第14話 再会したマリア
マリアはケガと、これまでのストレスと、遠距離移動のために一週間ほど寝込んだけれど、少しずつ回復していった。
「お嬢様のお薬が効いたのです……とっても苦かったけど……」
「ご、ごめん!」
そうか、効けばいいってものじゃない。もっと口当たりのよい味に改良しなくっちゃ。
そして、マリアはこの土地に残ることを選び、祖父の許可を得て、再び私の侍女になってくれた。
「それにしても……同じ貴族の屋敷で、こうも待遇が違うとは……」
「違うの?」
「ええ。ギスギスしてないといいますか……女主人がいないせいもあるかもしれませんね。かと言って、使用人がだらけているわけでもありません。きっとお館様の本気の強さと行動力を……それぞれに一度は体験しているのでしょう」
そうだね。私もあの、道中の容赦のない祖父を見て、逆らう気持ちなど到底持ち得ない。
もちろん、あれを見なくとも、祖父には恩こそ感じこそすれ、裏切る気持ちなど未来永劫ないけれど。
「そして執事のベルンさんが、いわゆるメイド長的な立場も兼任されてるので、女性同士の足の引っ張り合いが起きません」
ベルン……知恵袋なだけでなく、女性の仕事とその正しい管理法まで精通しているとは!
「お嬢様もずいぶんとおてんばになられました。なんというか……ガサツに?」
ガーン!!
うふふふと笑うマリアの表情は、大人の女性と言うよりも、綺麗なお姉さんという感じだ。
マリアは乳母だったこともあり、つい母親像を重ねてしまってきたけれど、まだ二十代半ばなのだ。
声を立てて笑い、若々しくなったマリア。いろんな憂いが消えたから?
ともかく私のお世話ばかりでなく、マリア自身の幸せも掴んでほしいと願う。
そして、たまに朝目覚めると、枕元にタンポポが届くようになった。
『姫さま、面白い手紙ありがとう。ちょっと手こずりましたぞ?
姫さまが屋敷から消えた事情はなんとなく察しておりました。
元気そうで何より。ルルも姫さまに負けられんと、鍛えております。
さて、では課題を差し上げます。二週間でクリアして、結果を提出するように。
毒朝顔の根を煎じ、抽出したものを中和する、虹ナスの分量とタイムリミット……。
我が最愛の弟子へ トム』
手首の文様のすずらん部分をそっと撫でる。黙って出てきた。大好きな人たちに嫌われてないか不安だった。
よかった……。
◇◇◇
「毒海!」
私はザラナンの葉を当たり一面茂らせる。ザラナンは毒草。葉からの分泌物に触れると一気に肌がかぶれ、そこから神経が麻痺し、硬直。動けなくなる。
先ほど捕まえたウサギをゴーシュが草の中に放り込んだ。数秒もがいたが、やがて動かなくなった。
「クロエ様、エゲツないな」
「そ、そんなことないよ! 一週間ほど動けなくなるだけだもん」
私はひとまず戦闘力になることを祖父に希望した。
正直、製薬は前世やり尽くしている。農業は今の知識でひとまず満足しているし、造園は祖父の手が空いたときに〈木魔法〉の手ほどきを受けてから、ということになった。
祖父は、自分に気を使ってその道を選んだのではないかと疑ったけど、そうじゃない。きちんと私の意思だ。
私に足りないのは……私を邪険に思う人との戦い方、距離の取り方だ。
今日は兄とゴーシュが特訓に付き合ってくれている。
「クロエの希望ではあるけれど、〈草魔法〉はそもそも直接攻撃に向くものじゃない。こうして間接的に援護してくれることに意義がある」
そう言って兄は私の前衛希望を受け付けなかった。
たしかにあらゆる毒草を知ってはいるが、触れただけで死に至るものなどさすがにない。毒は正しい手順で精製し、服毒しなければ、目を見張るような成果など出ない。
それでいいと思っている。個人的な恨みのない相手に大量殺人なんてできっこない。私ができることはこの恩あるローゼンバルクを守ること。私を守ってくれる皆が動きやすいように努めること。
「しかし……全身隙間なく覆う装束で来られたら、かぶれることができないな……」
「ジュード様、馬が止まるだけでも十分だと思いますぜ」
「そうだな。あとは、別の魔法で服を切り裂いておくか……」
「風切ならば、〈風魔法〉の初歩でできます。服を破くくらいなら子どもでもできる」
兄と、皆の話を一言も漏らさず脳に刻む。将来、どこでこの知識を使うかわからないもの。
「OK、クロエ、ありがとう。じゃあ撤収」
「はい。……成長!」
ザラナンはザワザワと生茂り、やがて枯れた。
「クロエ様、この魔法の難度は?」
「生垣ほど魔力は入りません。重力に逆らいませんので。〈草魔法〉のレベル30ってとこです。レベルが高ければ、範囲が広くなります」
「範囲は広くなくていいよな。効率よく一箇所に追い込めば」
「帯状で十分だろう?」
兄たちが議論している間に、先程のウサギを回収し、小川の水でザブザブ洗う。
「クロエ、そのウサギどうするんだ?」
