第43話 悪戯
「惚れ薬、あんまり儲からねえんだな」
屋敷の一階に作ってもらった調剤室に疲労回復のポーションを取りに来たゴーシュが、横の机で書類仕事をしながら私のお守り? をしてくれている、ベルンの手元の資料を一枚とって眺めて呟いた。
「こら! ゴーシュ! 邪魔をするな!」
ベルンが目を吊り上げて取り返す!
「薄利多売を選んだからね。もしもこれを本気の効果が現れる状態で売ったら、私、絶対他人の色恋沙汰に巻き込まれて殺されるし」
私はゴリゴリと石臼でマダの実をすり潰しながら、肩を竦めてみせた。
「クロエ様も十一歳で大人みたいなことを言うなあ」
まあ前世のせいで、私は随分と大人びて見えるだろう。でも私もおっしゃる通り十一歳。女の子は普通はそろそろ背伸びを始めるお年頃だ。私の物言いもその線で押していこう。
『偽物の顔に惚れられてもなあ』
ふらりとエメルが帰ってきて、調剤テーブルの端にちょこんと座り、私の手元を覗き込みながらそう言った。
「そうそう。だから、今の売り方でちょうどいいのよ」
「わかってるって!でも俺とクロエ様の仲だろう? 原液をちょっとだけ試しにくれないか?」
「……妻子持ちのくせに」
奥様にお会いしたことはないけれど、ゴーシュの息子のトリーはとっても良い子だ。私の二個下でうちの兄を崇拝し、将来次期様の従者になるのだと張り切っている。
私がエメルと一緒にうすーい目でゴーシュを見つめる。
「だから、俺が使うんじゃないって! 見るだけ! お願い! 今回も俺、仲間外れだったじゃんか?」
確かに毎度ちょっとしたアクシデントが起こるダンジョン旅に、いつもゴーシュは買い付けなどに出てていない。見せるだけならばと、私は自分のマジックルームから、ピンクの液体の入った瓶を取り出した。
その時、トントンとノックがして、温かい紅茶の乗ったトレイを持ったマリアがいつもどおり入ってきた。
「お嬢様、もう二時間も働いてらっしゃいます。休憩ですよ。オヤツはコックが木の実のクッキーを作ってくれましたよ。美味しそう」
ニコニコとマリアがトレイをテーブルに置いた途端、ゴーシュが私の手にある、いかがわしいピンクの小瓶をぶんどった!
「『なっ!!』」
「クロエ様、エメル様!伏せろ!」
ゴーシュの声に、私はとっさに床に伏せた。エメルはスウゥっと透明になる。
ポンっと栓の抜ける音がした。
「ゴーシュ!! 止めろ!!」
ベルンの慌てた声!
「な、何? お嬢様!?」
マリアの驚いた声がした後で、バキッと鈍い、嫌な音。うげっと、うめき声。
そして沈黙。
『はあ……クロエ、立ち上がっていいよ』
エメルの声に、私はそろそろと座り込んだ。
「なんだったの?一体?」
『……ゴーシュがベルンの鼻をつまんで、無理矢理、口に薬を流し込んだ。ベルンがゴーシュを殴った』
「え……」
慌てて前を見ると、頬を押さえたゴーシュが蹲っていた。立ち上がって見渡せば、ベルンが真剣な表情で……マリアを見つめていた。
「マリア……」
「べ、ベルン……さん?」
マリアが目を丸くしている。
「なんて美しいんだ、マリア……私の女神……」
ベルンが一歩ずつマリアに近づく。
マリアが助けを求めるように、視線をキョロキョロと動かす。そして床に転がる、小瓶とこぼれたピンクの液体を見て……くしゃりと顔を歪めた。
「ああ、そういうことですか。ふふ、私が好かれるわけないものね。前の夫だって……ベルンさん、顔を洗って、お嬢様に目薬をさしてもらって、とっととお休みください。明日の朝には、真実が見えますよ」
「マ、マリア、違う! 私は!」
「バカにしないで!」
マリアは下唇をギリっと音がしそうなほどに噛み締めて、早足で出ていった。
