第131話 いわゆるソイルブレイクだな
階段をのぼって莉緒の部屋に入ると、呼び出しのメッセージを送ってきた張本人が待ち構えていた。千尋はニッと歯を見せて笑い、ひらひらと手を振ってよこす。
「おっす。来たなお二人さん」
「千尋さんには昨日の夕方の時点で相談させていただいてたんです。そうしたら今日、お二人のことも呼ぼうという話になりまして」
つまり、水槽崩壊が発覚したのは昨日の放課後というわけだ。学校から帰ってきて水槽を覗いてみたらレイアウトがめちゃくちゃになっていた――おおかたそんなところだろう。
真っ先に連絡を入れるあたり、どうやら莉緒はずいぶんと千尋を頼りにしているらしい。ミッションが水草水槽の再建であるならば千尋が役に立つ場面など限られていると思うのだが、そこは気持ちの問題というやつなのだろうか。
当の千尋へと目を戻してみる。いくら一大事とはいっても60cm水槽の立て直しなんて二人もいれば充分じゃないのか――視線に疑問を含意させた琴音だったが、千尋に悪びれるところは微塵もない。
「小清水ちゃんに見せときたかったんだよね。アクアリウム続けていくならこの先がっつりソイル使うこともあるだろーしさ」
「まあ、わかるが……なんで私まで呼んだ?」
「なんでってそりゃ、一人だけ仲間ハズレにしたら絶対内心ヘコむじゃんおまえ」
「……そいつはお気遣いどうも」
その様子は自分でも簡単に想像できたので、反論する余地もない。琴音はむっつりと唇をへの字に曲げる。
一方で由那はといえば、とにかく状況を呑み込まねばとでも考えたか、琴音の隣をするりと離れて60cm水槽へと近寄ってゆく。
「――わ。ほんとだ、前に見たときと違っちゃってる」
「どれどれ……ああ、たしかにこれは……」
由那の口にしたとおりだった。後を追いかけて水槽を覗き込んだ琴音は、悪い意味で以前と様変わりしたレイアウトを目にすることになった。
ジャングルのようだった水草は茶色いコケに侵食されてずいぶんと密度を減らしているし、輝かんばかりにクリアだったはずの水には今、細かとはいえ白いゴミが舞っている。
「翠園寺さん、水槽に入れてるソイルって?」
「ピントソイルですわ」
「吸着系か。ってことはいわゆるソイルブレイクだな」
使われていたソイルの商品名をヒントにして、琴音はこの水槽に何が起こったのかを探り当てた。
二人のやりとりを聞いていた由那が小首をかしげて、
「ソイルブレイク?」
「吸着系ソイルが水中の有害物質を吸収しきれなくなることを、私たちアクアリストはそう呼んでるんだ。原因にはいくつか説があってハッキリと定まってはいないし、メーカーに問い合わせても否定されるらしいんだけど……とりあえず、数ヶ月とか半年とかのタイミングで調子が落ちるって体験談はよく聞く」
「ん~……吸着系ってことは、他のタイプのソイルもあるわけだよね?」
「大きく分けて二種類だな。肥料が添加されてて水草の生長を助けてくれる栄養系と、有害物質を吸着して水質を安定させてくれる吸着系」
もしも莉緒の使っているソイルが栄養系だったなら、水槽内が栄養過多になってコケが大増殖してしまったというシナリオが考えられた。しかし、吸着系ならばその可能性は薄い。
おそらくは、ソイルが吸着限界を迎えた影響。
その現象に「ブレイク」と名づけるのが適切かどうかはさておき、とにかく莉緒の水槽に起こったのはそういうことに違いない。
「より厳密に言えば――」
莉緒が口をひらく、
「巳堂さんが仰ったのは、俗に『初期ブレイク』と言われているものですね。濾過のシステムが回っていない立ち上げ直後の段階から生体のお世話を始めてしまうと、ソイルの水質浄化能力に頼りきりになってしまって……」
「数ヶ月だったり半年だったりで吸着できる限界がきちゃう?」
「わたくしはそのように理解しています」
「……さっきから『体験談を聞く』とか『そのように理解している』とか、今日はなんだか曖昧なお話が多い気がするよぅ」
琴音は苦笑を禁じ得ない。どうやらそれは莉緒も同じだったようで、二人で顔を見合わせて困ったふうに眉尻を下げる。
「ソイルの効果や原理については様々な説が飛び交っていまして……正直、わたくしも自信を持ってこれとは断言できないのです」
「小清水ちゃん、ウーパールーパーを紹介したときのこと覚えてるっしょ?」
見かねた様子で千尋が助け船、
「要はあれと一緒なんだわ。ネットの情報って確かなのもデマなのも入り交じってっからさ、何が書いてあるかだけじゃなくて誰が書いてんのかもチェックしたほうがいいし、自分の経験と照らし合わせて考えられりゃもっといい」
「そういうことですね」
ふたたび莉緒が後を引き取る、
「ともあれ、今回わたくしの水槽に起こったのは初期ブレイクではありません。水槽をよく眺めてみてください」
勧めに従って、由那がガラス面にますます顔を近づける。琴音もその隣でもう一度同じように身をかがめ、すっかりみすぼらしくなってしまっている水景を――より正確を期するならば、底に敷かれているソイルを凝視した。
「――なるほどな、そういうことか」
瞬時に理解が及んだ。
ソイルの粒が溶け崩れて、ただの土に変わってしまっているのだ。
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