第83話 似合ってる……すごく

 小清水家に到着してからの数時間は飛ぶように過ぎて、気づけば日は傾きつつあった。耳を澄ましてみれば、遠くで流れる録音放送の囃子の音と、家の前の道路をひっきりなしに行き交う人々の話し声とが渾然一体となって聞こえてくる。


 祭りの時刻が迫っているのだ。


「――というよりも、花火大会が夜だってだけだよ」


「会場自体はもう開いてるはずね。出店も並んでるでしょうし目一杯楽しんできなさいな」


 そんな小清水の父母による説明を受けて、琴音と小清水は出発することにした。


 ちなみに、琴音は一階の和室を借りて着付けた。小清水は「わたしの部屋にもちゃんと大きい鏡あるのに」と言ってくれたが、冗談ではない、気恥ずかしすぎて手が進むわけがないではないか。体育の時間にクラスメイトと合同でジャージに着替えるのとはわけが違う。


「……変じゃないかな」


 先に表へと出た琴音は、自らの袖を軽く引っ張りながらひとりごちる。


 藍色を基調としつつ白百合の花柄をあしらった浴衣は、琴音の母が学生の頃に着ていた代物らしい。つまりは二十年ちょっと時代の過ぎた品なのであって、実際に模様を見た感じ、いまどきの絢爛な浴衣の中に混じるには心もとなさが否めない。現に目の前を通り過ぎてゆくカップルの片割れ――たぶん大学生だろう――のものと比べると、どうにも地味な印象がつきまとってしまう。


 こんな自分と連れ立って、小清水は不満を覚えないだろうか。


 そのとき、ドアの開く音がした。


「巳堂さん、お待たせ~!」


 もうすっかり聞き慣れた、雲のように柔らかい友人の声。


 琴音は玄関のほうを振り返って、


「――あ、」


 息が引っ込んだ。


 琴音が言葉を失っているのにも気づかない様子で、小清水は「えへへ」と頬をふやけさせる。


「高校受かったお祝いに買ったやつなんだけど……どうかな?」


 どうもこうもなかった。


「似合ってる……すごく」


「やったあ!」


 さして履き慣れていないはずの下駄で、しかし小清水は器用にもぴょんと飛び跳ねてみせる。


 ――っ……か、かわいいな……!?


 薄桃色の生地に赤白二色の椿を散りばめた意匠で、帯はこちらと対を成すかのような紅色。可憐さを控えめに感じさせる一方でしっかりと主張の強い彩りが盛り込まれた浴衣は、纏う本人の性格をそのまま形にしたかのようだ。


 何より、華やかではありながらも派手すぎはしないレトロモダンな装いは、自分が隣に並んでもどちらが見劣りするということがない。


「その、なんだ……よかった。流行りっぽい派手派手なやつで来られたら私みっともなくて一緒に歩けないとこだった」


「そ、そこまで? ……実はね、わたしあんまり派手なの着ると却って子供っぽく見えちゃうみたいで。だから自分で『派手だなぁ』って感じた服は選ばないようにしてるんだ」


「ああ……」


 納得、


「いらない心配だったわけだ」


「うん。――っていうか、巳堂さんもちゃんと似合ってるよ? 大人っぽくて美人さんで、わたしの中での巳堂さんのイメージぴったりだよ」


「は……」


 瞬間的に顔に血が上った。


 こういう台詞を恥ずかしげもなく口にしてしまえるのが小清水由那という女のすごいところだ。本人はきっと、己がいかに相手を勘違いさせかねない言葉を発しているのか全然自覚していないのだろうけど。


 ――でも、まあ。


 口元がにやけそうになるのを必死に抑えながら、耳に残る「大人っぽくて美人さん」の響きを反芻する。


 小清水にそんなふうに思わせることができたなら、お下がりの浴衣も悪くない。帰ったら母に礼を述べておこうと、琴音はひそかに腹を固める。




 栗鼠追の夏祭りは河川敷で行われる。


 土手の上に引かれた道路をまっすぐ進むと、スピーカーから流れてくる囃子がだんだん大きく聞こえてきて、照明や屋台の灯がはっきりと見えてきた。あたりの夜闇がすっかり感じられなくなったときには、琴音はこれまでに見たこともないような人混みの只中にいた。


「噂には聞いてたけど、とんでもない客入りだな……」


「あはは、わたしも小学生の頃以来だからちょっとびっくり。この時期は毎年三十万人くらい町に来るんだけど、やっぱり花火大会のある日が一番多いんだって」


「三十万……亜久亜の人口くらいか。そう考えるとでかいイベントだよな」


 少し前から琴音は小清水に手を握られている。もちろん、はぐれないようにという気遣いからしてくれていることだ。


 先程「大人っぽい」と評されていきなりこのザマなのは我ながらどうかと思う反面、ここでは小清水のほうに一日の長があるのだから仕方がないとも思う。小清水も祭りを訪れるのは久しぶりのようだが、そもそも一度も来たことがない自分では地元人の彼女から主導権を奪えるわけがないのだ。


 小清水の体温はどうやら自分よりちょっと高めらしくて、繋いだ手からぽかぽかと温もりが伝わってくる。


 と、その手がぐいと引かれた。


「花火が上がるまではまだ時間あるから、お店を見て回ろ?」


「ん……そうだな。夕飯こっちで食べるからっておじさんとおばさんにも言ってきちゃったし。焼きそばとかでいいか」


「他にもいっぱいあるはずだよ、フランクフルトとかポテトとかお好み焼きとか」


「お祭り価格だろ? そんなにたくさんは買えないぞ」


「わかってるよぅ。目移りしちゃうなあ」


 などと言いつつ、小清水は早くもきょろきょろと屋台を見回しはじめている。


 ――ま、たしかに今日はあんまり食べてないしな。


 自分も小清水も、電車の中でおにぎりをいくつか平らげたのが最後の食事だ。あれは正午を過ぎたくらいだったはずだから、そろそろ腹の虫が鳴きだす頃合ではある。


 琴音はわずかに口角を吊り上げて、


「――どうせ食べ物は二人ぶん必要なんだ。いろいろ買ってそれぞれ半分こしてけばいいんじゃないか」


「わ、それ名案!」


 ぱっと華やいだ声をあげて、小清水は実に嬉しそうに表情を輝かせる。ぼんぼりと提灯、そして屋台が放つ色とりどりの明かりを照り返して、つぶらな瞳がひときわ深い光を湛えているように琴音には見えた。


 薄桃色の浴衣が翻り、賑やかな夜に椿の花を踊らせる。


「行こっ、巳堂さん!」


 琴音はやれやれと苦笑を漏らす。ハイテンション状態の小清水はこれまで何度か見てきたけれど、今日はいつにもましてパワフルだ。


 生まれ故郷に戻ってきたからなのか、祭りの空気がそうさせるのか。


 どちらにしても、花火大会が始まるまでは落ち着くまい。今宵は彼女に振り回される夜になりそうだった。

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