第91話 その「協力」ってやつをやるのが部活

 水槽台の組み立てはそれから十分ほどで終わった。


「案外らくちんだったね~」


「二人で作業しましたから。板を押さえていてもらえればネジ止めも簡単になりますし」


 ひと仕事をやり遂げた由那と莉緒がにっこりと笑みを交わし合う。


 その後方、来賓室の壁際の床に座り込んで息を整えながら、琴音と千尋はどこか遠い目になっていた。


「なあコト、あたしさ、あのサイズでピンが木製なのダメだと思うんだよな」


「わかる。90でも一本折って自作するはめになったからな私……大型水槽では金属製にしてほしい」


 琴音は自室の90cm用の水槽台を組み立てたときの苦労を思い出し、ついつい唇をへの字に曲げた。


 水槽台の板と板とを繋ぎ合わせる道具は、大きく分けてネジとピンの二種類。ネジはともかくピンの取り扱いには注意しなければならない。メーカーや製品にもよるのだろうが、場合によってはピンは木でできており、大型水槽用の水槽台では組み立て中に板の自重で折れたり割れたりしてしまうことがあるからだ。


 由那と莉緒がそうしたように、板を支える役とネジ止めで固定する役とを二人が分担して行うことができれば、悲劇の大半は避けられるのだが――


「あたしらも協力すりゃよかったなー」


「まったくだ」


 基本的にスタンドアロンである一般アクアリストの脳内には、共同作業という概念がそもそも存在しない。


 と、斜め上から呆れたような声が降ってきた。


「なーに言ってんのよあんたたちは」


 隣。壁に背中を預けた佐瀬先生が二人を見下ろしてきていた。


「その『協力』ってやつをやるのが部活でしょうが」


「――先生……」


 瞠目する生徒二名を前にして、佐瀬先生は顔を澄ます。こころなしか鼻が高く見える――のはさすがに錯覚だとしても、「いいこと言ってやった」みたいに思っているのは表情からも明らかだ。


 琴音と千尋の頭の中は今、「まさか佐瀬先生がこんなにも先生らしいことを言うとは」でぴったり一致している。


 そして、それを口に出さないほうがいいであろうことも、アイコンタクトを交わすまでもなく承知している。


「あたしらも加わりに行きますか」


「だな。あれは全員で協力しないと上がらん」


 絨毯の上に置かれた巨大な――といってもあくまで「自分たちの基準では」の話だが――ガラスの箱を視界に収めて、琴音と千尋は腰を上げる。


 ただでさえ120cm水槽は重く、しかもオールガラスときている。あのタイプの水槽はフレームで強度を確保できないからガラス板の一枚一枚が厚く作られており、要するに空っぽでもめちゃくちゃ重い。琴音は以前60cm水槽を指して「水を入れたら私たちの体重より重くなる」と評したが、120cmオールガラスともなると水を入れなくても女子一人よりは重いのだ。


 由那と莉緒の細腕では、二人がかりでも持ち上げることは難しいだろう。


「よーし、そんじゃ皆でセットしようぜ」


 千尋が号令をかける。


 全員が四つ角の下に手をかけて、しっかりと掴んだ。


 六十キログラムのガラスの塊が床から浮き上がり、黒塗りのキャビネットの上へと移動してゆく。




 水槽を台に置いたからといって、ただちに注水できるわけではない。フィルターなどの機材を設置して水を回す準備を整え、底材を敷いてレイアウトの基盤を整える必要があるからだ。


「欲を言えば水草の植栽と注水は同時にやるのがいいんですけどね。すみません、選びきれていなくて」


 少し申し訳なさそうに告げる莉緒だが、即座に千尋が否定した。


「まぁ、あとからでも全然植えられるっしょ? たぶん同時にやってたら下校時刻になっちゃうぜ、今からだと」


 琴音も同調する、


「私も、今日のところはとりあえず濾過だけ利かせられる状態まで持っていくのがいいと思う。どうせ後景には細長い草使うんだし、あとから植えるんでもそこまで苦にはならないよ」


 琴音は自室の水槽をセットしたときのことを思い出していた。


 あのときは先に水草を植えようとしたのだ。一旦ソイルが浸る程度まで水を入れて、植栽をして、それから本格的に注水しようという計画だった。


 バリスネリアの長い葉が邪魔になって頓挫した。


 結局琴音は丈の低い草だけを最初に植えて、バリスネリアは完全に注水を済ませてから植える形で解決したのだ。


 莉緒の「同時にやるのが理想」という主張もこの方法を想定しているのだろう。しかし、どのみち最終的には「水位の高い状態での植栽」という工程が発生するのだから、普通に腕まで濡れることに変わりはあるまいとも思うのだった。


 ちなみにこの話し合いの間、由那はといえば――


「おお~……これが外部フィルターとクーラーかあ。ちゃんと見るのは初めてかも!」


 梱包から出した機材に対して実に無邪気な感想を述べていた。


 ――まあ、わからんではないけど。


 外部フィルターはアクアリウム用品の中では高級な部類に入るし、クーラーだって同様だ。琴音だって箱を開けた瞬間にはそこそこテンションが上がった。設置する段階になって冷めたが。


 そして、案の定と考えるべきだろうか、由那の反応は概ねかつての琴音と似たものとなった。


「うっ……こんなにパーツがいっぱいあるんだね。ホースも自分で切るのかぁ……ちょっと不安になっちゃうなあ」


「ホースはどうしてもな。どのくらいの長さが必要なのかは、買った人がどんな水槽を置いてるか、どんなふうにセットしてるかで違ってくるから。そりゃメーカーだって一律にはできないさ」


「やっぱり、これ設置するのって大変? すごく上級者向けな感じがするよ……」


「性能的には初心者ほどオススメなんだけど、高いから結果的に玄人向けになっちゃってるイメージかな。設置自体は理屈さえ押さえとけば難しくないよ」


 我知らず笑みがこぼれていた。


 由那と出会った初日。あのとき由那の部屋で教えたのも、フィルターにまつわる知識だった。


「吸水、濾過、排水……だったよね。つまり吸水パイプにホースを取り付けて……ええっと、フィルターはゴミを取るのがお仕事だから……クーラーより先に、フィルター本体にホース繋いじゃったほうがいいんだよね?」


「お。どうしてそう思う?」


「だって、フィルターを通す前にクーラーに水を流しちゃったら、クーラーの中にゴミが溜まっていっちゃうもん」


「正解」


 まだまだ駆け出しではあるけれど、それでも――今の由那はもう、自分でしっかり考えられるアクアリストだ。

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