第120話 ゼロの薬②
「クロエはまだ、俺に秘密を抱えているのか?」
「何も……秘密なんて……」
ノロノロと返事をする。意図的にではない。ただ、脱力してしまった。
そして一度目の人生の出来事は本当に全て話している。ただ、自分でも整理のつかない感情部分まで、人に話すべきとは思わなかっただけだ。
「じゃあ、今から秘密を作ろうとしているんだ」
「そんなわけでは……大したことでは……」
私はもはやなんと言えばいいかわからなくなり、しどろもどろになった。毒を作った事実は……新しい秘密に違いない。
「……じゃあ、攻め方を変えよう。クロエ、私はそのネックレスをした
「あ……」
その情景は割と簡単に思い浮かんだ。日頃、マリアの膝でマリアのネックレスで遊ぶローランドを目にしているだけに。
「クロエの真珠には私のそんな思い出もある。私は今でも数を覚えているよ? 確か全部で132粒だったかな。それをいくつ減らした? バラした理由くらい教えてほしいね」
胸が抉られたように痛む。
私は大きく息を吐いた。兄に見つかった以上、整理できていようがいまいが話すほかないのだ。でも悲しませたくないし、止められたくもなかった。
兄は、全てを分かった上で、私を追い詰めたのだ。私が話さざるをえない状態に追い込み。私の荷を半分持つために。
私は諦めて、壁側の作業机に向かっていた椅子を、腰浮かし、背中の兄の方向に置き直した。
目の前に立ち塞がる兄を見上げる。
「もちろん……自殺願望などない。私は天寿を全うして、死の間際のベッドの上で次のローゼンバルクの女の子にこのネックレスを渡したいと願ってる」
「では、どういう機会に備えている?」
「エリザベス……殿下です」
兄が薬瓶を持ったまま、ゆっくりと腕を組んだ。
「……なるほど。教授はこれまでのところただの他国の貴族。いざというときは力を振るって殺しても構わんが、非力でかつ国の宝である王女殿下はそうはいかないってことだな?」
「はい」
少し糸口を与えてしまえば、私の思考など兄は勝手にたどり着く。ずっと一緒にいたのだ。私の全てがばれている。
「記憶の中の王女は、そんなにタチが悪かったのか?」
「……お兄様、もし、殿下に絡め取られても、ギリギリまで足掻くと約束する! お兄様の助けを待ちます! でも、でも、本当にどうしようもない時のためにそれは必要なの! 私は人間の尊厳を守りたいだけなの! お願い!」
「前は……人間の尊厳を守れないことも?」
私はつい鼻で笑ってしまった。可愛げのないことだ。
「牢で、自由を失った私に、尊厳などあるわけ……ないでしょう?」
何度……いっそ死にたいと泣き喚いたことか。やがて声も枯れ果て、目の光も消えて……。
兄が黙り込んだ。静寂が二人を包む。私はもう無気力に床を眺めていた。
「……よくわかった。マジックルームに入れておけばいい」
兄は自らもう一つの瓶にも手を伸ばし、私の手のひらに載せた。
「お兄様……?」
何がなんだかわからず、兄を仰ぎみる。すると、兄はゆっくりと私に向かって頷いた。
どうやら……ゼロの薬を持つことを許されたらしい。信じられ思いもありつつ、胸を撫で下ろした。
「わかってくれて……ありがとう……」
私は手のひらの青い薬瓶を両手でそっと包んだ。
「ただし、片方は俺が持つ」
私は目を見開いて、顔をあげた。兄の手はもう一本の薬瓶のくびれを、軽く摘んだままだった。
私は首を横に何度も振りながら言い募る。
「お兄様……ダメ。絶対ダメ! お兄様は毒がどれだけ危険かわかってない! たとえ使わなくても、持っているだけで精神的に負担になるのっ!」
兄がアイスブルーの瞳で私をまっすぐに上から射抜く。
「しかし、クロエはそれを持つことで安心するのだろう? 矛盾している」
「お兄様には、私のような危険はないでしょう!」
「お前が毒を持ちたいと思うほどに危険に脅かされているのに、私がここで平和を満喫しているとでも?」
「そんなこと、思ったことないっ!」
「クロエ、決定事項だ。毒を持つならば一本ずつ。俺に持たせたくないならば二本とも俺が完璧に凍らせて、ネックレスは回収する。どうする? 明日にはエメルが戻るぞ?」
輝かしい兄に毒なんて負の最たるものを持ってほしくない。
でも、でも、あれがないと、私は……ゼロの薬は私のお守り……最後の砦……。
「持って……いたいです」
私が呟くようにそう言うと、兄は、青い小瓶を自分の胸ポケットに入れ、私に向かって顎でしゃくってみせた。私は呆然としたまま、自分のマジックルームに入れた。
「お兄様……私……私……」
自分のしでかした結果に、体を震わせる。
「クロエの前回の苦悩は想像しかできない。歳を重ねるごとに、毒を手元に置きたいと願うほど追い詰められているクロエから、取り上げることはしない。ますますクロエは不安になるだろうし、別の毒を作りかねないから」
「は……い……」
「クロエ、もしお前がその毒を飲んだなら、俺も時を置かずして飲むから」
恐ろしい言葉に、私の呆然としていた脳が、一気に覚醒した。
「な、何を……そ、そんなのダメ、ダメ。お兄様が死ぬことなんてないっ!」
「クロエが死を願うような世界にいても、無意味だ。俺を形作る善の成分は、全てクロエでできているのだから」
「そんなの……お兄様を殺すとわかって……飲めるわけがない……」
兄が、強大な抑止力となって、死の前に立ち塞がる。
「クロエが常に毒を持ち歩いていることへの、俺の恐怖が、少しはわかったか?」
私は兄の胸ポケットを見つめて、がくりと肩を落とした。
すると兄が私の前で両膝をつき、腰掛けた私と視線を合わせ、私の両肩をガシッと掴んだ。
「足掻け! ギリギリまで。前回とは違うんだ! いかなる時も、必ずエメルと俺が、クロエを救出する」
「牢に……入れられても?」
「エメルとハコごと壊すさ。〈土魔法〉マスターになったしね」
「さすが……お兄様……」
私は深く考えずにそう言って、口の端を上げた。すると、兄に静かに抱き寄せられた。
「クロエ……」
「…………」
「生きることを諦めないでくれ……俺のために……」
兄の、絞り出すような声に、胸の奥から涙が溢れた。
私は、またもや自分自身で最愛の人を苦しめてしまった。兄の幸せを誰よりも願っているのに……。
「お兄様……頼りにしてるの。頼りにしてるの、本当に……」
「うん」
「でも、怖いの、どうしようもなく怖いの……」
「そうか」
「弱くて……自信がなくて……ごめんなさい……」
私は兄の腕の中で意味をなさないことを泣きながらボソボソと吐き続け、そんな私を兄は抱きしめ続けた。やがて兄は私を抱き上げて、ソファーに座り、私の背中をゆったりとさする……子どものころのように。
兄の腕の中はずっと昔から安心できたけれど、いつのまにここまで広くなったのだろう……
「お兄様……ごめんなさい……答えも出せず……甘えるばかりで……」
「いいんだ。兄であれ男であれ愛している。俺はクロエのものだ。……眠れ」
兄は私の首筋に手をやると、ひんやりとした感覚とともに、どうやったのか私の魔力をエメルがやるようにスッと抜いた。元々久しぶりの大技を使い、心身ともに疲労していた私の体は、抵抗出来ずに目を閉じた。
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