第79話 やっぱいるんじゃんタピオカガエル!

 そのカエルは、生体コーナーの一番隅っこ、三段重ねで積み上げられたうち一番下の水槽に収まっていた。


 札には「バジェットガエル」とある。


 では理沙の口にした「タピオカガエル」というのが何なのかというと、水槽近くに貼りつけてある手描きのポップにそんな名前が書かれていたのだった。


「バジェットガエルは正式名称を『マルメタピオカガエル』といいまして、体長十センチ以上にもなるタピオカガエル属最大のカエルなのです……ちなみにそのポップ私が作ったんですよぉ」


 小清水は反射的に、革津とポップの間で視線を二度も往復させてしまった。


 ポップの筆跡はレースが描き加えられた可愛らしいものだ。革津については得体の知れない人だという印象を拭いきれずにいたが、このような飾り文字を生み出す感性には親近感が湧く。


 と、水槽を覗き込んでいた詩乃が唸った。


「頭が大きすぎない? こういうのをブサカワっていうのかしら……」


「マルメタピオカガエルねえ。たしかに目玉が真ん丸だわ」


 いみじくも二人が言い表したとおり、マルメタピオカガエル――バジェットガエルは通常カエルと聞いて想像するのとはだいぶかけ離れた見た目をしている。


 なにしろ水槽が足元にあるので俯瞰する格好になっているのだが、上から見たバジェットガエルのシルエットは丸い。ぐっと屈んで横から見れば、灰色の扁平な体から太い手足が生えているとわかる。


 特筆すべきは詩乃の指摘した頭の大きさであろう。体の半分……はさすがに言い過ぎだとしても、三分の一くらいの割合を頭部が占めている。


 そして理沙が言及したとおり、真ん丸な目がふたつ、水位の低く抑えられた水面からぴょこんと突き出してこちらを見つめているのだった。


「カエルって両生類ですよね。陸地がなくてもいいんですか?」


「この子は完全水生の種類なんですよぉ。ですからアクアリウムで問題なく飼えます……呼吸を妨げない程度の水深にしておく必要はありますが」


 やはり成体は成体と言うべきだろうか、肺呼吸ではあるらしい。陸地いらずという共通点があるとはいえ、以前千尋に説明してもらったウーパールーパーとは勝手が違うようだ。


「このカエル、なんでタピオカガエルっていうんすか?」


 理沙が興味津々といったふうに革津へと迫る。隣に佇む詩乃を指さしながら、


「いまタピオカ流行ってるじゃないすか。ウチ、あれがカエルの卵だって人づてに聞いたんだけど、こいつにそのこと話したら『バカじゃないの』って信じられないくらい冷たい目されたんすよ。――おい詩乃、やっぱいるんじゃんタピオカガエル!」


「人聞き悪いこと言わないでよ! だいたいタピオカの原料はキャッサバっていう芋なのよ、なんでカエルの卵なんて話が出てくるのよ。――ねえ小清水さん、こいつバカだと思うでしょ!?」


「ほえっ!?」


 その振り方は勘弁してほしい。


「え、ええっと……蟹沢さん、そのお話って誰から聞いたの?」


「ちっひ」


「……からかわれただけだと思うなあ……」


「マジか。今度あいつ来たら一対一ワン・オン・ワンでギッタンギッタンにしてやろ」


 理沙の目つきが座っていた。危機を千尋に伝えておいたほうがいいのだろうか。それとも因果応報と考えるべきか。


「面白い子たちですねぇ」


 くつくつという革津の笑い声、


「まあ、メガネのお嬢さんが正しいでしょう……タピオカガエルのタピオカというのは、どうやら仏像に由来するようなので」


「仏像、っすか?」


千石せんごく正一しょういち先生という動物学者がいたのです。その方がバジェットガエルを見て、タピオカ・ラカンという仏像に似ていると感じたことから『マルメタピオカガエル』と和名をつけた――らしいですよぉ」


 詩乃がメガネの奥で目を瞠る。


「タピオカガエルという和名自体は実在するんですね……お店独自の商品名とかじゃないんだ……」


 感心したふうな物言いだが、口走っている内容はなかなかの危険球ではないかという気がした。小清水は慌てて、


「ん、ん……えっと、その、仏像ってことは、バジェットガエルって東南アジアの生き物なんですか?」


 仏教の本場といえばやはりそのあたり、というイメージがあっての質問だった。


 だが意外にも、革津は首を横に振った。


「いぃえぇ、バジェットガエルは南米に生息する生き物で……ボリビアやパラグアイ、アルゼンチンからの便で入ってきますねぇ。タピオカ・ラカンがどこにあるのかは私も存じませんがぁ、千石先生は産地と関連づけた命名を好む方だったそうですから、南米のどこかなのではないでしょうかぁ」


 革津の説明に手振りが交じってきた。動いたことで長い前髪が揺れ、隠れていた双眸がほんの一瞬露わになる。薄暗い空間で水槽のライトを照り返してきらめく彼女の目は、闇夜の中で炯々けいけいと光る猫のそれにも似ていた。


 目を輝かせながら流暢にアクアリウムを解説してゆく革津の姿に、小清水は強い既視感を覚える。


 ――あ、


 そうか、と思った。気づくや否や、革津への苦手意識が急速に萎んでいくのが自分でもわかった。


 ――この人、巳堂さんにちょっと似てるんだ。


 容姿や雰囲気はまるで違う。だとしても、アクアリウムにかける情熱には琴音と近しいものを見出せる。だから安心して聞いていられる。


 自然と頬が緩んだ。


 このところ予定が合わないことばかりだったのに、今だって別々の場所にいるというのに、自分はまた琴音のことを考えている。


「餌はコオロギやピンクマウスなど……ですが、この個体はもう人工餌に慣らしてありますからぁ、冷凍庫に食材以外のものを入れて家族に怒られるといった心配は要りませんよぉ」


「やけに具体的っすね……でも六五〇〇円かぁ、今月シューズ買っちゃったからキツいんすよね」


「ちょっと理沙、予算あったら買うみたいな言い方は……」


「いや、始めてもいいと思ってるよアクアリウム。ウチこういう変わった生き物嫌いじゃないし」


「――あぁ、ひとつ言い忘れたことがぁ」


 革津がぽんと手を打った、まさにちょうどのタイミングだった。


 がま口財布のように大きいバジェットガエルの口が、「かぱっ」という音が似合いそうなほど見事に開いて、


 ――グギョエエエェェェェエエェェェ。


 フロア全体に響きわたるかのような、地獄めいた叫び声が迸った。


 小清水も、理沙も、詩乃も、言葉を失ってバジェットガエルの水槽を見つめることしかできない。


「……とまあこのようにぃ、ストレスを感じると大きな声で威嚇するのが飼育上の難点ですねぇ。私なんかはこの声もかわいいと思いますけどぉ」


 数十秒も続いたカエルの鳴き声が収まった後、革津は理沙へと向き直って告げた。


「一ヶ月先までならお取り置きできますが、いかが致しますぅ……?」


「……やめとくっす」


 理沙は、すっかり落ち着いたテンションできっぱりと断りを入れた。

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