〜八歳〜
第22話 ガイアの子
ドラゴンの卵を托卵されて、はや二年経ってしまった。
私はいつも卵と一緒に行動する毎日だった。朝起きて魔力を注ぎ、昼ごはんを食べて魔力を注ぎ、夜寝る前にも魔力を注ぐ。
私が目を離した隙に孵化して、赤ちゃんを戸惑わせてはかわいそうだから、ふわふわのクッションを敷いた草籠に背負い紐をつけて、よいしょっとどこへでも背負っていく。そんな私の移動風景は屋敷の人間にとって見慣れた光景となっている。
ルーティンのように、夕食を取りながら祖父が尋ねる。
「クロエ、今日はどうだ?」
「うーん、いつもと変わりないので今日産まれる感じはしないです」
コンコンっと殻を叩いてみるけど、今日も応答はない。
「雑だな、クロエ」
兄はそういうけど、もうこのたまごっちとは二年の付き合いだ。親しみも湧いたぶん、雑にもなる。
「文献よりも時間がかかりますねえ。……生きているのでしょうか?」
執事ベルンも祖父にワインを注ぎながら、心配そうに尋ねる。
「毎日魔力グイグイ吸ってるから、生きてる……と思う」
「グイグイ吸われてるなんて……お嬢様が大きくならないはずだわ」
マリアが私のコップになみなみとミルクを注ぎ足した。
私は幼児期の栄養失調が原因なのか、同年代に比べて小柄だ。
「オレ、今日の力仕事は済んだから、少し魔力注ぐよ」
兄が卵に触れると、卵がキンキンに冷えて、殻の周りに水滴がつく。
「うわっ! 今日もドバッと魔力持ってかれた〜〜〜〜!」
兄はガイア様に〈土魔法〉の適性をもらったために、少しでも恩返ししたいようだ。
そういえば、ガイア様との対面の場に一緒にいたホークとニーチェは〈土魔法〉をもらっていなかった。兄はあのとき、私に触れていたから巻き添えにあったんじゃないかと思う。
八歳になった私の日課は、午前中は畑仕事。〈草魔法〉ではなく〈土魔法〉を意識して、よりよい野菜づくりに励んでいる。畝を作るのはトレーニングにちょうどいい。それと、土壌を改良し、実験し、豊作だったときの土の成分を、魔法なしで再現できるように研究する。私なしでも今ある素材を掛け合わせ、再現できるのが理想だ。
午後は少し人里から離れた場所で、大掛かりな魔法を展開する。練度を上げること、新しい課題にチャレンジすることが目的だけど、魔力を空っぽ近くまで消費するのも大事。そうしないと魔力の保有量が増えない。
「魔力底つかせないと、保有量が増えないって、目から鱗だったなあ。クロエ、誰に聞いたんだ?」
前世、あらゆる魔法を毎日限界まで使っていたから気がついた。家族や王子に振り向いてほしくてかなり無茶をしていた。報われなかったけれど。私は兄に苦笑いを返した。
「俺も最近は驚くほど魔力量増えてるぞ? 気を抜くと卵に、ぶったおれるまで吸われてるからな」
兄も苦笑いした。
「うん。ジュード様はもはやタンク専門職並みのキャパシティだね。あーオレもダンジョン行けばよかった〜!」
今日の私たちのお守りのゴーシュが悔しがる。
「ゴーシュ、あの時はお魚とっても美味しかったよ! あ〜思い出す〜また行きたーい!」
「ガーン! クロエ様、ひどい……」
夜は綿毛で飛んでくるトムじいの〈草魔法〉課題を解く時間。私の前世の穴だらけの知識を埋めていく課題は、いよいよレベル90オーバーの知識を使うものになり(トムじいも弟子ができたことで奮起して、レベルMAXになってしまった)、超難問で、期限内に成果を出せずイライラしてしまう!
「あーーーー! 全然、濾過できない! 草網に引っかかりすぎる!」
「ふむ……〈木魔法〉でお役に立つ本をお館様が持っています。ちょっとお借りしてきましょう」
手助けをかってでるベルンは、使える魔法がオールマイティで、本来の適性が何か私にはさっぱりわからない。知識欲マニアだと思う。
「お嬢様、睡眠不足は成長の敵です。あと一時間でお休みください」
マリアはちょっと怒って、いつものように私にホットミルクを、ベルンにブラックコーヒーを持ってきてくれた。
「はーい!」
私はバタバタとした、平和に包まれている。
◇◇◇
だんだんの暑さが厳しくなってきた季節、今日の畑の実験結果をまとめていると、ピシッと何かが弾ける音がした。
慌てて籠を覗き込むと、卵がゆらゆら揺れている!
この二年のぴっとりひっついて生きてきた生活で初めての……変化!!
「マリア! お兄様を呼んで、おじい様にお伝えして」
「はいっ!」
マリアがバタバタと走り去るのを横目にみつつ、私は卵の前にしゃがみ込んで両手を突き出し、大量の魔力を注ぐ!
「元気に〜産まれろ〜元気に〜産まれろ〜!」
そう念じながら卵が揺れるのを見守る。
「クロエ!」
兄がバタバタとやってきて、常にない勢いで魔力を吸い出される私の背にまわり、ギュッと支えてくれる。
兄の到着から数分経つと、ピシッピシッと卵がテッペンから割れ出し、中から光がもれ、パリンと穴が開くや否や、パンっと殻が弾けた!
