第92話 絨毯作るわけじゃないけど

 アクアリスト四人がかりなら当然ではあろうが、水槽のセットはつつがなく終わった。


 手前側の底材を薄く、奥側を厚く敷くと、視覚効果によって奥行きがあるように見える――このテクニックを由那がすでに習得していたことが大きい。魚を一匹迎えた経験は、アクアリストとしての必要最低限以上の知識を彼女にもたらしたのかもしれない。


「ふおぉぉお……! もう相当見応えある気がするよ……!」


 砂とソイルを敷き分け、レイアウトの要となる石を埋め込んで水を張った水槽を眺めながら、由那は感激に声を震わせた。


 気持ちはわかる、と琴音はこっそり口元を緩める。


 水槽の真正面からソイルは確認できない。砂と石で隠れるよう計算して敷いたからだ。結果として水景は砂と石だけで構成されているように見え、ある種の統一感を醸し出している。


 ――けど。


「小清水さん、本番はここからですよ」


 脳裏に浮かんだ否定を、莉緒が代弁してくれた。


「この水景に合うような水草を選んで、植えていかなければなりませんから」


「わ、わかってるけど……今の時点でこんなにキレイなんだから、水草植えたらもっとキレイになるんじゃないの?」


「そう単純にいかないのがレイアウトの難しさでして。よくなるかどうかはわたくしたちの目利きと腕次第、といったところでしょうか」


 ――そうなんだよな……。


 うんうんと頷きつつ、琴音は自室の水槽を立ち上げたときのことを思い返す。


「みすぼらしい植え方すると『底材敷いただけのほうが全然マシだった』なんてことになるからな。ギンガの水槽だって、納得いくまで水草追加したり植え替えたり……ま、いろいろ試行錯誤したよ」


 千尋がぽんと手を打って、


「あー、ウチの親父もよく『ペン入れしたら微妙になった』とか『線画のままにしといたほうがよかった』とかぼやいてるわ。それと似たようなもんかもねー」


「言うほど似てるか……? 大変なんだなとは思うけど」


 プロでもそんなふうになるのか、と話の腰を折られた琴音は眉をひそめる。絵描きの苦労というやつが偲ばれる。


「――とにかく、」


 莉緒の語気に力がこもった。


「肝心なのはこの先です。使う水草のタイプは先程お伝えしたとおりですので、週末、市内のアクアショップを探してみましょう」



     ◇ ◇ ◇



 ――というわけで明くる土曜日、生物部のメンバーは二組に分かれてショップ巡りと相成った。


 巡り、といっても実際に向かうアクアショップは一つずつだ。ホームセンターも候補に含めるべきか悩ましいところではあったが、「かねまる」の水草の品揃えは心もとないし、近場に鉄道駅のない「サールモール」まで足を伸ばすのは効率が悪い。


「なんだか久しぶりだな~、このお店に来るの」


「そういえばそうだな。来る必要あるのは餌か濾材が欲しいときくらいだし、そんなもんって気もするけど」


 琴音と由那がやって来たのは、辰守たつもり駅の徒歩圏内にある「AQUAアクア RHYTHMリズム」である。


 特別ネイチャーアクアに強い店ではないが、生体に水草に器具にと商品のバランスはよく、アクアリウム専門店であることから棚の充実度もサールモールに劣らない。つまりは水草もそれなりに置いているのであって、覗いてみる価値は充分あるという判断だった。


 入口を入ってすぐの明るいフロアを抜けて、店の奥、照明の絞られた薄暗いエリアへと踏み入ってゆく。


「わたしたちが最初にちゃんとお話したのがここだったよね」


「……だったな」


 脇目を振ってパロットファイヤーの水槽を一瞥しながら二人で笑みを交わし合う。今の由那はもう、あの魚と金魚とを見間違いなどすまい。


 通路を逆側に折れる。


 ネオンテトラやランプアイなど、いかにも観賞用といった趣の魚が陳列されているエリアを抜けた。壁際に設えられた三段重ねの水槽の前まで行くと、そこが水草の売り場だとわかる。


「細長い水草を確保すればいいんだよね? コトちゃんの水槽の――なんだっけ、あのニラみたいな草」


「バリスネリア・スピラリス。最後に来たときから並びが変わってなければ、そっちの隅に置いてあるはず……だけど、今回あれは選ばないほうがいいな」


「どうして?」


「翠園寺さんのイメージに合うのはもっと葉幅の狭いやつだと思うから。バリスネリアだと群生させたとき鬱蒼としすぎて……爽やかっていうよりはこう、圧倒されるような感じになる、気がする」


「あ~……たしかにコトちゃんの水槽も、川底は川底でも日本の川って感じじゃないもんね。もっと暖かい国のっぽい」


 部屋のスネークヘッド水槽はまさに東南アジアの川をイメージして作ったものなので、琴音は素直に首肯した。


「だから、今回はヘアーグラスとかそのくらいの細いやつを……」


「――あっ! ねえ、これとかどうかな?」


 ぱっと光るような明るい声につられて視線をやると、由那は三段重ねのうちの中段、黒い鉢に入った水草を指さしていた。


 エキノドルス・テネルス。


 たしか、エキノドルスの中では最小の水草だったはずだ。南米原産の湿地帯に生える水草で、ランナーを伸ばして茂みを形成する性質があることから、アクアリウムにおいては前景に絨毯を作りたいときにしばしば用いられている。


 なるほど悪くない、と率直に思った。


「私たちは絨毯作るわけじゃないけど……それでも、要所に植え込めばいい感じになるかもしれない」


「だよね。……あ、でも、緑一色ってわけじゃないのは大丈夫かな?」


 一転、由那が心配そうな表情になる。彼女の言うとおり、たしかにエキノドルス・テネルスは光量によっては赤く染まることもある種類で、現に眼前の株も悉くうっすら赤が乗っていた。


 しかし、これに関しては琴音にも考えがあった。


「ちょっとくらい赤茶けてたほうがリアル感出るんじゃないかな。緑はモスで補えばいいよ」


「……じゃあ、決定かな?」


「ああ。テネルスと南米ウィローモス。前景はこれでいける」


 琴音が太鼓判を押すが早いか、由那は顔を輝かせて、


「じゃあわたし、店員さん呼んでくるよ!」


 止める間もなく身を翻す。


 そのとき琴音を微笑ませたのは、反応の迅速さに反して由那の動きが実に慎重だったことだ。アクアショップの通路は狭く、見通しも悪く、場合によっては床が水で濡れている。


 出会ったときのことを思い出す。


 通りかかった男の子が転びそうになったことを、由那も覚えているのかもしれない。


 琴音は綻ぶ唇を必死に引き締めながら、スマートフォンを取り出してLANEのアプリを立ち上げた。


〔ことね:前景草は確保した ――現在〕

〔ことね:中景と後景、任せたぞ ――現在〕


 投下先はもちろん、生物部のグループチャットである。

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