「マリア! 待て!」
ベルンも慌てて追いかけていった。
「エメル! ど、どうしよう!」
エメルがパタパタと飛んでいき、数秒後パタパタと戻ってきた。
『マリアは部屋に閉じこもって泣いてる。その泣き声を聞いてベルンもヨロヨロと自分の部屋に戻った』
「……捕縛」
「ウギャー!」
私はゴーシュをキツく縛り上げた。
エメルがその縄状の蔓を口で噛んで引きずって、ともに祖父の元に向かった。
◇◇◇
私は祖父の執務中に書斎を訪れたことなどない。ここは子ども(兄を除く)が出入りしていい場所ではないと思っているから。そんな私がノックしたので、ドアを開けたホークも、デスクの祖父も大層驚いた。そしてエメルの綱の先を見て目を細める。
「ぶわっかもーん!!!」
私とエメルから話を聞いた祖父は、右手から真っ黒な木の枝を放ち対面の壁の高いところに突き刺すと、私の蔓をそれに絡めてゴーシュを宙吊りにした。そんなゴーシュの胸元には尖った枝が迫っている!
祖父を怒らせてはいけないと痛感する。
でもこれはしょうがない。私だってめちゃくちゃ怒ってる! 私の母よりも愛するマリアを泣かせるなんて! ゴーシュのことは好きだけれど許せない!
「お、お館様! 待って! おねがいします」
「待たぬ。お前にはいい年なのだからもう少し落ち着けと常に言ってきた。なのにこんなくだらぬ……人の心を傷つけることをしおって!」
様子を見に行ったホークが戻ってきた。
「どうだった?」
「マリアの部屋からは押し殺したすすり泣きが、ベルンは外に出ました。おそらく泉で水浴びでもして薬を抜こうと……」
『水浴びぐらいじゃ、効果は抜けないよ……』
「で、でもな、褒められたのが薬のせいってわかっても、マリアもあそこまで怒るか?」
「……騙されたも同然だ。そりゃ怒るだろ」
ホークが呆れたように言って、宙吊りゴーシュを蹴った。
「でも、泣かんでもいいだろ……」
私は、はあとため息をついて説明する。
「おじい様はきっと、ご存知と思いますが、マリアは一度結婚しています。赤ちゃんができたけど残念ながら死産で、役に立たぬ嫁ということで離婚させられたという過去があります。マリアはその元夫のせいで、女性としての自信がなくて、ただ私の乳母としては誰にも負けないでいようと思って生きていると思います」
「つまり、ゴーシュは久しぶりにマリアに女であることを思い出させたあげく、やはり女として魅力がないんだ! 薬のまやかしのせいだったのだ! と彼女に確認させるようなことをしでかしたんだな?」
ホークはうまく表現してくれた。私は頷いた。
「……マリアはモルガンでも離婚された瑕疵のある女として、冷遇されてた。溌剌と私のお世話をしてくれているけれど、マリアの自己評価は低いの」
「そんなつもりはなかった! 俺はただ、ベルンにも幸せになって欲しかっただけだ。祭りの男女のように、薬を飲んで、惚れてるって言って、そんなの飲まなきゃ勇気が出ないの? って笑って許して……だって……ベルン、どう見てもマリアに惚れてただろ?」
「え?」
ホークを見ると困ったように眉毛を下げた。私にはベルンはいつも完璧な執事で、そんな感情察知できなかったけれど、付き合いが長いと気づける何かがあったのかもしれない。
「エリー様に簡単に婚約解消されて以来、十年以上ぶりにベルンが女に惚れたんだ。実らせてやりたいって思うじゃん!?」
ああ、先日の母の来訪の時も、そんな話が出ていた。
私は祖父をそっと見上げた。
祖父は大きなため息をついた。
※次回は金曜予定です。
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