第148話 時空魔法

 エリザベス王女となんて、もっと言えば王族となんて、一生関わらなくてよかった。私はずっと辺境のローゼンバルクで、静かに畑を耕し薬を作って生きていければよかったのに。

 勝手に私の人生にズカズカとやってきて、めちゃくちゃにした。


「今回のジャックは、やはり、洗脳状態なのですか?」

「いえ、彼の才能は前回でわかっていましたので、今回は手っ取り早く、早い段階で人質で縛っているそうです。クロエを罠にかけましたが、本来はあなた同様、優秀で優しい子なのですよ。私は学校で、前回見つけた君たち以外の、埋もれた才能を探し、教育するように命じられました。そんな私に協力する命令も、ジャックは受けています。なんとも……やりきれない。と言いつつ救ってやることもできない不甲斐ない大人です」


 教授は俯き、首を横に振った。


 ジャックも大事な人を一人、殺されているのか……これでは恨めない……。


「教授のことは、現在利用価値がなくなったとしても、時間を巻き戻し、勝利を掴むチャンスを与えた立役者でしょう? なぜ切り捨てるのでしょう?」


「うーん、推測ですが、前回自分が無様に敗北したことを知っている人間なんて消してしまいたいのではないかと思います。王女は自分を誰よりも完璧だと思っていますのでねえ」


「辺境伯令嬢を牢に入れて、ローゼンバルクが黙っていると思っているのかしら?」

「ドラゴンが王女の手に落ちているんですよ? 黙ってるしかないでしょう。君の家族は守護神と敬う、かのドラゴンを攻撃できるのですか?」


「……クソッタレ!」

 私がそう吐き捨てると、教授は顔を上げ目を丸くして、クスクスと笑った。


「前回のクロエならば、絶対に言わない言葉ですね」

「……それはどうも」


 当たり前だ。前回の私の周りに、悪い言葉を率先して教えてくれるゴーシュはいなかったもの。

 ゴーシュにも……会いたい……。

 大好きな人たちの顔が次々と頭に浮かび、じわりと涙ぐむ。


「そう……今回のクロエは、大事なものがたくさんあるようですね」

 そう言って目尻を下げる教授は、私の癇に障った。


「それが何か?」

「いえ、頼もしくなったと感動したところです。そうか……」


 そう言うと、教授は顎に右手をやり、何か、思いを巡らせた。


「……ねえクロエ? 私にできる範囲で……ドラゴンを救出するところまでなら、助けてあげられますよ?」


 ドラゴンを救出するところまで助けてくれる? もちろんそれだけでも十分だ。エメルが私の腕の中に戻れば、祖父や兄はどれだけでも暴れることができる。

 しかし、教授をやすやすと信じられるほど、今回の私はお人好しではない。


「……条件は?」

 いっそ、交換条件があったほうが、疑わなくてすむ。


「妹を、ローゼンバルクにて保護し、穏やかな生活を送らせてほしい。それだけです」

 教授は真剣な表情でそう言い切った。


 教授の妹……教授の話が本当ならば、確かに妹さんはずっと辛い思いをしてきただろう。気の毒だと思うし、できることならば助けてあげたい。

 でも、教授は嘘つきだ。前回も善良な顔をして私をはめた。それが妹さんを人質に取られていたからやむなしだったとしても、結果的に教授は私を壊した一人だ。


「こうしているあいだにも、ジャックのマジックルームの中で、君のドラゴンは弱っているだろうね。それに、用無しの私のために、妹を生かしておくメリットなど、王女にはない。私もまあまあ切羽詰まっています」


「教授……」

 教授が私をぐいぐいと揺さぶる。


「どうだろう、クロエ。そんなに私が信じられないのならば〈契約魔法〉を使おうか? 決して互いを裏切れない強力なものを」


 決して互いを裏切れない協力な〈契約魔法〉……私が方法を知るそれは、一つだけ。


「それって……師弟の本契約のことを言ってるの?」

「そう。クロエ、君が私の弟子になればいいのです」


 師弟の本契約は、理論上その前の契約が何らかの理由で解除されていれば、複数回結ぶことも可能だ。

 しかし……そんな人、聞いたことがない。心情の問題だ。


 私は思わず、右手首の一重になったマーガレットを見る。これが刻まれた日と、それに続くトムじいとの美しい日々を思い出す。


 状況があまりに違う。真逆だ。私は顔を歪めて叫んだ!


