第101話 戸惑い

 兄は、私の胸に大きな動揺を残したまま、さっさと領地に帰っていった。


 私が書斎で色づきはじめた木々を眺めるふりをして、ぼんやりしていると、正面でダイアナへの引き継ぎ書を作成中だったミラーがボソッと呟いた。


「クロエ様は、てっきり精神面は大人だって思ってたけど……こっちはからっきしだったか……」


 自分の名前が耳に入り、我に返る。


「な、何? ミラー?」

「はあ、クロエ様、とうとうジュード様のお気持ちに気がついたってとこでしょう? で、どうすりゃいいの? って困ってる」


「な、なんでわかったの!」

 ミラーは〈火魔法〉のみならず、人の心の声が読める魔法も持ってるのか!?


「ジュード様が領地に出発するとき、いつもは胸に飛び込んでいって顔をぐりぐり擦り付けるのに、今回はやけにモジモジしてて、ジュード様がお別れに抱きしめたら、顔を真っ赤にしてたじゃないですか?」


「そ、そんなにあからさまだった!?」

「まあ、これまでのお二人を見知っていれば、一発でバレますね」


 思わず両手で顔を隠す。


『面白い話をしてるね』

 エメルがどこからともなく姿を現し、テーブルの上に着地した。


『変な雰囲気だなーって思ってたんだよ。そっかそっか』

 エメルがニヤニヤと笑いかける。


「ミラーは、その、お兄様の気持ちを知っていたの?」

 手のひらで顔を隠したまま指の隙間からミラーを見つつ問いかける。


 ミラーはペンをテーブルに置いてニコッと笑った。

「ジュード様の側近になるときに、『クロエ様を狙ってるやつは俺の屍を越えていけ』と言われました。その鬼気迫るオーラに、ああ、誰にも渡す気持ちはないんだな、と一同察しました」


 ということは、デニスもダイアナも……トニーまで?


「初耳なんだけど……ダイアナからも聞いてない……」

「そりゃ、ローゼンバルクにとってなんの問題もないですし? クロエ様がもし外から婚約者を迎えるならば、ジュード様以前に我々が力試しさせていただきますし? まあ既定路線すぎて、ダイアナも、特段話題にしようとも思わなかったんじゃないですかね?」


「既定路線……」

 棒読みに復唱する。


「失礼ですが、クロエ様、ジュード様を将来の夫として見たことはなかったの?」

 私は静かに首を横に振る。

「ないよ……ミラー、私はね、おじい様とお兄様に六歳で命を拾ってもらったの。二人が幸せになるためならなんでもしようって思って生きてきた。そして、私が二人やローゼンバルクに危機や面倒をもたらすようならば、穏便に立ち去ろうって……」


 もし、兄が結婚するならば、即座に家を出ようと思っていた。小姑なんて邪魔でしかないし、兄が、奥様に優しく接するのを見ることは、耐えられそうにないから……。


『はっきり言っとかなきゃ、クロエが変に気を使って遠くに行っちゃうって勘づいたのかもね?』

 エメルがテーブルの上のクッキーを呑気に齧りながら、私の心情を暴露する。


「そーですね。クロエ様ももうすぐ成人するから、ジュード様もキチンと話しておこうと思ったんでしょう」


「私、どうすればいいのかな……」

 誰とはなしに、問いかける。


『クロエはジュードのこと好きだろう? 人として』

「もちろん大好きよ!誰よりも尊敬してる!」


 兄と祖父とエメルが一番好き。その次がローゼンバルクの仲間たち。


『それなら今のままでいいんじゃない?』


「俺もそう思います。ただ、クロエ様は辺境伯令嬢。おっかないお館様が付いているとはいえ、万薬を作るクロエ様はやはり貴族女性のなかで優良物件なんですよ」


「え?……でも、親が……あんなだわ。縁は切れていたとはいえ、私は今では罪人の子どもなのよ?」


「クロエ様がそのように汚点と思っているところにつけ込む輩すら出てくるでしょうね。今まで第一王子殿下やシエル侯爵令息などの動向を見て様子見だった貴族子息が、高位の二人が卒業したところで、ダメ元で突撃してくるでしょう。そんなときに、ジュード様を思い出せばいいんです」


