第75話 何を考えているのか不思議
湊真凜という女性を簡潔に表すならば、それは「デキる女」の一言に尽きる、と莉緒は開口一番に前置きした。
もちろん、前置きであるからには後に続く言葉もある。
「料理に掃除、洗濯に買い出しにペットの世話にと、基本的に何でもそつなくこなす人ですね。以前にもお話させていただいたとおり、わたくしも随分よくしていただいてます。――ただ」
「ただ?」
「何を考えているのか不思議というか、わからないときがありますね……」
「翠園寺さんでもそーなんか……」
千尋は腕を組んで唸った。
芽山沼キャンプ場での一件が思い出される。たしかにあのとき、真凜は莉緒にも内緒で現れたのだった。まず間違いなく莉緒を心配しての行動だろうと結論づけてはいるが、何をしでかすか読めないという意味では莉緒の言うことにも一理ある。
からり。千尋はアイスコーヒーの氷をストローで弄びながら、
「――別にいいんだけどね、何考えてるんでも。こないだから聞いてる感じだと翠園寺さんの嫌がることはしなさそうだし。もしコトのこと気に入って社員採用とか将来しようってんなら、それはそれでコトにはいい話だし」
「真凜さんにそこまでの権限があるかは存じ上げませんけど……まあ、巳堂さんと気は合うかもしれませんね、実際。アクアリスト同士ですし」
「マジか。何飼ってんの」
「海水専門でいろいろ飼っていたそうですよ。今はタツノオトシゴを可愛がっているんだとか」
「海水かー。コトが興味津々になってもおかしくねーな」
千尋は店の隅っこに置かれた水槽へと目をやる。
イソギンチャクの周囲を泳ぎ回る、オレンジと白の二色に彩られたカクレクマノミたち。まさしく海水水槽のお手本といった趣だが、あれはけっこう病気にかかりやすくて意外と維持が難しいのだと聞く。
比重の管理を求められるぶん、海水水槽はどうしても淡水と比べてハードルが高くなるイメージだ。だからというわけではないにせよ、千尋にも琴音にも海水魚の飼育経験はない。
「んー……よし、だいたいわかった」
ミルクを溶かしたアイスコーヒーの味とともに、千尋は「湊真凜はアクアリストである」という事実を嚥下する。
アクアリストに悪い奴はいない、などとは無論考えない。もしアクアリストがいい奴ばかりであるならば、日本の川で熱帯魚が見つかることも、そのせいで規制が強まることもなかっただろうから。
けれど、莉緒が信頼している相手ならやっぱり信じていい人なのだろうし、そのうえでアクアリストだというのなら琴音とも波長は合うはずだ。
「翠園寺さん、湊さんとは連絡取れるんだよね?」
「ええ。なんなら今週末には直接顔を合わせますけど」
「そのときコトいるんかね? まぁどっちでもいいや、いたら普通にコトと話すんでもいいし、いなけりゃ湊さん経由でコトから聞き出してほしいことがあるんだ」
「……LANEではダメなのですか?」
「LANEだとダイレクトにその質問になっちゃうじゃん? そしたらあいつ隠すかもしんねーから」
ただ尋ねるだけでいいなら千尋は自分でやっている。家は近いのだし、夜にでもお邪魔してみればさすがに琴音もバイトから戻っているだろう。
しかし、それでは十中八九、琴音に口を割らせることはできまい。
琴音がバイトを始めたのは冷却設備を揃えるためだろうが、いくらチラー式のクーラーが高価といえど、こうも連日仕事を入れて稼ぐ必要まではないはずなのだ。
琴音には他にも何らかの目的がある――千尋はそう踏んでいるし、琴音のことだ、面と向かって訊いても絶対にはぐらかしてくるだろうとも予想している。少なくとも自分にだけは明かしてくれまい。今だけは日頃のからかいが悔やまれる。
「なるほど……あくまでもさりげなく切り出せばよいのですね?」
「そういうこと。湊さんに頼むときは湊さんにそう伝えといて」
「承知しました。やってみますね」
莉緒がしっかりと頷くのを見て取って、千尋はアイスコーヒーを飲み干した。
◇ ◇ ◇
果たして土曜日、翠園寺家を訪れたのは真凜だけであった。
「巳堂さん? 彼女は今日オフですよ。学友にこの格好を見られるのは恥ずかしかったのでは?」
ブラックのシャツの上から着けた白エプロンを摘まんでひらひらさせながら、真凜はさらりとそう言った。表情が一切変わらないせいで、本気で口にしているのか冗談なのか判断しづらいのが真凜の数少ない欠点である。
「だったらそもそも仕事着で現地集合のお仕事は避けるのでは……」
「さすがにエプロンは現場でつけますよ。でないと目立ちすぎます。あの子は似合いますから尚更ですね」
「……そうですか」
とはいえ、似合うというのは本当だろう――莉緒は琴音の仕事着姿を想像してみる。
無造作に流した黒髪に、きりりと引き締まった顔立ち。普段から精悍な印象の琴音だけに、モノクロームの仕事着のシックさを纏えばいっそう魅力が際立つはずだ。
「あるいは、万一ここの家具を傷つけてしまったときの弁償が怖いとか」
「そんなのわたくし求めませんわ!」
「正直私も緊張するんですよ」
「……それはウソですね?」
「はい」
はいではないと思うのだ。
莉緒はふうっと溜め息をついて、
「まあいいです。わたくしも最近巳堂さんとはあまり会っていなかったので、いらしたらお話を聞きたかっただけです」
「聞きたいことがあったのですか?」
「大した話ではないんですけどね。紹介しておいてなんですが、どうして急にアルバイトを頑張りはじめたのかな、と」
仕掛けた。
真凜は合点がいったふうに「ああ」と応じて、
「私も気になったので訊きましたね、それ」
「あら」
嬉しい誤算というやつだろうか。これならば伝言を頼むまでもなく、この場で真凜に探りを入れれば琴音の意思を掴めるかもしれない。
莉緒は続きを促そうとした。
スマートフォンがLANEの着信音を奏でた。
グループチャットに、当の琴音からのメッセージが投下されていた。
〔ことね:小清水さん、今日時間とれるかな? ――現在〕
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