ⅸ.秋のイベントは嵐のように

第105話 フリルつきのメイド服なんて

 たとえば栗鼠追りすおい町の夏祭りがそうであったように、祭というものは行事として根付いているかどうか、つまるところどれほどの由緒を有しているかで成否が占われる面がある。


 それゆえに、今回は内々の盛り上がりで済むだろうと巳堂みどう琴音ことねは踏んでいた。


 瑞泉祭ずいせんさい――私立亜久亜あくあ高等学校学園祭。


 今年で第十二回めを数える、らしい。


 市名を冠している高校としては珍しいケースだと思われるが、実のところ亜久亜高校はさほど歴史の長い学校ではない。理事長も校長も初代からの代替わりを迎えておらず、市民からの評判だって未だに「ああ、あの新しい学校ね」みたいな感じだ。かく言う琴音だって受験を見据えるまでは似たような認識をしていた一人だし、今年定員割れを起こしていたのもアクアリウムコンクールでアピールしようなんて作戦に出たのも要はそこが理由だろうと思っている。


 地元に浸透しているとは言い難い亜久亜高校の学園祭であるからには、当然ながら瑞泉祭も在校生中心の賑わいに留まる。どういう出し物をやるにせよ、あまり慌ただしくはなるまい――それが琴音の見立てであった。


 結論を述べる。


 琴音の予想は外れた。




 瑞泉祭が執り行われる二日間、亜久亜高校はどんな厚化粧の女も真っ青になるほどの変貌を遂げる。


 実行委員会謹製のハリボテアーチで武装した校門を通り抜け、前庭で待ち構える客引きの群れをかき分けて校舎に入れば、所狭しと並んだ看板に出迎えられる。無数の色紙やリボンや風船でデコレーションされた廊下を進んで階段を上がり、第二理科室に足を踏み入れると、そこでは琴音と天河あまがわ千尋が机の間を駆け回っている。


「おねえちゃん、これ何ていうお魚?」


「オイカワだよ。今はあんまり特徴ないように見えるかもしれないけど、夏には緑とピンクの模様が入って綺麗なんだ」


 親子連れで訪れた客の質問に琴音が答え、


「部長さん部長さん、この小っこいエビって食べられるの?」


「すんません今日のメニューにはないっすねー。ちゃんと泥抜きして火ィ通せば食えることは食えるんすけどねー」


 別の机では他校生と思しき少女のジョークを千尋がさらりと捌いて流す。


 アクアリウムカフェである。


 開店時刻の九時からこっち、ずっとこの調子である。


 ――これ、めちゃくちゃきついぞ……!


 千尋の顔の広さを活かしてクラスの内外から協力を募り、使わなくなったプラケースを皆の家から集めるアイデアは成功した。理科準備室でストックしている日淡やザリガニに加えて、来賓室の水槽からコンゴテトラとコケ取り部隊を一時的に引っ張ってくる発想もよかった。


 しかし、まさかここまでの盛況に見舞われるとは。


 琴音はふうっと荒く息をついて、視線だけで室内をぐるりと見回す。


 できるだけ飾り付けを施したとはいえ、他の教室と比べれば申し訳程度といった趣だ。ひとえに生物部の人手不足ゆえの質素さであるわけだが、その人手不足は今まさに自分と千尋を追い込んでいる。


 すべての机が客で埋まっているのだ。


 在校生と父兄が押し寄せるのは予想の範疇としても、近隣の住民や他校の生徒がひっきりなしに訪れるのは想定外だった。


 普段たいして話題にならない亜久亜高校でこうなるあたり、自分が考えていたよりも市民はイベント好きだったのかもしれない。


 ――まあ、でも……。


 ――たぶん、ここまでの客入りの理由は……。


 琴音はそこで思考を打ち切る。


 準備室に一旦引っ込み、厨房スタッフ――といっても出すのはドリンクと出来合いの軽食だけだが――と化した佐瀬させ先生から紙コップと紙皿を受け取って、再び第二理科室へと戻って注文どおりの机へ向かう。


「お待たせしました。アイスティーとスコーンです」


 机に座っている客は、琴音のよく知っている人間だ。


「ありがとうございます。頑張っていますね、巳堂さん」


 みなと真凜まりん


 唇の端だけを持ち上げる微笑。夏休みの間ずっと見てきたと言っても過言ではないその表情を、すでにずいぶんと懐かしく感じる。


「ふふふ……うちで働きはじめたばかりの頃は緊張が透けて見えたものですが。これだけの人を相手に接客できるようになったんですね?」


「いろんな家を回って鍛えられましたから。湊さんのおかげですよ」


「そう言っていただけると鼻が高いですね。――その格好が板についているのも、私の教育の賜物ですかね?」


「うっ」


 せっかく意識しないようにしていたのに。


「ば……バイトのときの制服にはあんまり似てないと思いますが」


「それはそうですが、しかし本来その格好はこういう場よりも私たちの仕事のほうがですね」


「言わないでくださいよ! わかってますから!」


 つくづく思う――この人のこういうところは正直勘弁してほしい。千尋相手ならば自分も気安くツッコめるけれど、目上の真凜に対して同じ扱いをするのは無理だ。


 琴音は白いエプロンに彩られた藍色のロングスカートを翻して、真凜の視線に背を向けた。


「も、もう行きますね。翠園寺すいおんじさんと由那ゆながクラスのほうに回ってるから、見てのとおりいっぱいいっぱいなんです」


「そのようですね。引き留めてしまってすみません」


「いえ、ごゆっくり!」


 早足で机から離れてゆく。周りからみっともなく見えないように顔を伏せないで歩こうとすると、ますます視線が突き刺さってくるような気がしてほっぺたに血が集まった。


 真凜の下についてアルバイトを経験したおかげで、たしかに以前より緊張しなくはなったかもしれない。


 ――けど。


 普段なら絶対に着る機会のないような服を着て人前に出るのは、やっぱり恥ずかしいに決まっている。


「板になんかついてるわけないじゃんか……こんなの変わってるだけで注目されてるに決まってる、私みたいなのに似合うわけない、こんなっ……」


 唇の中で紡いだ言葉は、もちろん声にならず。


「――こんな、フリルつきのメイド服なんてっ……!」


 平然としている千尋が恨めしい。あいつはネタと割り切ってしまえる性分なのだろうが、こっちはそうもいかないのだ。


 ――早く加勢に来てくれえ、由那、翠園寺さん……!


 B組では正午を迎えると同時に教室を一度閉め、休憩時間に人員交代を行った後に午後の部に入る予定だと聞いている。正午になれば由那と莉緒りおがやって来て、自分に向けられる視線をいくらか肩代わりしてくれるはずだ。


 壁に掛かっている時計を仰いだ。


 SOSを発する琴音の心を嘲笑うかのように、時計は無情にも十時三十分を指していた。

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