「どういうこと?」

『ジュードよりも、好きになれるかどうか、考えろってことだ』


「お兄様よりも信頼できる人なんて、この世界にいないよ」

『ならばそれが答えだ。ジュードもクロエの気持ちが固まるのを待ってくれるよ。ジュードの一番恐れていることは、クロエに弾き出されることだ』


「そう……なの?」

『まあ俺も、〈魔親〉二人がひっつけば、めっちゃ安心だよ』

「俺も、お二人がひっつけば、めっちゃ安心です」

 エメルもミラーも、なんでもなさそうな顔で頷きあっている。ドギマギしているのは私だけのようだった。


 とりあえず、エメルとミラーに当面宙ぶらりんのままでもいいと許されて、この一番難しい問題を一旦保留にした。




 ◇◇◇




 いろんな書面を大神殿と祖父代行の兄が交わした。そして私は神殿に王都に滞在中は週3回ほど大神殿に赴き、〈魔親〉レクチャーに行くことになった。


 エメルはとっくに卵のそばに飛んでいった。私とミラーは神官服を脱ぎ、簡素な装いだ。それだけで客として丁重にもてなされる。


「クロエ様」

「リド様……これまで同様、呼び捨てでいいですよ?」

 リド様自ら、出迎えてくれた。


「そうは言っても、クロエ様の方が年上だし、もう見習い神官じゃないし、知らない知識を教授してもらうわけだし……」

「クロエと呼ばれるほうが教えやすいです」

「……まあいっか! じゃあクロエ、よろしくね。大神官は神域でお待ちになっている」

「まさか、大神官様までご一緒なんですか?」

「あの人は、この神殿で知らないことがあるなんて許せないの。管理魔なんだよ」


 リド様は、他の誰よりも大神官様に気やすい物言いだ。祖父と孫という関係もちゃんとあるらしい。

 私は自分と祖父の関係をなぞらえて、ふふっと笑った。

「偉大な祖父を持つと、互いに大変ですね」

「はあ? クロエは後継じゃないだけマシ! ほんっとやになっちゃうよ」


 雑談しながら最奥の神域入り口に行くと、真っ白な見習い神官姿のアーシェルが扉の横で待っていた。元気そうだ。


「アーシェル、久しぶり」

「あ……うん」


「アーシェル?」

 リド様が眉根を寄せてキツイ呼び方をした。アーシェルはハッと身構えて、

「こ、こんにちは、姉上様」


「……うん、こんにちは」


 上下関係や、一般常識を、少しずつ身につけているようだ。私にはそれらを指導することができなかった。きっと、血が繋がらないもののほうがいいこともあるのだ、と思った。一抹の寂しさと共に。


「さあ、入ろう」

 リド様が私と手を繋ぎ、リド様付きの神官がアーシェルとミラーと手を繋ぐ。順に温かい薄衣のようなオーラに包まれて扉を抜けた。



 さも、初めて通る道のようにキョロキョロと周りを見渡しながら、リド様の後をついていく。アーシェルもミラーも同様だ。


「こんなに深い森だったのですね」

「うん。くれぐれも一人で入らないようにね。迷うから」

「〈光魔法〉を持たないから、入れませんよ?」

「うーん、クロエならなんとかしちゃいそうだもの」

 そう言われて頰を引き攣らせつつ、歩き続けると、前回やってきた、卵の祭壇にやってきた。


「うわあ……」

 この私の呟きは演技ではない。何度目だろうと訪れるたびに感嘆させられる神聖さがここにはある。肌がピリピリと痺れる。


「あれが……」

 アーシェルが目を丸くしてみる先には、大神官様と、巨石の台座の上の卵。

 その後方の石碑にエメルは既にとまっていた。

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