第108話 来客

 翌朝王都を出発するにあたって、ホークとともに、こちらの使用人にあれこれ留守中のことを申し送っていると、慌てた様子の使用人が廊下から書記中のダイアナを手招きする。

 ダイアナが席を立ち、彼女から話を聞いて、眉根を寄せる。


「クロエ様」

「どうしたの?」

「シエル・グリーンヒル侯爵令息が、挨拶においでだそうです」

「ここに? 今?」

「はい」


 長旅に備えて私の足元で寝ていたエメルもむくりと起き上がる。

『珍しい客だね』


 どのような事情か想像もつかないが、断れるはずがない。

「ホーク、一緒に来てくれる?」

「もちろん」

「応接室にお通しして」



◇◇◇



 シエル様はグレーのスーツを品よく纏い、相変わらずハンサムだったが、目の下に隈ができていた。

「シエル様?」

「クロエ、久しぶり。ホーク卿睨まないで。先ぶれも出さず押しかけて、本当に申し訳なく思ってるよ」


「おかけください」


 案外長くなるかもしれない。私たちはそれぞれソファーに座った。


「学校も終わって、もう領地に戻ると聞いて。本当は、もっと早く訪ねたかったんだ。でもクロエ、神殿に入り浸りだっただろう?」

 どこまで私の動静が漏れているのか……曖昧に笑うに留める。


「お久しぶりです……何か緊急の用事ですか?」

「うん。私にとってはね」


 シエル様はそう言うと、徐に私の前に来て、跪いた。

「クロエ・ローゼンバルク辺境伯令嬢、どうか私と結婚していただけないでしょうか?」


「え……? シエル……様?」


 唐突すぎて、脳がついていけない。しかし、何を冗談を……と言うには、シエル様の表情は真剣すぎた。


 そんな私に代わってホークが目を細めて返事をする。

「……シエル様、婚約の申し入れならば、家長を通すのが筋です」

「そんなことわかっている!」

 ムキになるシエル様にビックリする。アベル殿下の側近として、常に自分を律している方なのに。


 当然ながらシエル様のことを結婚相手として考えたことなどない。友人として、先輩後輩としてならば好ましいと思っている。もし、祖父がローゼンバルクのために嫁げ! と命じたならば、前世のドミニク殿下よりもずっとマシだと納得して嫁ぐ……かもしれない。


『ジュードよりも、好きになれるかどうか、考えろってことだ』


 先日のエメルの言葉が即座に浮かんだ。思わず透明な姿で窓枠に座り、見守っているエメルに視線を送ると、エメルに見つめ返された。こうも早々にこのテクニックを使うことになろうとは……。

 兄とシエル様、比べるまでもない。二人に向けた感情が未だ恋愛ではないにしても。


「……お断りいたします」


「そうか……。ふふ、さっぱりしたよ」


「どうして、とお聞きしても?」

 私は手振りでもう一度座るように促すと、シエル様は元の位置に戻り、ドサっと座った。


「人生、一度だけでも自分の選んだ相手にアタックしたいと思ったんだ」

「なぜ、今日?」

「……エリザベス殿下と私との縁組が舞いこんでね」


「え……エリザベス殿下は……確かリド様と……」


 シエル様が右の眉をピクリと上げた。

「辺境伯の情報網も侮れないね。そう。王家と神殿の融和のため、エリザベス殿下は次期大神官候補のリド神官と内内に婚約していた。しかし、神殿が唐突に解消に動いてね。なんでもこの婚約はよろしくない、という神託が降りたそうだ」


 卵が動いた……ドラゴンの孵化の目処がたったからだ。王家から王女など迎えても、扱いづらい目の上のたんこぶでしかない。ドラゴンさえいれば、牽制しあう必要もない。神殿が、リド様が強気に出た。


「神託が下りたというのに縋り付くのは王家のプライドが許さない。王家は表面上はにこやかに承諾。しかし、殿下の歳の頃に釣り合う近隣の王族は既に皆伴侶や婚約者がいる。ということで、婚約者を据えずのんびり構えてた私に白羽の矢が立った。まあ、こういう場合の待機人員でもあったわけだ」


 侯爵令息であるシエル様が、王命を断れるはずがない。

「そう……ですか……」


 シエル様は私を切なげに目を細めて見つめ、小さく笑った。

「クロエ、君のことを熱烈に愛していた、なんて言わないさ。でも、これまで出会った女性の中で、一番好きだった。私はクロエの強さと生真面目さを尊敬していたからね。それと、その飾らぬ草原のような瞳も好きだった」


