第109話 土でも水でもいっしょなんだね
祭が終わり、日常が帰ってきた。
生物部が管理している生体はすべてあるべき場所に戻り、したがって来賓室のレイアウト水槽では現在、コンゴテトラとコケ取り部隊が改めてよろしくやっている。
CO2添加のおかげか水草の伸びも由那が想像したより早く、莉緒と琴音が生育具合を確かめながらたびたび鋏を入れていた。
「これなら一月中なんて言わなくても、年末には形になるかもな」
後景の子株をカットしながら、琴音はそんなふうに呟く。
その意見には由那も同感で、
「植物ってもっとじっくり生長するものだと思ってたけど、水草ってすごいねえ」
「育つように環境整えてるからな。適温、高光量、CO2添加ありならこんなもんだよ……ま、それにしたってコイツはちょっと早いけど、なっ」
ちょきん。琴音は言い終わると同時に鋏の刃を閉じて、「コイツ」ことエレオカリス・ビビパラの細長い葉を水中に舞わせる。
刈り取られた葉は水流に乗って水槽内を漂い、しだいにフィルターの吸水パイプへと近づいていった。見れば吸水パイプのスリットにはすでに幾枚もの葉が張りついていて、このままではフィルターが止まってしまうのではないかと心配にさえなるほどだ。
「コトちゃん、それってそんなにいっぱい切っちゃっていいの?」
「大丈夫らしいぞ」
琴音はこともなげに頷き、
「――だよな、翠園寺さん?」
「ええ」
作業をする琴音の脇、ちょうど水槽の真横から水景をじっと凝視していた莉緒が、呼びかけに反応して顔を上げる。
「エレオカリス・ビビパラは水草の中でも生長の早い部類でして、ごらんのとおり葉先やランナーからどんどん子株を出して増殖するんです。これを適宜刈っていかないと……」
「どうなるの?」
「水面近くがエレオカリス・ビビパラで埋まってしまい、下層まで光が届かなくなります。そうなると他の水草が光合成できませんし、同じようにエレオカリス・ビビパラ自身の親株も弱ってしまうわけです」
「なるほど……ガーデニングとかだと間引きが大事って言うけど、土でも水でもいっしょなんだね」
過剰に水草が繁茂した光景といえば、身近な例だと千尋のメインタンクがそうだった。ブラックアーマードプレコをはじめとした中型魚混泳水槽。あの90cmフレーム水槽に浮かべられていたマツモは、著しい生長のあまり、モッサリとした茶色い塊と化していたのだ。
千尋は結局、莉緒のアドバイスのもと大胆にマツモをカットして別の水槽に移し替えている。由那も一部をもらったが、そのとき譲り受けたマツモは爽やかな緑色をしていて、とてもあの茶色い塊から取れた切れ端とは思えなかった。
エレオカリス・ビビパラもきっと、放置しているとあんなふうにくすんだ色に変化してしまうのだろう。千尋の水槽のように生体メインならば許容範囲ということもあるかもしれないが、外観が命のレイアウト水槽においては致命的と言える。
「そういうわけだから、このくらいトリミングするのがむしろ正しいのさ」
琴音は会話のバトンを引き戻し、ふんふんとハミングを奏でながら鋏を動かしてゆく。
「でないと前の千尋の水槽みたいになる」
「あ、同じこと考えてた」
「まじか。たしかに地味にインパクトあったしなあれ」
ちなみにその千尋が何をしているのかというと――
「……コトはともかくとしてさぁ」
来賓室の扉が開いて、
「小清水ちゃんもわりと辛辣なとこあるよなー……」
バケツを持った千尋が苦笑しながら入ってきた。水換えのために水道水を汲んできた千尋だが、ばっちりのタイミングで部屋に戻ってきてしまったらしい。
琴音が千尋へとジト目を向けた。唇の端が持ち上がって、薄い笑みの形を作っている。
「由那は素直なんだよ。おまえが水草に気を遣ってなかったのは事実だろ?」
「ちぇーっ。いつもなら『私はともかくって何だよ!』って感じに食いついてくるところなのに、やっぱり余裕ありやがんなぁ」
つまんねーの、と肩をすくめる千尋。その仕草や声音の軽さから本気で不快がっているわけではないとわかり、由那は内心ほっと息をつく。
そして、気づいた。
――「やっぱり」?
千尋が口にした一言。正直なところ由那も薄々悟ってはいたのだが、自分より遥かに琴音と付き合いの長い千尋がそんなふうにこぼすからには、いつになく余裕綽々な琴音のふるまいの裏には案の定、何かしらの理由があるに違いない。
「ね、ね、コトちゃん」
「ん?」
「何か嬉しいことあったの?」
琴音は以前、アクアリウムで一番面倒に感じることは水草のトリミングだ、と話していた。
にもかかわらず、彼女はさっきから鼻歌まじりに鋏を操っている。
普段なら小競り合い――といっても気心の知れた間柄ならではの言い合いに決まっているのだけど――に発展しているであろう千尋のちょっかいを苦もなく
「ああ」
よくぞ聞いてくれました、という顔を琴音はした。
「月刊アクアキューブ知ってるだろ?」
もちろん知っている。まだ由那がどんな魚を飼おうか探していた頃、参考になればと琴音や千尋がたびたび貸してくれていたから。
「わかるけど、あの雑誌がどうかしたの?」
「実はだな」
こくりと首肯した由那の眼前で、琴音はいっそう唇の両端を吊り上げた。
意識して吊り上げてみせたのではない。堪えきれずに自然と口角が上がってしまった――そういうタイプの表情の変わり方だった。
「数年ぶりに、スネークヘッドの特集が組まれるんだ!」
琴音は、それはそれは嬉しそうに声を弾ませる。
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