第84話 金魚すくいの金魚くらいなら

 料理をあまりしない琴音には原価のことなどわからない。わかったとしても、調理するのに多かれ少なかれ手間暇がかかっている以上、ぼったくりだと言いがかりをつける気にはならない。


 それでも、いざ出店の食べ物の値段を目の当たりにしてしまうと、やはり雑な値決めが為されているのではないかという疑念が湧くのは抑えられなかった。なにしろ焼きそばとお好み焼きとツイスターポテトが全部同じ五百円なのだ。まじめに設定したらこうはなるまいと思う。


 ――ま、いいけどさ。


「おいしいね~、巳堂さん!」


「だな」


 屋台の群れからほど近いベンチに並んで腰掛ける。ポテトを串から外して頬張る小清水の幸せそうな顔を眺めていると、多少の出費なんてどうでもよくなってくるのだった。


「たぶん味自体は普通なんだろうけど、こういうところで食べると何て言うか補正がかかるよな」


「あはは、わかるかも」


 ちなみに、箸はしっかり二膳ある。小清水の買った焼きそばのパックについてきたのが一膳、自分の買ったお好み焼きについてきたのが一膳だ。小清水とともに焼きそばの屋台に並んだ時点で、次もとにかく箸のついてくる食べ物のところに行かねばならないと決めていた。


 ――間接キス……なんて、女どうしで気にするのも妙だけど。


 意識してしまったら最後、味を楽しむどころではなくなってしまうに違いない。小清水はどうだか知らないが、少なくとも自分に関しては百パーセントの確信をもってそう言える。


 そのことが何を意味するのかについては――正直わからない。


 確実に言えるのは、こうやって食べ物のシェアをするのが今は精一杯であろうということだけだ。


「ね、ね、食べ終わったらいろいろ回ってみようよ」


 焼きそばの容器に半分だけ移したお好み焼きへと手をつけながら、小清水がぱっと勢いよく顔を向けてきた。場の照度が増したかのような錯覚を得つつ、琴音は傍らに置いたスマートフォンへと目を落とす。


「花火は……一時間近く後か」


「まだまだ遊べるでしょ?」


「たしかに」


 琴音としてもその申し出は大歓迎だ。


 せっかく遠出してきたのだ。この規模の夏祭りなどどこでもお目にかかれるわけではないのだし、楽しみ尽くさなければ損である。


「そうと決まれば、さっさと食べちゃおうか。遊ぶ時間が長いに越したことはないだろ」


 琴音は焼きそばを口に運ぶ。舌の上に広がるソースのしょっぱさを心地よく感じながら、道の両脇を固める屋台の列へ、次いでその間を行き交う群衆へと視線を滑らせてゆく。


 浴衣で来ている人なんて珍しくもない。


 ――けれど、


 ――贔屓目かもしれないけれど。


 通り過ぎてゆく誰と比べても、いま自分の隣でお好み焼きに舌鼓を打っている小清水よりも様になっている人は見当たらない……と、思う。


 願わくは、小清水の目に自分もそう見えていてほしかった。




 どうやら自分たちは二人揃って射的の才能に恵まれなかったらしい。琴音がそれを悟ったのは屋台巡りを再開してからおよそ四十分後のことで、自分は小さなお菓子の箱を狙って掠りもせず、小清水はそこそこ大きめのぬいぐるみに当てはしたものの落とすに至らずという有様であった。


「う~……あのクマさん欲しかったんだけどなぁ」


 肩をすぼめて戻ってくる小清水に、琴音は苦笑いで応える。ひとつ前に訪れていたヨーヨー釣りの戦利品を持たせて慰めながら、


「ま、あれならゲーセンのクレーンとかに似たようなのある気がするよ……取らせるつもりのある台なら千円以内で取れるんじゃないかな」


「ほんと? ああいうクレーンって掴んだまま持ち上げられないものじゃないの?」


「綺麗に持ち上げるんじゃなくて、景品を引っ張ったり押し込んだりして位置をずらしていって、最終的に落とすってイメージかな。私も自分でやったわけじゃなくて千尋のプレイを横で見てただけだけど」


「なるほどね。……あっ」


 小清水がくいくいと袖を引いた。


 何に目を留めたのかと彼女の視線を辿ってみれば、通路の反対側、ミックスジュースと駄菓子とリンゴ飴を挟んだ斜向かいに、いかにも自分たちに相応しい出店が待ち構えている。


「金魚すくいか、考えてみれば夏祭りの定番だよな。覗いてみようか?」


「うん! 巳堂さん上手なんじゃない? アクアリストの腕の見せ所だよ!」


「いやそれとこれとは」


 たしかにスネークヘッドの食糧として金魚を使おうとしたことはある。が、なにしろギンガは生き餌を好まない個体だから、自分は他の肉食魚飼育者ほど餌金の扱いに慣れているわけではない。


 だいいち、縁日の金魚すくいの道具といえば紙を張ったポイと相場が決まっているではないか。アクアリウム用の網とでは強度が比較にならない。


「っていうか、捕ったとしてその後どうするんだ。ギンガはたぶん食わないし、うめぼしだってまだ小赤仕留められる大きさじゃないだろ?」


「……あの、餌前提のお話やめよ? 帰ったらとりあえずバケツに入れておいて、金魚鉢でも買ってきてあげたら飼えるよね?」


「ま、金魚すくいの金魚くらいならな……」


 あまりおすすめはしないというのが本音だ。


 金魚鉢というといかにも金魚を飼えそうに聞こえるが、実際のところあれは飼育用ではなく観賞用の容器である。金魚鉢しか用意できないのっぴきならない事情が仮にあるのだとしても、琴音なら金魚を入れることは選ばない。メダカやアカヒレを泳がせるのがせいぜいだろう。


 しかし、もちろん鉢と金魚それぞれの大きさによりはするが、小赤の一、二匹程度ならキープできないこともあるまい。


「――よし、じゃあやってみようか」


 そんなにたくさんは捕れないだろうし、と内心高をくくりながら、大量の金魚がぶち込まれたビニールプールの前へと進み出てゆく。




 結論を言えば、琴音は甘かった。


 高いテンションを保った小清水の運動神経はあまりに見事というほかなく、彼女は袋を二つに分けなければならないほどの金魚を捕まえてのけたのだった。


 ――これは、お土産コースだな……。


 金魚鉢どころか60cm規格水槽でも用意しなければ到底管理などしきれまい。千尋と佐瀬先生にお裾分けしてやろうと心に決める琴音であった。

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