第133話 莉緒ちーはオトナだねぇ

「――リセット?」


 さすがに言葉の響きで察したらしい。崩壊した水槽をどうするのか、その方針を暗に示した莉緒に対して、由那は「リセットって何?」とは尋ねなかった。


「つまり……いったん水槽を畳んじゃって、またイチからレイアウトを組み直すってことだよね?」


「そのとおりです。材料はすでに用意できていますから、あとは実際にリセットを行うだけなのですが……お恥ずかしい話、わたくし一人では水槽を洗い場まで運ぶのも大変でして」


 説明する莉緒の細腕を眺めながら、だろうな、と琴音は内心思う。


 水槽を持ち上げるだけなら水さえ抜けば可能だろう。が、いかんせんこの部屋は二階なのだ。水槽を抱えたまま階段を下っていかねばならず、それが普通の女子高生ひとりの手には余るということを、同じく自室が二階にある琴音は己が身をもって知っている。


「……でも、せっかく家事代行サービス入れてるんだから湊さんに手伝ってもらえばよかったんじゃないか?」


「いえ、すでに手伝っていただいたんですよ。新しいソイルを買って昨日のうちにここまで運んでくるのは、真凜さんの車がなければ難しかったですね」


「なんならあの人、頼めば今日だって来てくれたと思うけど」


 ほとんど姉妹のような仲だという莉緒からのお願いなら、真凜は嫌な顔をせずに助けてくれたはずだ――琴音はそう踏んでいる。


 しかし、莉緒は首を横に振った。


「残念ながら私用を片付けたいとのことで。それに、わたくしとしてもオフの日に急遽付き合わせてしまうのは悪いかなと」


「莉緒ちーはオトナだねぇ」


 千尋が軽口をはさんでくる、


「おかげで集まる口実できたんだし、莉緒ちーはいい判断したとあたしは思うぜ。事が事だから不謹慎かもしんねーけど、なんだかんだ皆で新しい水槽立ち上げるのは面白いぜ、やっぱ」


 莉緒は苦笑、


「たしかに災難ではありましたが……協力してレイアウトを作り上げるのが楽しいという意見には、わたくしも百パーセント同意します。生物部での活動でよくわかりました」


「だよな」


「実は昨日、車の中でもこういう話になったんですよ。そうしたら真凜さん、『私は所用につき行けませんが、そういうことであればお友達に声をかけてみては?』と言い出しまして」


「……ほんとに用事あんのか疑わしくなってきたなー」


 千尋の笑みにも引きつったものが混じりはじめる。なるほど真凜のことだ、莉緒や自分たちのために一芝居打ってくれた可能性は大いに考えられる。


 ――ま、それならそれで構わないさ。


 千尋を図に乗らせたくないから決して口には出さない。出さないが、皆で水槽を作り上げるのが無二の体験であったことは、琴音とて大いに賛同するところなのだ。


 力を合わせて水槽のリセット。上等じゃないか。




 水槽を畳むには、立ち上げたときと逆の手順を踏めばいい。


 したがって、まずはとにかく水を抜いてしまうことだった。由那がエキスパートホースでの作業に没頭している間、琴音はフィルターやヒーターを配線を取り外し、莉緒は生き残っている水草と使えるストラクチャー類を退避させる。最後に千尋がスコップを握り、ソイルの残骸を取り除いていった。


 60cmオールガラス水槽から中身がほとんど消えた頃、由那がぽつりとこう漏らした。


「けっこう臭いがするんだね」


「崩壊した水槽だからねぃ」


 千尋が応じる、


「つっても、ぶっちゃけマシなほうだと思うぜ。餌バクバク食う肉食魚の水槽だとこんなもんじゃ済まねーもん」


「そうなの?」


「定期的に底材キレイにするっつっても、細かな食べかすとかフンとかはどうしたって水槽のどっかに残っちまうからねー。普段はわざわざ臭い嗅ぐために顔近づけたりしないから意識せずに済んでるだけで、こうやって大掃除してみりゃわかるよ」


「ああ……言われてみるとたしかに、水換えで捨てる水ってこういう臭いするかも」


 由那は自分の部屋でもエキスパートホースを使って水換えをしているのだろう。そのとき底砂掃除もいっしょに行っているはずで、だとすれば廃棄する水には当然、砂の中に埋まっていた残餌やフンが混じる。


 ――私のギンガも由那のうめぼしも、まさに千尋の言った「肉食魚」だしな。


 ――ま、いっしょに暮らす頃には由那もすっかり慣れてるだろうし、問題にはならないだろうけど。


 そこまで考えた琴音はふと、自分が将来のルームシェアをすっかり当たり前の前提としていることに気づく。そういえば生物部の皆に約束のことがバレたのだって、思い返してみれば自分のこんな思考と、そこからくる失言が原因だったではないか。


 由那を横目で見やる。


 今日の由那はここ最近のぎこちなさが鳴りをひそめている様子だ。水槽崩壊という事態のインパクトのおかげで、心の中のモヤモヤを――いや、本当に自分の言葉が妙なものを植えつけてしまったのであればだが――意識せずに済んでいるのだろう。


 都合がいい。


 もしも由那がおかしな調子のままだったら、自分はどうしたって気にかけてしまう。そうなれば逆も然りだ。由那の側でもこっちの悩みに勘づいてしまうに違いない。


 だから、今日のところはこれでいいのだ。


 そんなふうに己に言い聞かせた矢先、莉緒からの呼びかけが耳に届いた。


「巳堂さん、小清水さん」


 莉緒は、こう告げた。


「お手数なのですが、水槽の水洗いをお二人に任せてしまってもよいでしょうか? わたくしは水草の準備を、千尋さんは土の処分をそれぞれ行いますので……」


 琴音は無言で天井を仰いだ。

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