「どの口がそんなこと言うの! 信じてたのに! 信じてたのに裏切ったくせに! もはや信頼も尊敬もないあなたを私が師に望むとでも!?」


 しかし、私が激昂するのに反して、教授は落ち着いていた。

「信頼も尊敬もいらない。契約すれば、今後、私は君を裏切りません。それが全てです」


 トムじい以外を師になんて……そうよ。

「そもそも、私は〈時空魔法〉など知りもしない! 弟子になどなり得ないわ」


「レベル差があっても、師弟契約はできる。ただ、力量の差で弟子の方が知力体力が追いつかず、のたうちまわる痛みを伴う。しかしクロエは魔力量が通常の三……いや今回は四倍か? 君ならなんとかなるだろう」


 私は必死に気持ちを立て直す。怒ってる場合ではない。


「……具体的にはどうするつもりなのですか?」

「〈空間魔法〉は〈時空魔法〉と元は同じ括りでした。〈木〉と〈草〉が一緒だったようにね。つまり時も操る〈時空魔法〉の方が魔術として格上。〈時空魔法〉MAXの私は自分よりもレベルの低い相手の空間に干渉できます。私はそこから君のドラゴンを引っ張りだしましょう。そこから先は君が考えなさい。ちなみに、術師の空間は、現実世界の結界などに左右されませんので。全くの別空間ですからね」


「そんな高度なことができるの? なぜそんな教授を、なぜ王女はお祓い箱にしたの?」


「一つに〈時空〉が〈空間〉の上位であることなんて、王女は知りません。私が言っておりませんので。だから私が〈空間〉を生活魔法以上に使えることをわかっていない。もう一つはさっき言ったでしょう? 勝利を確信した今、前回の己の敗北を知る私は、目障りでしかないと」


 結局……他に手段もアイデアも術を持たない私は、教授の案に乗るしかないのだ。エメルの生死がかかっているのに、自分の感情を優先させてどうするの!?

 エメルのためならば……あらゆるわだかまりを呑み込もう。


 私は左手から風を出し、右手の親指を切った。真っ赤な血がたらりと手首に流れる。

 教授はピクリと右眉を上げた。


「決断が早くて助かります。少し待って」


 教授は私に向かって右手をあげ、人差し指をぐるりと一回しした。すると私たちの間に立ち塞がる教授の映った壁が、グニャリと渦を巻くように歪み、その中心がぽっかり空いて、教授が右足から現れた。実物が目の前に来た。

 久しぶりに対面した教授は猫背ではなかった。


「壁、こ、壊したの?」

「いえ、歪めただけです。一刻の猶予もない。急ぎましょう」


 教授もカリッと親指を噛み切り、血を流した。私たちは無表情で互いの親指を合わせた。


「私、ピーター・サザーランドはクロエ・モルガ……、クロエ・ローゼンバルクを弟子に迎え、我が妹を保護する事を望む」


「私、クロエ・ローゼンバルクはピーター・サザーランド教授を師と仰ぎ、ローゼンバルクの守護神たるグリーンドラゴンの救出を望む」


 前回同様に二人の血が上空に伸びて、くるくると螺旋を描いて互いの手首に戻ってきた。

 しかし前回と違い、ズンッと身体中に重しのようなプレッシャーがかかる。これが、全く習得していない魔法を引き受けた弊害だろうか? たまらず両膝をついてうずくまる。


 意図的に私の魔力を新しく入ってきた何かに向けて放つと、どうにかこうにか融合し、数分で立ち上がれるまでに回復した。

 ふと手首が目に入る。私の二本目のマーガレットが数箇所メビウスリングで繋がれていた。

 なんの感慨もない。必要だから繋がっただけ。


「うん。成功したね。ご苦労様でした。ところでクロエ、契約でずいぶん喰われたとは思うけれど魔力はまだ残っていますね?」

「まあ、人並みには……」

 今ので大人一人分ほどの魔力を失った。残りは三人分ってとこだろうか?


「よかった。ではまず、師である私に毒薬を出してくれますか? 君の作った一番レベルの高いやつを」


 教授は有無を言わさぬ口調でそう言って、微笑みながら私に左手を差し出した。


 私は……呆然として、腕をだらりとおろした。


 師を裏切ることはできない。

 師の命令には……逆らえない。

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