第2話 とりあえず直置きはヤバイ

 呼ぶ方も呼ぶ方だが、行く自分も大概お人好しだ。


 小清水のアパートは二つ隣の駅の近くにあって、部屋は一〇八号室だった。


 玄関に上がる。靴置き場の真横に洗濯機が置いてある。キッチンを兼ねた廊下はひどく幅狭で、水槽を縦にして運ぶのがやっとであろうと思われた。右手に見えた二つのドア――それぞれトイレとバスルームに繋がるのだろう――をスルーして正面を開けると、フローリング張りの八畳間が出迎えてくれた。


「うっわ……」


 一目見て、琴音は思わず声を漏らす。


「私の部屋とは全然違うな」


「お、おかしいかな?」


「いや、褒めてる。いいじゃん可愛い部屋で」


 お世辞ではなくそう思った。


 白とブラウンで色調を揃えた家具といい、アンティーク調の雑貨といい、まるでちょっといいホームインテリア店の売り場のようだ。至るところに鎮座している動物のぬいぐるみが、部屋の借主が女の子であることを声高に主張していた。


「お」


 洒落た景観の隅っこに、琴音にも馴染み深い物体が一つ。


 ZEXゼックスマリーン600LEDセット。


 ガラス製の60cmフレーム水槽に、LED照明と上部フィルターと水質調整剤をつけたまとめ売り商品である。


 ――やるじゃん、小清水のお祖父さん。


 水槽を送ってくれたという小清水の言葉から、てっきり使い古しの水槽本体だけをイメージしていた。揃えなければならないものが多くて骨が折れそうだと思っていたのだ。しかし、新品の60cm水槽、しかも周辺器具まで一緒になってここにあるとなれば話は違ってくる。


「台はある?」


「台?」


「うん、水槽を載っけるための台。床に直置きだと都合が悪いんだよいろいろ」


 たとえば、水槽の底と床との間に硬いものが挟まっていた場合、水を張ると自重でガラスが割れてしまう――とか。


 たとえば、足を引っかけたり掃除機をぶつけたりして水槽を破損させ、盛大に水をぶちまけるはめになる――とか。


 たとえば、人が歩いたときの振動がそのまま水槽に伝わって、飼っている生き物がストレスを溜める――とか。


 たとえば、そもそも目の高さに水槽がなかったら、いくら綺麗な魚がいたって見づらくて仕方ない――とか。


 たとえば、水槽が低い位置にあるせいでサイフォンの原理が使えず、メンテナンスが大変になる――とか。


「サイフォンって何?」


「あー……おいおい説明するよ。とりあえず直置きはヤバイってことだけ今は分かってくれればいいや」


「テレビ台とかメタルラックじゃダメ?」


「やめといたほうがいい。小さい水槽ならともかく、60cmクラスだと水入れたら私たちの体重より重くなっちゃうから」


「っていうことは、最低でもわたしが乗って大丈夫なやつを選ばなきゃいけないんだね?」


「まあ、そうとも言える……かな? とにかく水槽専用のが売ってるから、その中から選んだらいいよ」


 水槽台の構造自体はシンプルだ。板を調達すれば自作できないこともない。が、琴音にそんなノウハウはなかったし、小清水に至っては工具を常備しているかどうかすら怪しい。


 幸い、メーカーは見栄えのいい水槽台を競って発売してくれている。この部屋と調和するものを探すことも難しくはあるまい。


「無いなら通販使いなよ。さっきの店でも買えるだろうけど、私たちだけじゃここまで持ち運ぶのキツイからさ」


「そうだね、そうす――」


 と、小清水のスマホが震えた。


 電話の着信だった。


「……青森のおじいちゃんだ」


「水槽送ってくれたお祖父さん?」


 小清水が頷く。


「出なよ。私はちょっとコンビニにでも行ってるからさ」


 客人の立場ではあるが、家族の会話を邪魔するのは気が引ける。自分がいては話しにくいことだってあるだろう。


 琴音は小清水の返事を待たず、アパートを出て街道に向かった。



     ◇ ◇ ◇



 二個入りのプリンを買った。


 よくよく考えるまでもなく自分は教える側で招かれた側だ。小清水のぶんまで用意する必要はなかった気もする。しかし一方で、わざわざコンビニまで行っておきながら自分のおやつしか調達しないというのも、それはそれでめちゃめちゃ感じ悪いように思えたのだった。


 ――ま、二個入りだし。一セットだし。


 私も大概お人好しだよな、という数十分ぶり二回目の思考を巡らせながら小清水のアパートに戻ると、エントランスで宅配業者のドライバーとすれ違った。


 一〇八のドアが開いているのが見えた。


「なんだ、あいつ宛の届け物か」


 小清水が一人暮らしを始めたのは高校進学がきっかけだと言っていた。ということは、このアパートに来てから一ヶ月くらいしか経っていない。


 入り用になったものがあったのかもしれない。


「おーい、戻ったぞー」


 琴音はさほど深く考えず、開いたままの部屋の入口から顔を覗かせた。


 そのとき、小清水はまだ玄関にいた。


 小清水の足元に、大きな段ボール梱包が見えた。


「あ、巳堂さん……。さっきのおじいちゃんの電話、これを今日指定で送っておいたから受け取ってくれって話だったの」


 それが何であるかは、梱包に印刷されている文字と図柄を見れば一目瞭然だ。


 コトホギ工藝こうげい謹製の木目調、扉つきのキャビネット型。


 組み立て式の水槽台であった。


「マジでやりおるな、あんたのお祖父さん……」


「わたしもびっくりだよ。――ね、今からこれ一緒に作ろ?」




 結論から言えば、大工仕事とはおよそ無縁そうな小清水の部屋にも、さすがにドライバーくらいはあった。


 届いたばかりの水槽台を組み立て、二人がかりで水槽を置いた。経験に照らせば空の60cm規格くらい女子一人でも充分持てるはずだったが、琴音はそうしなかったし、小清水が抱えようとするのも止めた。


 ――鈍臭そうだしなあ、この子。


 もちろん、そんな思いは口には出さなかったけれど。

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