第119話 ゼロの薬

 ゼロの草は一般的には鎮痛剤の材料だ。

 しかし、レベル70以上の〈草魔法〉使いならば、一定時間体を全身麻酔状態……つまり仮死状態にできる麻酔薬を精製できるようになり、さらにレベル90越えの草魔法師になれば、ごく少量で、苦しむまもなく死を迎えられる毒……〈ゼロの薬〉を作ることができる。


 ほぼ即死できる毒は他にもあるけれど、この薬が一番、跡を残さない、と前回の私は結論つけたのだ。


 じゃあなぜ、事前に作っていなかったのかというと、私の危機管理の甘さと、もう一つの材料が手に入らなかったからだ。


 私はゆっくり立ち上がり、クローゼットの中に大事にしまっている宝箱を取り出した。

 中には、患者だった子どもからの手紙や、幼き日、兄が作ってくれた花冠の押し花が入っており、さらにその奥からベルベットの巾着袋を取り出した。


 壁付けの作業台の上で静かに中身を引き出す。それは初めて王宮に召し出された時に、祖父が私に着けてくれた、祖母の形見の真珠のネックレスだ。


 〈ゼロの薬〉の主原料は、ゼロの草とすり潰した真珠なのだ。


 真珠は非常に数が少なく、新しいものが市場に出ることはなかなかない。運良く手に入ったら、子に孫にと一族で伝えていく家宝となる。


 前回、モルガンの母が身につけていたのを何度か見たことがあったが、もちろん触らせてもくれなかったし、私が生き延びたとしても、私のものになる日など来なかっただろう。


 今、私の手元にあるネックレスは二連、二連にするほどの数が揃ったというのは、領地に海を持つ恩恵だろうか?

 粒はよくよく見れば揃っておらず、中には球ではなく、そら豆のような歪な形をしたものも、糸を通してある。売り物ではあり得ない。

 しかしそれすら愛おしい。これはきっと、遠いご先祖様がきっと仲間の漁師と共に、自ら何年もかけて集めた結果なのだ。愛する妻のために。まさしく家宝だ。


「亡きおばあ様は、私がこの美しいものを、毒に変えることを許してくれるかな……」

 そう言いながらも手は止まらない。

 もうずいぶん前から悩み抜いた末の結論なのだ。


 私は作業台に深いトレイを置き、その上に新品のハンカチを敷いて、慎重に糸を切った。五粒抜く。


「あんな死に方だけは嫌なの……許して……おばあ様……おじい様……」


 罪悪感を振り切り、魔力を引き上げた!

「密閉!粉砕!」


 部屋を除菌し、私の手元に〈空間魔法〉で小さなハコを作る。危険極まる毒をこの家にある容器で作るわけには行かない。その中で真珠とゼロの葉を粉砕し、アルコールや繋ぎとなる植物を入れ、


「攪拌!」


 しっかり全てがまざり、ドロリとしたスライム状になったところで、私のレベルMAXである〈草魔法〉を流し込む。


「抽出……」


 私の魔力によって化学変化を起こした成分が、スライムの下方からじわじわと染み出して、ポタリポタリとハコの下に溜まる。水滴が落ちなくなったところで、手をスライドさせてスライムを蒸発させた。

 残った液体の成分をハコから取り出して、滅菌した瓶に入れる。


「加熱……魔力注入……」


 瓶の上から加熱することで、改めて除菌し、日持ちを一気に引き上げる。そして最後の魔力の注入で、完全に毒として成分が固定された。


 久しぶりの一人での高度な製薬に、どっと疲れて椅子にへたり込む。作り上げた二本の瓶を交互に持ち上げ、出来を確認する。問題ない。

 光を通さないように青い瓶に入れてはいるが、中身は無色透明。とろみもなく、ゼロの薬はまるで水だ。


 一本は予備だ。二度目の人生ともなれば、慎重にならざるをえない。


「ふー……」

 作業台に肘をつき、両手で頭を抱える。




 ◇◇◇





 五分ほどそうしていただろうか?


 気持ちを切り替え、上半身を起こす。トレイの上の真珠に手をかざし、中を通る糸にせっかくだから草の繊維を混ぜて強化して、もう一度固く結ぶ。淡々と作業を終え、ネックレスを目の前に両手でかかげる。見た目は何も変わらない。誰も気が付かないだろう。


「で、おじい様とおばあ様に許しを請いながら、何を作り上げた?」


 突然の声にビクッと体を揺らし、恐る恐る背後の扉のほうに振り向くと、兄が扉に寄りかかり、この真冬の空気よりも冷たい瞳で私を見据えていた。


「お兄様……」


 私は部屋にも屋敷にもあらゆる魔法属性の結界を張っているが、そのどれも兄やマリアや家族を弾くようにはしていない。兄がノックもなく気配を消して忍び入れば、私は気づくことなどできない。

 私は兄から視線を外せぬまま、ネックレスをコトリとトレイに戻した。


 兄がゆっくりと私の下に歩いてきた。作業椅子に座る私を上から見下ろし、作業台のトレイに視線を移す。


「久々に見たね……義母ははがよく着けていた。このローゼンバルクの女主人の証である真珠を使って、クロエは何をしていたのかな?」


「……ミサ伯母様も、着けてらしたの?」


 言われてみれば、当たり前のことだ。祖母の持つ女性用の装身具は全て、嫡男の妻であるミサ伯母様のものに違いない。私の母はローゼンバルクを捨てたのだから。


 つまり、この真珠はミサ伯母様の形見でもあったのだ。兄の大事な大事なお母様の……。私は一気に動揺した!


「お、お兄様、伯母様の形見を使用してしまいごめんなさい! とりあえず、残りは返すから。本当に、本当にごめ……」


「クロエ、そのネックレスはクロエのものだ。俺の首には似合わん。俺はただ、クロエのものとはいえ、家宝の真珠を何に使ったのか?と聞いている」


「……」


 兄が全くぶれることなく質問を繰り返す。私は当然答えを用意していなくて、ただただ混乱に陥っていく。


「……エメルに言われていたんだ。自分が大神殿に行ってるあいだ、よく見張っとけってね」

「エメル……」


 出かけるとき、卵に会える喜びをペラペラと話すだけで、私を窺う様子など全く見せなかったのに。


 兄が私の頭越しに薬瓶を手にとった。

「お兄様!ダメっ!」

 素人が持っていいレベルの毒ではない。慌てて手を伸ばすが取り返せない。


「そう、つまり毒だな? 誰を殺す?」

「誰も殺したりしないっ!」

 私の声は、もはや悲鳴だ。


「では、自害用だな」

「っ!……」


 あっという間に、丸裸にされ、言葉を失った。



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