第18話 乗り換えなんてしないよう
「――では、わたくしはお先に。また学校でお会いしましょう」
買ったばかりの液肥が入ったビニール袋を揺らして、莉緒がぺこりと一礼した。駅とは反対方向に去ってゆく背中を見送りながら、小清水は期待に胸が躍るのを感じていた。
「これから翠園寺さんともいっぱいお話できそうだなぁ。明日学校に行くのが楽しみになってきちゃった」
そうだねえ、と千尋が隣で相槌を打つ。
「いやー。まさかあんな優等生があたしらの同類だったとはねー」
「嫌な言い方するなよ。たしかに驚いたけど」
打てば響くような千尋と琴音の応酬。
そんな二人の手には、こちらもやはり買ったばかりのジュースのボトルが握られている。目的はアフリカンナイフフィッシュを見ることだったわけだが、冷やかすばかりでは悪いからと食料品コーナーに寄ってしっかりお金を落としたのだった。
と、琴音の視線が小清水を捉えた。
「翠園寺さんとは仲いいの?」
「んー……」
真っ向から訊かれると返答に困る。
悪くはないと思う。
だが一方で、良いと答えるのもそれはそれで真実ではない気もする。正直なところを言えば、そんなに絡む機会が多かったわけでもない。
「ふつうかなあ」
結局、小清水はそう返した。
委員長という立場がそうさせるのか、莉緒は基本的に、クラスメイトの誰が相手でも物腰柔らかに接するようなところがある。小清水に対して特別というわけではなかったはずだ。
「普通、か」
「うん。ふつうだと思うよ」
「そっか……」
琴音はそれきり押し黙る。なおも何事かを考えているような沈黙だったが、言葉にするつもりはないらしかった。
「――んーむ、しかし、あれだな」
千尋がアセロラジュースから口を離す。
「小清水ちゃんの先生役には向かないだろーけどな、翠園寺さん」
小清水は当惑して、
「え、え? どうして?」
「だってほれ、60cm水槽でネイチャーアクアっしょ? この条件で今まで小清水ちゃんに紹介してきたようなペットフィッシュを飼うのは無理だよ」
琴音がはっと顔を上げる。
「たしかに。私が90cmを立ち上げたのもそれが理由だからな」
「だろ? 一応生体メインのコトでそうなら、本格的なレイアウト水槽なんてやってたら遊泳スペース取れねーって。きっと翠園寺さんが飼ってるのはテトラとかラスボラとかの小さいやつだよ」
まあエンゼルフィッシュくらいは入れてるかもしんねーけど、と千尋は自らの主張を結んだ。
たしかに、そのとおりではある。
水草だけならまだいい。しかし、ネイチャーアクアリウム――自然らしいレイアウトを志向するということであれば、流木や岩石の類を間違いなく配置しているはずだ。
魚が泳ぐためのスペースは当然、圧迫される。
複雑なレイアウトと、そこそこにボリューム感のある魚。両立させようと思ったら、大きな水槽を使うしかないだろう。琴音がそうしたらしいように。
「……で、でも! 話が合うかどうかって、そういう損得で考えるものじゃないんじゃないかな?」
「おー、いいこと言うね小清水ちゃん」
「わたし同じクラスだから、いろいろお喋りしてみるよ。翠園寺さんがいい人だってことは普段を見てればわかるもん、絶対仲良くなれると思うんだ」
「うんうん、お仲間が増えるのは大歓迎さ。だから小清水ちゃん、あたしらから乗り換えるんじゃなくて一緒につるんでいく方向で頼むぜ?」
「え、ええっ? やだな、乗り換えなんてしないよう」
琴音にはこっちから頼んで付き合ってもらっているのだし、賑やかな千尋と話すのは楽しい。二人と過ごす時間を手放すなんてできるわけがない、と小清水は思う。
ホームセンターを出る。
後から思い返してみれば、駅に向かって歩く間、琴音が奇妙なまでに静かだった気がする。
しかし、琴音がクールなのはいつものことだ。
彼女の振る舞いに生じていた小さな変化について、このときの小清水が深く気に留めることはなかった。
◇ ◇ ◇
実を言うと、小清水は調べ物があまり得意ではない。
いや、もちろん、まったくできないわけではない。たとえば書店で目当ての本を探し当てるのに苦労することはないし、図書室にあるパソコンだって周囲の同級生と同じくらいには使える。
が、「自分の部屋でスマートフォンで」となるとハードルが跳ね上がる、と小清水は感じていた。最も慣れ親しんだ機器には違いないはずだし、実際ちょっと検索してわかる程度のことなら可能なのだが――それでも、がっつり本腰を入れて調べ物をしようとなると、この小さい画面でやる気にはどう頑張ってもなれないのだった。
「熱帯魚、60cm、おすすめ……う~ん、いまいちだなぁ」
60cm水槽で飼えるペットフィッシュを検索したつもりだったのだが、表示される結果は「60cm水槽なら群泳させられる魚」とか「60センチほどまで育つ魚」とかが多くて、ちょうど欲しい情報が見事なまでに出てこない。
「これじゃ二人に追いつくのは遠いよねえ……」
教えられるばかりではなく自分自身でも勉強してみよう、と思い立った矢先にこのざまである。
調べたい魚種を特定できていれば検索バーに入力するだけでいいのだろうが、そもそもそれができないから知識を広げようとしているわけで、これはちょっと本格的に自分のダメさが恨めしい。
――巳堂さんが構いたくなるわけだ。
そんな考えがよぎったとき、スマホが震えた。
「わ!」
LANEの通知だ。
送り主が誰かを確認して、どきりとした。
「……巳堂さん?」
琴音からのメッセージだった。
〔ことね:こんばんは ――現在〕
〔ことね:明日の昼休みはこっち来る? ――現在〕
どうしたんだろう、というのが率直な感想だ。
「行くに決まってるのになあ……?」
小清水はスタンプを貼りつけて返信した。
グループチャットの画面上に、満面の笑みを浮かべながらグッと親指を立てるキャラクターの画像が投下される。
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