第78話 この店は初めてですよねぇ
亜久亜駅東口前の大通りには地下へと続く入口がいくつかあって、階段を下って扉を開ければ「亜久亜チカミチ」と命名された専門店街へと辿り着く。
全体として縦長の構造をしている地下街の、四つ角のうちの一つにあたるスペースまで足を運んだ小清水たちは、たしかに真新しいアクアショップが店を構えているのを見て取った。
「アクアリウム専門店『ディープジャングル』……うん、間違いなく巳堂さんが言ってたのはここだよ」
「名は体を表すと言うけれど、ディープな立地ね……」
地下街の隅っこというロケーションがそうさせるのか、それとも店先のレイアウトの為せる業か、「ディープジャングル」は初見の客の立ち入りを拒むようなオーラを放っている。
詩乃が表情を曇らせるのも無理はなかった。アクアショップが初めてではない小清水ですら、正直ちょっと入店を躊躇ってしまう雰囲気だ。
「――ふぅん、面白そうじゃん」
二の足を踏む二人を置いてするりと抜け出したのは、理沙。
「どしたのさ二人とも。要はここが目当ての場所なんだろ? さっさと入っちゃおうよ」
「……ほんとに物怖じしないわねあんた」
やれやれといった具合で呟きながらも、結局は詩乃も後に続いていく。
「わわっ、待って!」
慌てたのは小清水だ。一瞬呆気にとられたが、すぐに我に返って友人たちを追う。
店の入口を潜るなり前に出て、クラスメイトたちを先導する位置につく。
――この中でアクアリストはわたしだけなんだから、わたしが一番しっかりしないと!
ひそかに意気込みながら店内をぐるりと見回してみる。
通い慣れつつある「AQUA RHYTHM」やホームセンターのペットコーナーなどとはずいぶん趣が異なり、この「ディープジャングル」は水槽が目立つ。なにしろ入口の正面が生体と水草のコーナーだ。例によって水槽が置かれているスペースは仄暗く、店前の異様とも言えるオーラはこれのせいかと納得する。
「おわ、すごいな骨が泳いでら。なになに……トラン……トランスルーセントグラスキャット?」
「鱗が青緑色に光って綺麗ね……ネオンドワーフ・レインボーっていうのね」
後ろで早くも熱帯魚の観察をはじめる理沙と詩乃の声を聞きながら、小清水はきょろきょろと左右に視線を走らせる。
「ん~……あんまり大きくならないお魚さんがメインなのかな」
二人が眺めているグラスキャットやレインボーフィッシュだけではない。三段重ねで陳列されている水槽はいずれも45cm以下、中を泳いでいる魚も小型のテトラやラスボラなど、群泳させるのが前提といったラインナップだ。
琴音や千尋の食指は動かないだろうと思う反面、莉緒にとっては天国ではないかとも思う。あとでLANEで教えてあげよう――
「――いらっしゃいませぇ、お客様……」
「ぴゃあっ!?」
いきなり横合いから話しかけられて、小清水は飛び上がって驚いた。
振り向いたそこに、お化けがいた。
ざっくりと等しい長さに切り揃えられた前髪によって目元が覆い隠されている。数多の水槽のライトによって薄暗闇の中にぼうっと浮かび上がる真っ白な顔に、紅を引いたような唇が載っている。
お化けが、唇を持ち上げてニタリと笑った。
ほんの一歩ぶんの距離もなかった。
――ひぅっ。
小清水は自分の喉が引き攣る音を聞く。途端に足腰から力が抜けて、深緑色の床にぺったりと尻から崩れ落ちた。
お化けはその名を
つまり、このショップの店員である。
異常を悟って隣の通路から駆けつけてきた理沙と詩乃とともに、小清水は今、レジカウンターの内側に招かれていた。革津が用意してくれたパイプ椅子に座って紙コップ入りの麦茶を飲みながら、小清水は真っ赤に茹だった顔を伏せる。
「お騒がせしちゃってごめんなさい……」
――ううう、全然しっかりできてないよう……!
第一声が「いらっしゃいませ」だった時点で察するべきだったとも言えるし、あまつさえ人の顔を見て腰を抜かすなんて無礼にも程がある。
しかし革津は、こんなことは慣れっこだと言わんばかりに気にも留めていない様子で、
「いぃえぇ、こちらこそすみませんでした……存在感が薄いから急に喋りかけるなって、よく言われるんですよぉ。また失敗してしまいましたねぇ」
いかにも申し訳なさそうに後ろ頭を掻く仕草からして、きっと優しい嘘ではないのだろう。
こうして明るいところで相対すると幽霊じみた印象は薄れるが、相変わらず髪で目元が隠れているせいで表情は半分も伝わってこない。ぼそぼそと呟くような話しぶりもまた、革津の言葉に説得力を与えていた。
「皆さんは、この店は初めてですよねぇ。何かお探しの生体はありますかぁ?」
「あっ、いえ……」
「では水草でしょうかぁ」
小清水は返答に迷った。これといって何かを求めて来たわけではない。生体も水草も興味深いところではあるが、買えるかどうかはまた別の問題なのであって、ほとんど冷やかしと変わらないことを白状してしまってもよいものだろうか。
ちらりと視線を往復させた詩乃が、一拍の間を置いて口を開いた。
「ええと――こちらのお店は、生体と水草を中心にお取り扱いしているんですか?」
「……? それはまあ、アクアショップですからねぇ」
「あ、いえ、そうではなく……たとえば私が今からアクアリウムを始めようと思ったら、いろいろと道具を買い揃えなければいけないですよね。こう言っては失礼かもしれませんが、道具のコーナーは最低限といった感じに見えるので」
小清水は内心、衝撃を禁じ得なかった。
実際、詩乃の質問は的を射ている。器具のスペースはカウンターの正面に申し訳程度に設えられているに過ぎず、商品のバリエーションも決して多くはない。
小清水とて気づいてはいた。
が、詩乃は初心者どころかアクアリウムの世界に入門すらしていない。にもかかわらず今の質問をとっさに捻り出せたのは、彼女の頭の回転がそれだけ速いからなのだろうか。
「なるほどぉ、そういうことですかぁ」
革津は首肯して、
「お客様の仰るとおり、当店はレイアウト水槽用の生体と水草、ストラクチャー類を扱う専門ショップですよぉ。……あと、ちょっと変わり種の子も守備範囲ですねぇ」
「変わり種?」
「あ! お姉さん、それってひょっとして」
詩乃が首を傾げるのが早いか、今度は理沙が勢いよく声を発する。しなやかな筋肉を纏った褐色の腕を伸ばし、水槽コーナーを指さして理沙は一言、
「あそこの奥にいたタピオカガエルってやつのこと?」
――タピオカガエル?
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