第132話 タイミング見て取り替えなきゃ

「――大前提として、ソイルっていうのは土を粒状に焼き固めて作った底材だ」


 うめぼしの水槽には砂、生物部として立ち上げたレイアウト水槽もやはりメインは砂と砂利。考えてもみれば由那はソイルにあまり触れてこなかったわけで、その事実に気づいた琴音は基本から解説しようと決めた。


「焼き固めてるから水に沈めてもしばらくは崩れない。でも……」


「この水槽のは、ほとんど土になっちゃってるね?」


「ああ。固めてるといってもセラミック化してるってほどじゃないからな、いつかはこんなふうに崩れて土に変わる。これはもう運命みたいなもので、ソイルを使う限りは遅かれ早かれぶち当たる問題なんだ」


「いずれは入れ替えなきゃいけなくなっちゃうってことかぁ……なんだか意外と大変なんだね。それでも砂とか砂利じゃなくてソイルがいいの?」


 最後に由那の口から出た質問は莉緒に向けてのものである。莉緒は「そうですね」と前置いて、


「もちろん来賓室の水槽のように、レイアウトしだいでは砂や砂利のほうが適切なケースもあります。それでもわたくしはソイルを使うことのほうが多いですね」


「どうして?」


「植物を育てやすいんですよ。なにしろ土ですから」


 結局はそこに行き着くんだよな、と端で聞きながら琴音は思う。


 自分が使っている大磯砂でも水草を繁茂させることは可能だ。が、それは光量を強くしたり水草の種類をしっかり選んだりといった条件を満たせての話であって、同じ成果を出そうとするならソイルのほうがずっと簡単にいくのは間違いない。


 自然らしい美麗なレイアウトを志向する莉緒ならば、ソイルを選択するのは当然以外の何物でもあるまい。


「――その『土』ってとこなんだけどさ、莉緒ちー」


 千尋が声をあげた。


「ソイルが崩れちまったとして、そのことが理由で水質まで落ちるもんなの? 土であることにゃ変わりねーんだし、感覚的にどうもしっくりこないんだよねー」


 分野が異なるとはいえさすがに経歴の長いアクアリストだと評するべきか。鋭い指摘と言っていい。


 実際、琴音としても気になっている点ではあったのだ。


 形を保てなくなるまで使い込んでいるなら添加された肥料などは当然消費しきっているだろうが、今回のソイルは吸着系なのである。養分など最初からたいして染み込んではいない。粒が崩れたところで少し形が変わるだけに過ぎず、底材としての性質それ自体に変化はない――はずではないのか?


 果たして、莉緒の答えはこうだった。


「水草レイアウト水槽を作るということは、根を張ってもらうためにソイルをある程度厚く敷くということでして……」


「「……ああー」」


 琴音と千尋は声を揃えて唸る。


 理解した。


 厚く敷いたソイルが崩れれば厚い土の層ができる。それがどういう結果を生むかは、なにもネイチャーアクアリストでなくとも――否、むしろ生体中心のアクアリストであるからこそよくわかる。


 たとえば田砂。ああした目の細かい砂をぶ厚く敷いた場合、底のほうがどういう状態になるか。


「底材の中に嫌気環境ができやすくなるのか」


「粒のあいだの隙間が潰れちまうってことだもんなー。生体のフンとか食べ残しとかと混じって汚泥になる可能性も高くなるし、なるほどそう考えると大違いだわ」


「もっと言えば、崩れる段階まで使い込んだソイルは吸着限界に達しているでしょうしね。経年劣化でカルシウムやマグネシウムを吸着できなくなると、当然ながら水質を軟水に傾けてくれる効果もなくなってしまいますから……」


「水草が育ちにくくなる、か」


「やっぱタイミング見て取り替えなきゃダメなんだなーソイルって」


 ネイチャーアクアリウムに最も適した水質は「弱酸性の軟水」であるらしい、とはよく耳にする意見である。レイアウト水槽に使われる水草の多くは、どうやらその環境でこそ一番効率的にCO2や肥料を活用できるものらしい。


 と、一心にスマートフォンでメモを取っていた由那が顔を上げて、


「経年劣化……って、どのくらいでダメになっちゃうものなの? さっきコトちゃんが言ってた『初期ブレイク』は数ヶ月から半年って話だったけど……」


「商品にもよりますが、早ければ一年ほどと言われていますね。そのあたりでソイルの性能が落ちてくると」


「じゃあ、翠園寺さんの水槽のは?」


「……二年めですわ。なるべくリセットせずに済むよう調整剤などで保たせていたのですが……とうとう限界が」


 莉緒はそう説明して肩を落とす。


 そんな彼女から視線を外して、琴音はふたたび水槽へと目を戻した。隙あらば水景を弄りたくなるのはアクアリストのさがであって、にもかかわらず二年も同じレイアウトを維持していたというからには、本人としても会心の出来だと自信をもっていたに違いない。


 ――明らかに手が込んでるもんな、これ……。


 水草は半ば溶けてしまっているが、どんなふうにソイルを盛っていたのかは残った土の様子から概ね察せる。白くて細い枝が絡み合ったような流木も見事で、おそらくはこれを目玉として魅せるために水景を組み上げたものと窺えた。


 ――うん、何とかしてやりたいな。


 仲間のピンチなら来ないわけにはいかない、と由那が先刻口にしていた。たしかにそのとおりだと琴音も思う。


 そして、すでに水槽が崩壊した後である以上、やるべきことなどひとつしかないのだ。

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