第84話 サザーランド教授

 私は俯き、早歩きで廊下を抜ける。


 賢明にもダイアナは私のただならぬ様子に口を開かず、歩調を合わせてくれた。


「今の男は危険人物なのですね。いかがしますか?」

「鉢合わせにならないように……帰りたいの」


 ダイアナは何か魔法を……おそらく目隠しになるような……を展開しようとした。

 私は慌てて手を掴んで止める。

「クロエ様?」

「あの人は察知する……気がする。優秀な魔法であればあるほど、あの人の感性になぜかひっかかるの」


 前世私が〈草魔法〉使いだったのは、ドミニク殿下が言いふらしていたので有名だった。しかし他の四大魔法以外の、教授の研究室に集められた同士だったメンバーは、日陰に生きていたにもかかわらずなぜか教授に秘めていた能力を知られていた。


「察知……ではあの男の居場所がわかっている今のうちに、ここを出ましょう。そして離れてから馬車は呼びます。学校への挨拶は私が帰宅後あらためて参ります。演習用のマントをもう一度マジックルームから出して……はい、フードまで被れば私とクロエ様の判別すらできません。行きましょう!」


 ダイアナにギュッと手を握られて、私たちは早足で学校を抜け出した。





 宵闇の中、ダイアナに守られて何事もなく帰宅する。


 帰宅後すぐ、異変に気がついたエメルに問いただされて、サザーランド教授に会ってしまったことを伝える。

『真っ青だぞクロエ……。決めた。ダイアナ、お前は残ってあの男のことを調べつくせ!報告は密に! 内容の選別はこっちでするから全て上げろよ?』

「はい」

『ベルン、一足先に戻る。問題ないか?』

「全く。我々も片付き次第、戻ります」


 私がぼんやりしているうちにエメルが何もかも決めていく。

「……えっと、エメル?」

『ダイアナ、『紙鳥』出しておけ。ではクロエ、帰るぞ! 捕縛!』


「あ、え、うそ!?」


 私はエメルに囚われて、星空に浮かんだ。







 ◇◇◇






 空の旅はマリアのときほど忙しなくない。空に登ってしまえば、エメルと二人きりの安心空間なのだから。


 季節は花の時期。エメルは美しい湖や、これまで降りたことのない森に立ち寄り、まだ見たことのない草花を探しながら休憩した。私の心を少しでも平常に戻そうとしているのだろう。


「見てエメル、ブドウの蔓だ!」

『うーん。気候的に……ローゼンバルクに根付くかな? でも成功すれば、酒が作れる』

「〈木魔法〉のおじい様が何とかするでしょ? 一応根っこからもらっちゃおう!」


 二日目の夕方、ローゼンバルクに着いた。


「お嬢様っ!」

「マリアっ! 走っちゃダメ!」


 エメルの網が、どさりと雑に地面に落ちた音で、玄関から大きなお腹のマリアが走ってきた!

 マリアが両手で闇雲に草網から私を取り出そうとするので、エメルがチビサイズに変化し、牙で網を噛み切った。私が手をついて這い出すと、マリアがギュッと抱きしめる。


「マリア、ただいま! どうしたの?」


 私の前世云々を知るのはエメル以外は祖父と兄だけ。その前世云々に教授が登場することを知るのも二人だけ。

 ベルンがこの時期のマリアに余計な心配をかけるわけがない。


「お嬢様だけ先に帰るなんて、何かあったに決まってますっ! もうっ! やっぱり私が一緒にいるべきだった!」


『マリア、大げさだなあ。クロエと離れてたのはたった一ヶ月ちょっとだろう』

 そう言って、お疲れのエメルがアクビをする。


 でも、私とマリアが離れたのは……マリアを置き去りにして、私だけローゼンバルクの子になったとき以来だ。

 私が不安だったように、マリアも不安だったのかなと思い至る。


 そのとき、マリアのお腹がゴニョリと動いた。

「ひょっとして、赤ちゃんも心配して怒ってる?」

「その通りです!」


 私は、まだどこかに残っていた緊張がフッと緩み、マリアをお腹の赤ちゃんごと抱きしめかえした。

「マリア、私、一人でクヨクヨ悩まなかったわ。ちゃんとエメルに心配事を伝えて、ベルンとダイアナに甘えてこっちに戻ってきたの。先に帰ったのもマリアにいつものように甘えるため。心配しないで」


