第29話 魚じゃあないんだな

 四人でぞろぞろと辰守駅まで戻った。


 なぜそうしたかと言えば、駅のこちら側がもっぱら住宅地であるからだ。スーパーマーケット、書店、クリニック――そういった客を呼べる施設はほとんど、駅の反対方面に固まっている。


 チェーンのファミレスに入ってテーブル席についたとき、珍しいことに千尋が深刻そうな声を発した。


「――あのさ、翠園寺さん」


「何でしょうか?」


「翠園寺さんの舌とお腹は、なんつーかそのー……こういった下々の店の料理はお受け付けになるの、でッ!?」


 最後あたりが上擦ったのは、琴音が無言の手刀を飛ばしたからである。


「全方位に失礼な発言をするんじゃない。――ごめんね翠園寺さん、千尋のアホがくだらんことを」


「いえいえ。わたくし、こういうお店も利用しますよ」


 莉緒が鷹揚に笑みを浮かべてメニューを取る。全員が見られるようにテーブルの上に広げ、自身でも料理の写真に目を落とす彼女の表情は、なるほど偽りなく楽しげである。


 そういえば以前、使えるお金は普通の高校生とあまり変わらない、みたいなことを言っていた気がする。


 家はともかく、莉緒本人は案外庶民派なのかもしれない。


「わたくしはチキングリルのランチにしましょうか。皆さんはもうお決まりですか?」


「ああ。私は日替わりでいいかな」


「わたしも」


「あたしはがっつりハンバーグでもいこうかね。んじゃ、店員さん呼ぶぜ」


 千尋がワイヤレスチャイムのボタンを押した。全国共通の制服である黒地のシャツと白いエプロンスカートを纏った女性店員――たぶんアルバイトの大学生だろう――がすぐさま現れ、慣れた調子で四人分の注文を取って去ってゆく。


 店員の背中を見送りながら、琴音はぽつりと、


「……時給いくらだろ、ここ」


「高校生八〇〇円」


 壁の「スタッフ募集!」の張り紙を見つめて千尋が答える。


「やめとけよ。飲食のフロアなんてコトにゃ絶対向いてねーんだから」


「なんだよそれ」


「客に愛想振りまくコトとか想像できねー」


 琴音はむっと唇を曲げる。


 正直我ながら同感だったが、おまえにはできないと最初から決めつけられては反駁したくなるのが性分だ。こういうところが突っつかれる原因なのだとわかってはいるのだけど。


「じゃあ、何なら私に向いてると思うんだ」


 反発は半分。もう半分は期待を込めて。


 幼い頃からずっと腐れ縁で繋がってきた千尋だ、ひょっとしたら的確な案を出してくれるかもしれない。


「そうだなぁ……新聞配達とか、倉庫の仕分け作業とか? それだったら少なくとも接客はねーっしょ、挨拶程度しか」


「むっ……まあ、時給と日程しだいだね」


 やっぱり悪くないアイデアだった。腹立たしいことに。


 ――とはいえ……。


 できそうなことしかやらないんじゃ何も変わらないんだよな、とも思う。


 一昨日の小清水の訪問は、己の人付き合いの不得手さを痛感するには充分すぎる体験だった。今となってはよくもまあ初対面のとき声をかけたものだと感じる。いずれにしても学校の友達相手ですらこのザマでは、話せるのは小さな子供くらいということになってしまいかねない。


 やはり、接客のある仕事で鍛えるべきか。


 思考の深みにはまりかけたとき、向かい側の席から小清水の声がした。


「――ところで天河さん、」


 なんだ千尋かと思う、


「60cm水槽が二つあったよね? ひとつはトリートメント用として、もう一つは何がいるの? 何も泳いでないように見えたんだけど……」


「あぁ、あれかー。見えないときは土管の中にいるんだよな」


 千尋の受け答えが左耳から右耳へと通り抜けようとして、しかし脳裏に引っかかって止まる。


 ――待てよ、


 琴音は大切なことを思い出す。小清水への授業を始めて以降、熱帯魚ばかりに気を取られてすっかり脇へと追いやっていた、ある事実を。


 ――水槽で飼う生き物は、なにも魚だけとは限らない。


 千尋が回している四つの水槽のうち、まずメインの90cm――さっきまで眺めていたのがこれだ。ブラックアーマードプレコを中心に、ブラントノーズ・ガーとメチニスを混泳させている。


 次に、30cmオールインワン――こいつにはタナゴのペアが入っていた。千尋が自ら市内の川で捕まえたものだという。うまく婚姻色を出してやれば熱帯魚にも劣らぬ美しさに化けることで知られ、実際千尋の水槽ではそのように色づいていた。


 二段重ねの60cmロータイプの下段――ここには生体がいない。トリートメント用に空けてある水槽だからだ。


 そして、上段に載った60cmロータイプ。


 厳密に言えば、この水槽だけは千尋のものではない。水換えなどいっぺんにやったほうが効率がいいし、普段からの水質管理も千尋のほうが上手であるために、結果的に彼女が管理しているふうになっているだけだ。


「ホントは弟のペットなんだけどね。魚じゃあないんだな」


「魚じゃ、ない? ……ザリガニとか?」


「うんにゃ。たしかにアメザリも釣ろうと思えば釣れるだろうし飼おうと思えば飼えるけどね、ウチに今いるのはそいつじゃない」


 千尋は羽織ったパーカーのポケットに手を突っ込むと、スマートフォンを引っ張り出した。数タッチでアプリを呼び出し、目当ての写真を探しあてる。


 千尋がスマホをテーブルの上に置いた。


「わ。これってなんか見たことがあるよ!」


「ああ、昔ブームになったと聞いたことがありますね」


 小清水と莉緒の反応を楽しむようにニッコリと笑って、千尋がその生き物の名前を告げた。


「アホロートル。いわゆるウーパールーパーってやつだね」

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