そして、若草色のムチムチした、小型犬と同じくらいの小さな生き物が、小さな背中の両羽を懸命に羽ばたかせ、宙に浮いた。アイスブルーのまんまるな瞳が私とバッチリ合った。
『クロエ、ありがと! ジュード、ありがと!』
思わず両手を差し伸べると、小さな子ドラゴンは私の腕に収まり、ふわっとあくびをして寝てしまった。
衝撃の瞬間が過ぎても、しばらく誰も声をだせなかった。
ようやく兄が目を丸くしつつ、背中越しに覗き込む。
「……えっと、寝たのか?」
「そうみたい。お腹が膨らんだり萎んだりしてるから、呼吸してる。お兄様、この子の声聞こえた?」
「ああ。驚いた。俺たちの名前わかってるし……ガイア様の記憶なのか? 卵の中で聞いていたのか?」
「……クロエ、体調はどうだ」
祖父も体に似合わない忍足で私のそばに来ていた。
「どうもないです。おじい様」
「……そうか。よかった」
「ほんとにドラゴンだったのね……」
マリアが私の腕の中を恐る恐る覗き込み、我知らず口に出す。
その気持ちよくわかる。直接ガイア様に卵を託された私でさえ、その記憶が遠くなるにつれ、あれは夢で、これはただの石ではないのかと思い始めていた。
「……めでたいことです。このドラゴンはローゼンバルクの守護者となってくださるでしょう」
冷静沈着を地でいくベルンが珍しく興奮気味に言った。
「重くないか? 爪や鱗は痛くないか?」
「大丈夫です。卵の重さとほとんど同じだもん。鱗もひんやりつるんとした触り心地です」
「ふむ。ひんやりしてるのは、ジュードの魔力を持つからかも知れんな」
「俺の影響……?」
兄は私から子ドラゴンをスポッっと取り上げて抱っこした。
「だ、だめ! お兄様!」
「クロエばっかり独り占めはズルイ……え?」
兄は急にふらりと体を揺らし、後ろ向きにバタンと倒れた。
「ジュード!」
「ジュード様!」
私は慌てて子ドラゴンを取り上げた。兄は目を回している。
祖父が兄の心臓に手をやり、
「魔力切れか。ドラゴンは生まれた今も魔力を吸ってるのか?」
「はい、グイグイと」
魔力はドラゴンにとってミルクにようなものかもしれない。
ベルンが兄を横抱きにして退出した。
「おじい様、まだこの赤ちゃん、生まれたばかりだから、今日は一緒に寝ます」
「……これのことはクロエに任せる。おやすみクロエ」
祖父は私の頭をガシガシと撫でて、その手つきと真逆な、羽のようなキスを頰にして、出ていった。
周りには誰もいないとき、祖父はそっとキスしてくれる。
おじい様に今日も愛されてるとわかって嬉しくて、私も子ドラゴンにマネっこキスをした。
「はじめましてかな? お久しぶりかな? とりあえず、おやすみ」
ドラゴンを抱いたまま、ベッドに潜り込んだ。
◇◇◇
『クロエ! クロエ!』
かわいい、私に負けないくらい舌ったらずの声で、目を覚ます。宝石のような瞳が目の前にある。
「おはよう、子ドラゴンさん。どこも気持ち悪いとこない?」
『うん。元気! クロエ、魔力いっぱいありがとう。オレ、このままだとあっという間に大きくなるよ!』
私の前世の止むに止まれぬ事情で身についた規格外の魔力量が、一つの命を繋ぐのであれば……報われた。
「ねえ、ドラゴンさん、お名前は? ガイアでいいの?」
『オレはガイアの記憶を受け継いでるけど、ガイアじゃない。ガイアは親だ。名前は〈魔親〉になったクロエが決めるんだよ』
私は〈魔親〉という立場らしい。
私は改めて目の前の不思議な生き物を観察する。
体を守る光沢ある若草色の鱗はまだ柔らかくて、頭の上には白い産毛がいっぱいの小さな耳をピクピク動いている。尻尾は短いけれど、やがてガイア様のように太く長く育つのかしら? ガイア様は口からのぞく牙も恐ろしかったけれど、赤ちゃんのそれは、まだ人間の八重歯のようにちょっと他より尖っているだけだ。
「うーん、嫌なら言ってね。…………その肌の色からエメラルドのエメルでどう?」
『オレの肌を宝石に例えるなんて、随分持ち上げてくれるけど、クロエの瞳と同じ色ってわかってる? 』
「そうなの?」
『そうだよ。肌も瞳も適性も〈魔親〉次第だ。でもエメルは気に入った。そう呼んでね』
そしてエメルの瞳はどこまでも澄み輝くアイスブルー。兄のものだ。
「ならば早速お兄様に紹介しなくちゃ! エメルの瞳が自分と一緒できっと驚くね! あと、おじい様にも……」
『待って、せっかく二人きりなんだから、ちょっと内緒の話がしたい』
「何?」
私はニコニコとひんやりしたウロコをなでながら上機嫌で聞いた。
『クロエの巻戻り前の生について』
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