「シエル様……」


「一度……青春を味わいたいという私のわがままだ。付き合わせて悪かった。クロエにきっぱり振られて……私は潔くエリザベス殿下に仕えることができるよ」


 貴族に生まれた以上、国のための政略結婚に文句など言えない。それは重々承知している。でも、王家は……あの王家だけは……苦労することしか想像できないから祝福できない。アベル殿下が王になれば、変わることを祈るしかない。


「これからも友人としてよろしくね」


「それは……無理でしょう?」

 前世のエリザベス殿下はキツイ性格だった。草魔法風情が王族と関わることを殊の外嫌っていた。

 それがなくとも、自分の婚約者が、恋愛感情がないとはいえ、他の女とおしゃべりするのを気持ちよく思うはずがない。


 そして、私自身が前世の記憶のためにエリザベス殿下にはトラウマがある。ドミニク殿下やガブリエラと同じレベルで。


「そうか……」


 ふう……と背もたれに体を預けるシエル様に、後ろの文机で再び書記をしていたダイアナが声をかけた。

「恐れながら、シエル様!」

「……なんだいダイアナ?」


 私を交え三人で、学校の中庭で何度か話したことがある。ダイアナも一応、シエル様にとって平等を謳う学校の後輩で、顔見知りなのだが……私の従者に無礼とも思わず穏やかに返事をしてくれるのは、シエル様のお人柄でしかない。


「シエル様、クロエ様に告白したって、かなり女の趣味、いいです!」

「は?」


 シエル様がきょとんとした。


「そのセンスに自信を持って生きてください! 生きてれば、シエル様のターンがきっときます。その時に、クロエ様よりも素敵な女性……そんなやついないか……ならばクロエ様の次に出来のいい女性を見つければいいと思います!」


「……ぷぷっ! じゃあ、その時に再びおばあさんになったクロエを選ぼうかな?」

「は? クロエ様が売れ残ってるはずないでしょ?」


 慌てて会話の間に入る。

「ダイアナっ! ああっ、もう! シエル様、うちのダイアナが好き放題言って申し訳ありません!」

「くくっ!いや、いいよ。ダイアナの言うとおり今は大人しく私のターンを待つよ……って不敬だね。ここだけの話にしてほしい」


 シエル様は涙目になって笑いを押し殺している。その姿を見て、なぜだか悲しくなった。


「クロエ……安易に話せぬ間柄になるけれど、君に恩があることは生涯忘れないから。どんな時代になろうとも、クロエの不幸せに加担することはないと誓おう」


「私も……あの学校でシエル様は誰よりも私にとって先輩らしい先輩でした。感謝とともに、シエル様のこれからの幸運を祈っております」

 シエル様のおかげで、ふざけたり、困ったり、笑ったりできる学校ならではの先輩後輩関係というものを味わえた。前世ではあり得ないことで、私はそれを束の間楽しんだ。


 シエル様が立ち上がったので、私たちもそれに倣う。すると、シエル様はゆっくりと私の手を取り、指先にキスをした。


「クロエとの卒業パーティーでのダンスは、私の子ども時代の最良の思い出だ。またいつか……」

「また……いつか」



◇◇◇



 家紋のついていない馬車でシエル様が帰っていくのを私は見送った。

 エメルがすぅっと姿を現し、私の肩に乗る。


『王家に行っちゃうか……惜しいね』


「王家ももっと……王族の一員になりたくてたまらない、ギラギラした男性を選べばいいのに」

 ポロリと想いが溢れる。


「グリーンヒル侯爵家とは互いに特産品を融通したりと良好な関係を築いていただけに残念だ。今後は距離を置いたほうがいい。トラブルに巻き込まれてはかなわん」

「……ホークの言う通りね」


 前世の私と同じ、王族の婚約者になってしまったシエル様。少なくとも、シエル様は私のようにクズ魔法と罵られることはない。

 でもシエル様の専門は頭脳を使った政治手腕であり、魔法ではない。レベルもさほど高くない。


「シエル様を少しでもいいから尊重してくださると、いいけれど……」

「王家だぞ? ありえない。クロエ様はこれまで何を見てきた?」


 ホークが冷たく言い捨てた。


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