第94話 リド神官

 滅多に下々に姿を現さない大神官様だけでなく、リド様というわかりやすい後ろ盾ができて、神殿での生活は何も縛られないものになった。

 しかし、これだけの便宜、ただで受け取るのは怖ろしい。


 私たちの日課は、朝の祈祷、朝食、奉仕作業、昼食、勉強、夕べの祈祷、夕食、入浴、就寝と定まった。


 私の奉仕作業は草むしり込みの庭の手入れと、製薬だ。神殿に寄進する薬の種類と量は祖父と話し合って決めた。すでに市場に流通し、比較的安価なもの……それすら買えない貧しい人のために。それと避妊薬だ。


 その時間、アーシェルは〈風魔法〉を適性に持つ神官に教わっている。はじめはただ突っ立っていただけだったが、実は最初の指導役はアーシェルよりもレベルが下で、拙い魔法にアーシェルがイライラしたのか口出しを始めた。

 その後、その神官の彼を逆に少しずつ教えたり、感謝されたり、もっと強くなろうと励まされたり。そして今、レベル85の神殿で一番の〈風魔法〉使い神官を引っ張り出して、新しい技を学びはじめた。


「アーシェル様、術が完成したときは、とてもいい顔をしているよ?」

 ミラーの報告に頷く。偽らず欲するままに適性魔法を使えて、適性だからこそ、グングン伸びていくのは快感だろう。火魔法では全くその喜びを味わえなかっただろうし。


『全て計算づくなんだろうね。神殿のこの指導術? あっぱれだ』

「神殿もある意味教育機関だものね。どうあれアーシェルの瞳に光が戻って……感謝しかないよ」


 そして私は常にアーシェルの視界から消えないように努めている。私は二度と、アーシェルを置きざりにしてはならない。


「アーシェルー! 畑にひんやり温度の風を流して〜!」

 アーシェルが無言で左手を払うように動かす。夏の昼間に爽やかな風が通る。

「ありがとーアーシェル!」


「少しずつ、生気が戻ったようだね」

「リド様」


 リド様は思ったよりも頻繁に、私たちの前に顔を出す。同じ年頃の人間がいなくて寂しかったと言っているけれど、それはまんざらウソでもないのだろう。


 私にもアーシェルにもすっかり砕けた言葉を使うようになった。そもそも私たちは神殿にお世話になっている身、呼び捨てされても構わない。


「アーシェルの境遇に同情はすれど、衣食住は十分に足りていたし、友人もいたようだ。うちの孤児院の子どもたちよりも不遇とは思えない」


「……例え衣食住がたりていても、ふた親揃っていたとしても、肝心なものが与えられなければ、不幸でしょう」


「でも、クロエはそこから己の力で脱出したんでしょ?」


「……私は運良く師に巡り合い、そこそこの力を手に入れたからです」


 私には前回の記憶があり、マリアとトムじいとルルがいた。控えめな愛があった。


「それでも、彼は自ら動けたはずだと思うけどねえ」

「リド様、私の親は毒なのです。アーシェルは私たちよりも年下、大目に見てあげてください」

 リド様は私の一つ下。ちょうど私とアーシェルの間だ。


「わかったよ。クロエ先輩。今日はポッカリ時間が空きました。奥殿向こうの神域にご案内しますよ。私としてはあそこにしか自生していない小さな紫色の花を咲かせる植物がなんなのか教えてほしい」


 神域の植物? 興味が湧かないはずがない。でも……

「……あまり秘密を私に晒してほしくないのですが……」

「なんでも知っておくことは大事でしょ?」

「もし稀少な植物が盗まれて、その存在を知っていた私が疑われたらと思うとゾッとするのです」

 私は部外者。真っ先に疑われる。


「さすがのクロエも神域に一人では入れないから、大丈夫だよ」

 そこまで自信を持って言うほどにガードが固いのならば、まあ安心か?


「アーシェル〜! リド様と神域に行って、草見てくるわ〜!」

 アーシェルがチラリと私を見て小さく頷いた。ミラーが私を心配そうに見ているが、私が視線を斜め上に上げて、エメルがいることを伝えると、ホッとした表情で頭を下げた。


「臣下と以心伝心なんて、ローゼンバルクはカッコいいね。今のはどういう意味?」

 リド様が無邪気を装い尋ねてくる。

「リド様は私をまだ品定め中だから、問題ないと」

「はははっ! 違いない」




 ◇◇◇




 普段私が立ち入らない奥の奥にある観音開きの扉の前に立つ。想像していた神兵の厳重な警備……なんてものはない。リド様はニッコリ笑って私と手を繋いだ。


 私の体を、かつて感じたことのある、ぬくもりある柔らかなものが包み込む。

 鍵も何もかかっていないただの木の扉をリド様が押し開けて奥に進んだ。


 神域と思われる、森が広がっていた。草の濃い匂いがツンと鼻につく。

 リド様が繋いだ手をゆっくり持ち上げて、私の指先にキスをして、そっと手を離した。


「ええと……どういうことですか?」


「ここは一定レベル以上の〈光魔法〉を持っていないと入れない、目に見えない障壁がある。だからどんなに強いクロエでも、ここに一人では立ち入れないよ」


「……まあ」

 私は慌てて周りを見渡せど、さっぱりわからない。そして、慌ててエメルを探すと、すでに頭上で興味深そうに飛び回っている。光の障壁はエメルを傷つけなかったことにホッとする。


「つまり、かなり高位の神官しか入れないのですね」

「そうだね。ドーマがギリギリくらいじゃないかな。〈光魔法〉マスターは最低条件だよ」


 神官をざっくり説明すると、見習い、下級神官、上級神官、特級神官だ。その中にも細かい階級がある。ドーマ様は出会った頃は下級で今は上級神官の中ほどだ。

 そして、目の前のリド様は特級だ。特級は大神殿長様はじめ、現世で10人と決まっている。この若さで第九位だそうだ。


「リド様、マスターなのですか! すごいですね!」

 〈光魔法〉マスターも、特級神官の条件なのかもしれない。


「〈草魔法〉MAXの人に言われてもね……アーシェルも風はマスターに到達したようだし、アベル殿下も……〈光魔法〉MAXだろう?」


『……よく知ってるな。この小僧』


「……リド様ならばすぐにMAXになれましょう」

 だって、神殿には〈光魔法〉の教師も教本も山ほどあるはずだ。手探りのアベル殿下とは違う。それになんといっても若い!


「ふーん、アベル殿下には手助けしたのに、僕にはしてくれないんだ?」

 リド様が下唇を突き出してみせる。その姿は年相応だ。アーシェルも、こんなおどけた表情を見せてくれたらいいのに。


「アベル殿下に伝えたことでよければお教えしますが、きっと神殿においては目新しいものではないでしょう。それに、高レベルになればなるほど……結局本人の努力以外ありません」

「正論だね。でも一応ローゼンバルクの秘伝の書、僕にも見せて?」

 秘伝の書? はエメルの記憶だ。エメルをチラリと見ると、リド様をじっくり眺めたあと頷いた。

「それで、今回の滞在の対価になるのならば」

「余るほどの価値だよ。ありがとうクロエ。では神域を紹介しよう」


 リド様は一気に機嫌がよくなった。


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