「他の罠にひっかかっていたものと一緒に、孤児院で食べてもらおうかと?」
「た、たくましいな。食べても毒は影響しないのか?」
「はい。火を通せば問題ありません」
「クロエ様の草の罠は絶対抜けれないからな。10匹ほどかかってたっけ? 今日は孤児院はご馳走だな」
「クロエ、偉いぞ」
兄は私の頭をガシガシと撫でた。一番身近な人が、〈草魔法〉を褒めてくれる。
私は顔を見られるのが恥ずかしく、兄にピトッとひっついた。
「ん? 眠くなったか? まあ大技使ったからな。よし」
兄が私の両脇に手を通し、抱き上げる。
「俺たちは帰る」
兄はさっと馬に飛び乗り、左手で私を抱きしめて駆け出した。
「おにいちゃま、いつも面倒をかけてすいません。私もそろそろ馬のレッスンを……」
「ふん、もっと脚が長くなったらな。そもそもあぶみに届かんだろ。いいから大人しく、俺と駆けていろ」
「……ありがとう。おにいちゃま」
◇◇◇
これまでのここの侍女の皆様も、私に感じよく接してくれた。でもどこか扱いかねている感があった。
その点マリアは遠慮がない。だって私の乳母だったのだ。0歳からの付き合いだ。
ローゼンバルクのお屋敷では一番の新参者として、常に一歩引いているが、この私をしつけ、着飾ることだけは、己を通す。
「お館様、クロエ様は大変熱心に魔法の鍛錬をされていますが、お館様に似て、とても素材が良いのです! 是非、何か音楽を……そうですね横笛など嗜みとして習わせていただければ……」
「……かまわぬ。ベルンと相談しろ」
「ジュード様、クロエ様がジュード様のお下がりを着て、鍛錬されている姿を見ると、とても胸が温かくなるのですが……二枚ほどドレスを作って差し上げて、一緒にダンスを踊っていただけないでしょうか? ジュード様にしか頼めない……」
「……何枚でも作ればいい。ねえ、おじい様? ダンスの稽古くらい……相手してやる」
ということで、日曜夜の家族全員揃う習慣の晩餐では、私はマリアの着せ替え人形となり、茶色の髪にリボンをつけて、ふんわりした子どもらしいドレス姿で登場する。
「……ふむ。クロエも一端の……レディだな」
「……か、かわいいぞ。クロエ」
「お、おじい様、おにいちゃま、ありがとうございまちゅ」
噛んだ。
不意に褒められるなんて聞いてない。素敵な格好をさせてもらって、褒めてもらえて、舞い上がらないはずがない。
「さあ、今日も家族三人、無事に揃ったことに感謝を」
「「感謝を」」
泣きそうに、感謝している。
◇◇◇
「行くよ〜!収穫!」
広大な畑中のじゃがいもが、地中からポンっと飛び出した。
「みんな〜! かかれ〜!」
「「「「おー!」」」」
子どもたちが背中に背負ったカゴに一斉にじゃがいもを入れる。
ここはローゼンバルク神殿の運営する孤児院だ。
「素晴らしいですわ。クロエ様の魔法」
若い、孤児院担当の神官が目をキラキラさせて褒めてくれる。
「掘り起こすのを手伝っただけだよ? じゃがいもがこんなに立派に育ったのは、みんなの努力の成果です」
祖父に農業と関わるときは、成長を促すだけ、早めてはならないときつく言い渡されている。自然の摂理を歪めてはならぬ、と。
〈草魔法〉的には決して歪めてることにはならないのだけれど、一度私のような異端がルーティンを崩したら、普段の営みが崩壊する恐れがあることを危惧することは、よくわかる。
だから私は、相談に乗り、手伝うだけ。自分の実験畑では自重しないけど。
それにしても、孤児の数が多い。祖父が運営にきちんと資金を出しているから、他よりマシなこの孤児院に集まる? それとも最前線ゆえに戦争孤児が多いのか。
このあたりは土地も痩せている。じゃがいも以外でたくましく育つ野菜は……どこからかソバを調達してもらおうかしら。
「クロエちゃん、このおいもどうするの?」
もの思いにふけっていると、私より少し年上の女の子がワクワクしながら聞いてきた。
「……半分は売る。そして残りの半分は種芋にとっとく、残りがみんなのだよ」
「今日食べる?」
「えーと」
神官を伺うと、ニッコリ頷いた。
「よし! じゃあ、味見しゅるよ〜」
「あ、クロエちゃん、噛んだ」
「…………」
私は自家製の菜種油で、皆で洗って、くし切りにした芋を二度揚げする。キツネ色になったら塩を振ってできあがり。揚げいもだ。
前世の……教授が教えてくれた。貧乏料理だよって……教授が研究室に集めたものは皆、貧乏だったから笑いながら食べた……。
「おお! おいしい!」
「おいちいね! クロエしゃん!」
「まあ、おいしい」
「ホックホクだな! 今日クロエ様当番でよかったぜ」
ゴーシュが二カッと笑った。
幸せそうな、みんなの顔を見て、私の遠く苦しい記憶は彼方に追いやられた。
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