第108話 付き合ってくれるか?

 櫓が轟々と燃え、炎が秋空を焦がしていた。


 なにも異常事態が起こっているわけではない。祭りとしては歴史の浅い瑞泉祭にも一応の伝統らしきものはあって、一般公開終了後に校庭で行われるボンファイヤーはその最たる例なのだった。


「いやー、壮観壮観」


 火を見つめながらジャージ姿の千尋が呟く。その表情にはさすがに疲労が滲んでいる一方で、口元にはやりきった者特有の笑みが浮かんでいた。


「あたしさ、これって使い終わった看板とか飾りとかを火にくべてるんだと思ってたんだよね。全然そんなことねーのな」


「当たり前だろ。野焼きって違法なんだぞ」


 琴音は呆れたように返しながらも、きっと自分も千尋とそう違わない顔をしているんだろうな、と想像する。


 瑞泉祭の時間はおそろしく濃密に流れた。


 メイド服を恥ずかしいと感じていられたのも初めのうちだけだ。祭の初日、正午が近づくにつれて加速していった忙しさのおかげで余裕はすっかり失われ、恥ずかしい気持ちごと吹き飛ばされてしまったから。


 つまるところ、アクアリウムカフェは大盛況を収めたのだ。


 軽食はぜんぶ冷凍のやつだし、ドリンクだってお徳用ペットボトルから紙コップに注いで提供しただけだけれど、それでも一年生+顧問一人でここまでやれれば上出来だろうと自分でも思う。


 充実した二日間だった。こういう疲れ方は悪くない。


「――あっ」


 スピーカーから流れ出した音楽に反応して、由那がぱっと顔を上げた。


「この曲知ってる~」


「いわゆるオクラホマミクサーですね」


 莉緒が相槌、


「楽曲としては『藁の中の七面鳥』といって、アメリカの民謡メドレーでよく使われるそうです。もっとも、『藁の中の七面鳥』になる以前からメロディーそのものは存在したんだとか」


「あ、っていうことは歌詞あるんだ?」


「ええ。わたくしも歌詞つきで聴いたことはなくて、もっぱらフォークダンスの曲として知っているだけですけどね」


 そう――オクラホマミクサーといえば、一般的にはフォークダンスの定番曲として知られている。


 炎のまわりに生徒たちが集まりはじめていた。


 これもまた、伝統らしきものの一つだ。


 プログラム自体には「ボンファイヤー」としか記載されていないし、フォークダンスへの参加は義務ではないからどこのクラスでも練習なんてまずしない。気が向いた奴が自由に踊りに参加して、向かなかった奴はダンスの輪を遠巻きに眺める――毎年そんなふうにして瑞泉祭は終わっていくのだと先生たちが言っていた。


 うっし、と隣で千尋の声がした。


「あたしらも行こーぜ?」


「お伴しますわ」


 千尋と莉緒が立ち上がり、煌々たる炎の明かりを目指して足を踏み出す。


 数歩を進んだところで二人はふと振り返って、


「コトと小清水ちゃんも来る?」


「お疲れなら休んでいても大丈夫ですよ。見ているだけでも楽しい雰囲気は味わえますから」


 迷わなかった。琴音は腰を上げる、


「――いや、私も行くよ」


 瞬間、千尋が「おっ」と意外そうに目を丸くするのが見えて、琴音は思わず含み笑いしそうになる。


 たしかに春先までの自分なら輪に加わることは考えられなかったかもしれない。そもそも気恥ずかしいという理由もあるし、わざわざフォークダンスを踊りたいと思えるほど他人の盛り上がりに興味を持てなかったという理由もある。


 自分のそういう性格が根本的に変わったとは、琴音は正直今でも思わない。


 だとしても、今ならば行ける。


 そしてそれは、メイド服姿を披露しておいて今更恥ずかしいもへったくれもないだろうとか、祭の熱気にあてられているとかいった話ではおそらくない。


 ――なぜなら。


「由那、付き合ってくれるか?」


 言葉を絞り出す前にひとつ呼吸を入れたことには、気づかれずに済んだだろうか。


「もちろん疲れてるなら無理には誘わないけど――」


「やるやる! 踊ろ!」


 櫓の炎を照り返す由那の面差しが、ぱあっといっそう明るさを増した。


「コトちゃんが行かないなら並んでここに座ってるのもいいかなって思ってたけど、行くんだったらわたしも行くよ。いっしょに楽しみたいもんね!」


 琴音が伸ばした手を、由那は勢いよく取って跳ねるように腰を浮かせた。引っ張られる格好になった琴音はつんのめりそうになるものの、すんでのところで足を踏ん張って堪える。


 立ち上がった由那の顔が、すぐ近くにあった。


 出会ったばかりの頃には戸惑った距離。今ならばもう、目を逸らさなくても耐えられる。


 もっともっと時間をかけて、この距離が当たり前になっていけばいい。


「そうと決まったらコトちゃん、早く早く!」


「ああ」


 待ちきれないと言いたげに由那はぐいぐいと腕を引っ張り、琴音は柔らかく口角を上げて歩みを早めた。


「……お熱いなーお二人さん」


「フォークダンスですからわたくしたちだけでというわけにはいきませんが、よろしいですか?」


「いいよ。祭のシメなんだ、ここまできたら私だって内輪でなんて言わないさ」


「うんうん、皆で踊るのもきっと楽しいよ!」


 千尋と莉緒に追いついて、四人で肩を並べて。


 夕闇の帳を押し返すかのごとく燃え盛るボンファイヤーの熱気を見据えて、巡り続けるフォークダンスの曲の中へと踏み出してゆく。

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