第107話 さっさと口開けなさいったら

 昼時には飲食系の模擬店が繁盛する。


 そのぶんホラーハウスの客足は鈍くなるはずだというB組の読みは正しく、莉緒は予定どおり正午のタイミングでクラスの指揮を副委員長に預けることができた。


 由那とともにお化けの仮装からジャージに着替えて、階段を上がって理科室へと駆け込む。


「千尋さん巳堂さん、お待たせしましたっ」


「わわっ、お客さんいっぱいだ!」


 賑わいのピークに達していることが一目で理解できた。


 アクアリウムカフェはあくまでも喫茶と軽食を提供する模擬店なのだが、それでも食べ物は食べ物ということか、やはり今が最も熱い時間帯らしい。


 莉緒と由那にしてみれば、忙しかった現場を離れたそばから忙しい現場へと渡り歩いた格好だ。休む暇もない。さりとて琴音と千尋、それからバックヤードの佐瀬先生はこの瞬間にも懸命に客の注文を捌いているわけで、早急な助けを必要としていることは明らかだった。


 準備室の扉を潜って、奥に設けられた――といってもパーテーションで区切っただけだが――更衣スペースでまたしても着替える。


 藍色の服とロングスカートを身に纏い、純白のエプロンを被る。全体としてはクラシカルなシルエットながら、袖や裾はフリルとレースで飾り立てられていて現代的な可愛らしさも忘れていない。同じくフリルのついたカチューシャを頭に載せれば、このアクアリウムカフェの制服であるメイド衣装が完成する。


 企画を練る際、演劇部と交渉してコスチュームを借りようと案を出したのは千尋であった。話を聞いたときには恥ずかしそうだと思った莉緒だが、直前までもっと恥ずかしい衣装を着るはめになっていたせいだろう、もはや何の抵抗も感じない。


 更衣スペースから飛び出し、佐瀬先生から窓側最後列のテーブル宛のパンケーキセットを受け取って、ホールとなっている理科室側に再び出た。


 ここまで琴音と千尋をフル回転させてしまったぶんをカバーすべく、莉緒は急ぎ足でテーブルへと向かう。何やら人だかりができているのが気になる。


「『オトシンクルス』テーブルのお客様、お待たせ致しました。ご注文のアイスコーヒーとパンケーキセット二つ、お持ちしましたわ……って、あら」


 人波を割ってテーブルに座っている二人を目の当たりにした瞬間、莉緒の緊張はほぐれた。


「蟹沢さんと海老名さんでしたか。お二人も休憩ですか?」


「お、委員長もお疲れさん。ウチら宣伝部隊はもともと校内歩いて回るのが仕事だからさ、腹ごしらえがてら一足お先に寄らせてもらったよん」


「このコスプレで人気のある模擬店にいれば自動的に宣伝になると思ったの。生物部の客寄せにもなるしWin-Winでしょう?」


 海老名詩乃のメガネが冷たく光る。なるほど彼女の言うとおり、二人による集客効果はテーブルの周りに集った人垣の厚さで証明されているようなものだ。


 二人が何の宣伝を担っているのかといえば、それはもちろんB組のホラーハウスである。


 三角帽子とローブを被り、箒を携えた魔女姿の詩乃。


 一方の蟹沢理沙は、発泡スチロールとプラ板を貼り合わせて作った西洋甲冑を頭まで被り――「これ妖怪っていうかジャミラじゃない?」とは佐瀬先生の弁だ――、バスケットボールにカツラを被せた「頭部」を持ち歩くことで己がデュラハンであると主張している。


 ちなみに二人がなぜ共に行動しているのかといえば、デュラハン衣装があまりにも動きづらいからだ。下はともかく上がきつい。不自然な服の着方をしているせいで腕を動かすのも自由にはいかず、理沙はパンケーキを取るのに四苦八苦している。


「何やってんのよあんたは。私が食べさせてあげるから大人しくしてなさい」


「いや、もうちょっと腕を……こう、曲げればっ……自分で取れそうな気が」


「ダメよ。無理してお皿をひっくり返したらどうするの? ――ほら、さっさと口開けなさいったら」


 詩乃が問答無用とばかりに対面のパンケーキにめがけてフォークを伸ばし、器用に一口大に切り取って理沙の口元へと突きつける。


「はいどうぞ」


「もー……わーったよ。サンキューな」


 未練がましく腕を動かそうと努力していた理沙だが、結局は諦めることにしたらしい。パンケーキの欠片を咥え取り、もごもごと口内へ押し込んでゆく。


 やりとりの一部始終を見せつけられた莉緒は、ただただ目を丸くすることしかできない。


「だ、大胆ですわね海老名さん」


「え……?」


 莉緒が思わずこぼした感嘆の意味を、詩乃は一瞬図りかねたようだった。


 直後、状況に気づいた理知的な顔が真っ赤に染まる。


 なにせこの「オトシンクルス」テーブルは現在、詩乃たち自身の奇抜な仮装によって、他のテーブルとは比較にならないほどの人だかりを形成しているのだ。


「あっ……ち、違うのよ皆。これはこいつがヘマして迷惑かけないようにやってあげてるだけで、決して普段からこういうことしてるわけでは……!」


「はあ? なんだよ詩乃、ウチが困ってるとき手伝ってくれるのはいつものことじゃん。変な謙遜すんなって」


「なんで今そういうことを言うのよぉぉっ!?」


 赤面を通り越して涙目になった詩乃が腰を浮かせ、牙を剥くかのごとく理沙めがけて食ってかかる。


「えーっと……なあ委員長、」


 笑いを堪えるように表情を震わせる観衆たちの真ん中で、嵐のように荒れ狂う詩乃と向き合う理沙は、助けを求めるような当惑顔を莉緒に向けた。


「ウチ、なんかまずいこと言ったん?」


「それはまあ……話を合わせたほうがよかったと申しますか、お二人とも周りを見るべきだったと申しますか……」


 我ながら歯切れが悪いと莉緒は思う。しかし現実問題として、客の間に広がった微笑ましげな空気を払拭する名案など持ち合わせているわけもない。


 彷徨わせた視線が、人垣の外、隣の「アメリカザリガニ」テーブルを捉えた。


「……あっ! 注文が入りましたので、わたくし一旦離れますね。ゆっくりしていってください!」


 莉緒はにっこりと営業スマイルを残して、脱兎の勢いでクラスメイトたちのもとから撤退を決める。


「「委員長!?」」


 取り残された詩乃と理沙の声が縋りついてくる。


 ――学級委員長としてはどうかと思いますが……すみません、今のわたくしはあくまでもアクアリウムカフェの店員なのです……!


 二人がゆっくりしていくことはないだろうと確信しつつ、それでも莉緒は振り返らなかった。


 祭りのボルテージは、今なお留まることを知らない。

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