『〜ふわあ。ほら、家に入るぞ。オレとクロエはホコリだらけだ。マリア、あまりくっつくな! 行水したあとイチャイチャしろ!」

 マリアが、エメルに頷いて、慌てて一歩下がった。

「おかえりなさいお嬢様、エメル様」

「ただいま、マリア」




 ◇◇◇





 私はマリアに甲斐甲斐しく世話をやかれながら、体を清め、マリアのお腹の赤ちゃんの様子を聞きながら夕食を一緒に取った。エメルは私の首筋から、魔力をドバドバ吸っている。


 そして、マリアにおやすみと言い、自分の記憶を整理していると、祖父と兄が帰宅したことを知らされた。


 祖父の書斎をトントンとノックする。

「クロエです」


「入れ」

 祖父の声を聞き、ドアを開ける。正面の領主のデスクに祖父が、手前のソファーに兄が座り、ホークとデニスが控えていた。


「クロエ様、おかえり!」

 ホークがニッコリ笑って手を上げる。デニスは緊張した顔で頭を下げた。


「帰宅したことをご報告に来ました。取り込んでいるならば、また明日にでも……」

「ホーク、デニス、ご苦労様。あとは家族会議だから下がっていいよ」


 兄がそう言うと、二人は退出した。ホークは私が六歳のころと同じように、体を傾けて額にチュッとキスを落とし、頭をクシャっと撫でて退出した。


 ドアが閉まると兄が立ち上がり、私をエメルごとギュッと抱きしめた。

「おかえり。無事戻ってよかった……」

 兄はそのまま私をソファーに導き、自分の隣の座らせた。


「今回は取り乱さずに済んだのじゃな? 重畳」

「おじい様、エメルやダイアナのおかげなのです」

 私は苦笑いする。


「それに何の問題がある。引っかかるならダイアナらが困ったときに手を貸せばいい。所詮人は一人では生きられん。この歳になってもな」


「はい」


「それで、前回のクロエを最も痛めつけた『教授』が登場したと。どうだ、ひと目見たことで、俺たちに伝えていない情報を思い出したか?」


 兄が眉間に皺を寄せて、私の瞳を見つめる。


 サザーランド……ピーター・サザーランド教授は私の二年への進級時に、リールド高等学校に採用され現れる。兄の時代には在籍していない。


 担当教科は物理学、物理学は必修ではないので、私は教授の授業を受けていたわけではない。

 そう、出会ったのは……ドミニク殿下とその取り巻きから逃げるように、人気のない校舎の谷間の小さな空間の木の幹にもたれかかっていたときに、


『どうしたの?』

 穏やかな声で話しかけられて、なぜか警戒心が湧かなかった。


「……記憶どおり、人気のない三号棟と専門棟のあいだを散歩していました。群青色の長髪に漆黒の瞳。ギリギリまで気配を察することはできませんでした」


 相手が目上である指導者ということで、前世の私は、教授の家族構成や適性魔法など、気にはなっていたけれど、聞くことなどできなかった。そんなことをして、嫌われるわけにはいかなかった。あのときの、唯一の居場所だったから。


「今回も教授という立場ならば、平民ではないのでしょうね」

 学校は平民にも門戸が開放されているが、指導者という立場はありえない。平民からの教えなど、受けられるか!という考えの貴族が存在するから。

 まして、教師の一番上のランクである教授なのだ。


「クロエがこちらに向かっているあいだに、王都から届いた手紙によると、サザーランド教授は隣国ファルゴの子爵の次男で、今年度より採用。外国人ゆえに派閥にも属さず、淡々と授業を進めている。学生の評判は今のところ可もなく不可もなく。とくに親しくしているものは見当たらない……という差し当たっての情報だ」


 兄が私にダイアナの文字で書かれたレポートを手渡しする。


「……前世のドミニク殿下は、教授のことを隣国のスパイだと言っていました。殿下の発言の信憑性なんてわかりませんが」


 私に言わせればどっちもどっちだ。どちらも私に誠実でなかったのだから。

 地味な学生生活を送り、ドミニク殿下だけでなく教授に目をつけられることを避けたかった。しかしもはや私は有名人。徹底的に避けて、生きていくしかない。


「……引き続き、その男を探らせよう。とりあえずここに帰ってきた以上何の心配もいらん。次に学校に行くまでに対策を練る。最も肝心なのはクロエが不用意な行動を起こさぬことだ。それは王都に限ったことではない。これからは、領内であっても行先を明確に示し、エメル様がご一緒でなければ誰か供をつけるのだ。いいな」


 祖父が顎の下で手を組んで、私に命じた。


「はい」



※今年の更新はこれで終わりです。次回は年が明けて三日予定です。

来年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えください!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る