合わず、ほっとした。
そして、夕食前にようやく祖父が帰ってきた。
「おじい様!おかえりなさい!」
あの魔の巣窟から帰ってきてくれたことに安堵して、祖父の腰にぎゅうぎゅうとしがみつく。
「ただいま、クロエ」
私を即座に抱き上げてくれた祖父は、なぜか顔を曇らせている。
「おじい様?」
「クロエ……お前はモルガンのせいで高位貴族が嫌いだろう? 王族はどうだ?」
祖父は何を言い出すのだろう。まあ答えは一つだ。
「王族も大嫌いです」
あの、私にほんの少しの愛情もなかったくせに、利用して、ゴミのように捨てたドミニク第二王子。王族とは皆、同じはずだ。その非情さが国のためだとしても、もはや今世の私には受け入れられない。
「そうか……すまん。お前に縁談だ。相手は第一王子殿下。明日顔を合わせることになっている」
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