第150話 奪還

 どれほど泣いただろうか。涙で石の床の色がすっかり黒ずんでしまった。


 教授なんて大嫌いだ。でも、全てを知ってしまえば……つらい。

 こんな思いばかりさせて……やはり大嫌いだ。


 ふと、手首を見れば、マーガレットのあいだにやはり一つだけ、インフィニティマークが残っていた。弟子の絶対絶命を助ける、師の守護の証。


「先生……私はこれを使うことなんて、一生ないわよ」


 師との絆を完全に断ち切られることなど、一度で十分だ。


『努力家のクロエならばきっと解決できると信じていますよ』


 最後にこんな言葉を残すなんて……反則だ。

 歯を食いしばる。泣くのは後だ! 私は〈魔親〉なんだから。


「頭のいい先生の考えた……命懸けの作戦だもの。絶対に成功してみせる!」


 ぎゅっと手首を握りしめる。腕で涙を拭いとる。今更ながら、一刻を争うのだ。


「弟子になってしまったからには、裏切らない。必ずサザーランド教授の意思を継ぎ、エメルを助け、カーラを自由にする! ……空間展開!! 範囲は王都全域!」


 両手を大きく真横に広げるフォームで魔力を放出する。すると私の亜空間の入り口が開き、その奥に王都中の、立方体の形をした他人のマジックルームのミニチュアが数百、先程よりもクッキリと浮かび上がる。


「レベル80アンダー除外!」


 一気にハコが溶けるように消滅し、残るところマジックルームは七室になった。


「生命反応確認!」


 同じくスゥッと消滅し、残るは三部屋。生き物をマジックルームに入れる鬼畜が他にもいるらしい。


 三部屋のうちから、愛するエメルの魔力を探す。


「……見つけた」


 エメルの爽やかで強いミントのような魔力が僅かに香る。やはりレベルMAX術者のマジックルームだった。これがジャックのだ。


 ここからは策などない。教授にもらった〈時空魔法〉の力技だ。そもそも初めて行使する魔法なのだ。教授から全て継承し、準備万端使える状態であっても、加減などわからない。


 全力で引っ張り出して、エメルをこの胸に抱くだけだ。ためらっている時間も惜しい。エメルを奪われて既に半日経った。

 両拳を握り込み魔力を最大限引き上げ、脳裏に自然と浮かぶ教授のやり方どおりに〈時空魔法〉を発動する。


「空間……強奪!」


 虚空の入り口を、さらにいつもの数倍大きく広げ、亜空間に魔力を放ち、目的のマジックルームを強引にジャックの領域から引き離す!


「ぐ……」


 油断すると、私が逆に引きずり込まれそうになる。足を踏ん張ろうとすると、そちらに意識がいって、魔力がうまく紡げない。


「成長! 草縄!」

 私は草で自分の腰を独房の石の柱にくくりつけ、両手を突き出し全力でマジックルームを手繰り寄せる!

 途中、グンと向こうに勢いよく引き戻された。おそらくジャックに気がつかれたのだ。


「……私が私のエメルを、奪われっぱなしでいられると思うの!? 捕縛っ!」


 私はレベルMAXオーバーの〈草魔法〉の網で、ジャックのマジックルームを覆うイメージをする。そして、魔力だけでなく、草そのものの強さ、しなやかさでもって、引っ張り出す!


「絶対に、負けないーっ!!」


 師であるトムじいそして教授から継承した全ての技能と、私の根性に賭けて!


 〈時空魔法〉〈草魔法〉双方に、一気に魔力を注ぎ込む! すると、すぐに均衡が崩れて、手応えがなくなり、巨大な空間がズルッズルッとこちらにやってきた。ジャック……諦めた?


 この際そんなことどうでもいい! この隙を逃すなと、全力で引っ張り、亜空間の入り口を部屋いっぱい広げると、白く濁った巨大な四角いハコが全容を現した!


「出た! 空間封鎖、撹乱!」


 空間に残る私の魔力をたどられぬよう、急いで虚空を閉じた。


「烈斬!」


 上から斜めに手刀で切り、マジックルームに時空の裂け目を入れ、そこから草を這わせ四方に引っ張りこじ開ける!


 やがてビョンっと不思議な音と共に、マジックルームは消滅した。それと同時に巨体のまま傷だらけで横向きに倒れた……エメルが現れた!!


「エメルッ!! 結界! 隠蔽!」

 蜃気楼原理の〈水魔法〉の隠蔽をフロア中にかけ、エメルに駆け寄る。


「エメル! エメル! ああ、秘密が少しでも漏れないように、大きいままでいたんだね! 魔力注ぐよ!」


 私は全身でエメルの巨体にしがみつき、エメルのために溜め込んでいたマジックルームの魔力を解放し、ドッとエメルに流す。


『……クロエ?』

 囁き声がようやく私の耳に届く。巨体サイズの凛々しいエメルの大きな瞳は開かない。


「エメル、聞こえる? 聞こえてるなら小さく、せめて本当の大きさに戻って!」

『……でも……そうすれば……オレがさらに御しやすい子どもだとバレる……』

「その時は私のマジックルームに隠すから! 私のマジックルームに入っちゃえば、無理矢理な命令なんて届かないはずよ! 届いたとしても、私が取り出させない! エメルの自由は私が守る!」


『クロエのマジックルーム? そんなことできっこ……んん?』

 エメルが辛そうに薄目を開けたと思ったら、ギョッとした表情になった。


『クロエ……なんだその見たことのないヘンテコ魔法MAXは……』


 エメルのその、少し精気の戻った顔が嬉しくて、私は涙を流しながら笑った。

「そのヘンテコ魔法のお陰で助けられたの。結界も張ってる。安心して小さくなって?」

 エメルは肩に入っていた力をふっと抜き、一瞬でミニサイズに戻り、私の涙をペロリと舐めたあと、私の首筋にガブリと噛みつき、魔力を必死に吸い上げた。


 痛みすら……大歓迎だ。

 私は二度と離れないように、ぎゅっと抱きこんだ。


『クロエ……』

「……なあに?」

『……全部見てた。短い髪も、かわいいよ。さすがオレの〈魔親〉』

「……でしょう?」




 ◇◇◇





『……なるほどね』

 エメルは、少し体力が回復したところで、自分がいなかったときの出来事を話すように私に言った。エメルが魔力補給を続けている間に、私はその身に起こったことを語り尽くした。


『教授は……哀れだな。しかし同情はしない。人質を取られていたことを考えても、巡り巡ってオレをこんな目に遭わせたことは万死に値する。まあ、それがわかっていたから死んだんだろうね。割と賢明な男だ』


「…………」


 教授については、私はエメルほどあっさり気持ちに整理がつかない。今頃……隣の部屋で冷たくなっている。いつか骸を運び出して、カーラが望む葬儀を出してあげたい。そしてきちんと弔いたい……弟子として。トムじいの時はできなかったから。


 ふと、カーラが私に教授の講義を受けるよう熱心に勧誘してきたことを思い出した。

 あのときは、カーラはすっかり教授に洗脳されている……と思った。しかし、今思えば、自分なりに考えて、兄の仕事が完遂しやすいように、不自然でない範囲で行動した結果だったのだろう。


 ああ、教授とカーラ、鼻筋が似ているかもしれない。というか、カーラの紺の髪と教授の群青色の髪……一緒だ。私がその時の印象で、勝手に色分けして記憶したのだ。


 私に接触したり、離れたり。その一貫性のないカーラの行動は、彼女のままならない立ち位置ゆえできっと……


 そこまで考えて、頭をブンブンと振る。過去の考察は全て終わってからでいい。



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