ⅲ.続・フェイバリットをさがして
第19話 そんなに取られたくない?
「……ふぅ」
明日の昼休みはA組の教室に来るのか、というこちらの問いに対して、返ってきたのは文面ではなくスタンプ一つ。とはいえサムズアップする人物の絵柄であるからには、意味するところは「来る」なのだろう。
ひとまず安心、してもいいのだろうか。
「何やってるんだかな、私――」
ひとりごちた直後、スマートフォンが震えた。
「……千尋?」
LANEのメッセージ着信だ。差出人の登録ニックネームは「チヒロ」――幼稚園からの付き合いの友人、
小清水を入れて新しく作ったグループチャットではない。
昔からずっと使っていた、琴音と千尋ふたりだけのチャットにメッセージが届いていた。
〔チヒロ:コトさぁ ――二〇秒前〕
〔チヒロ:いくらなんでもわかりやすすぎだろ ――一〇秒前〕
メッセージのケツにはスタンプがくっついていた。右手の人差し指を突き出し、左手で腹を抱えて大笑いする人物の絵。
瞬間的にムカついた琴音はすぐさまフリックし、
〔ことね:どういう意味だよ? ――現在〕
〔チヒロ:ネイチャーアクアじゃ小清水ちゃんの参考にはなんないってあたし言ったじゃん ――現在〕
〔チヒロ:心配しすぎだっつの ――現在〕
〔チヒロ:そんなに取られたくない? ――現在〕
「ん゛な゛っ」
危うくスマホを取り落としそうになった。
半笑いの千尋の顔が脳裏に浮かぶ。あいつはいつもそうだ。いったい何がそんなに面白いのか、知り合ってからというもの、ことあるごとにからかわれたり振り回されたりしているような気がする。
猛然とフリック、
〔ことね:そんなんじゃない! ――現在〕
〔ことね:ただ、明日アクアキューブ持ってったほうがいいのかどうかで迷っただけだ ――現在〕
〔チヒロ:持ってきゃいーじゃん雑誌一冊くらい ――現在〕
〔チヒロ:大してかさばんねーんだから ――現在〕
〔チヒロ:ごまかすのがヘタですなー ――現在〕
「は、腹立つ……!」
とはいえ、内容だけなら千尋に理があるのも事実である。でかい付録がくっついているわけでもあるまいし、読み古した雑誌の一冊くらい鞄に忍ばせるのはまったく難しい話ではない。小清水が来たら貸してあげればいいし、来ないなら次の日に持ち越せばいい。
――ごまかすのがヘタ、か。
そうなのかもしれない。
小清水と出会ってからはまだ四日しか経っていない、という事実が意外でならない。どこに行って何をしたのか逐一鮮明に思い返せるのはたったの四日間だったからではなくて、それだけ密度の濃い時間を過ごせたからだという気がする。近年例がないほどに。
このスマホだってそうだ――琴音は画面をじっと見つめる。
今までは家族と千尋しか登録していなかったLANEのフレンドリストに、小清水が加わった。やりとりの量が一気に増えて、先週の自分と比べたらフリックの速さも上がったのではないかとすら思うくらいだ。
〔ことね:ごまかしてるわけじゃない ――現在〕
それでも素直にはいと言う気にはなれず、
〔ことね:相手が増えると考えることも増えるんだ ――現在〕
〔ことね:ペースが速くなるといろいろ疲れる ――現在〕
間、
〔チヒロ:あたしはそういうの感じねーけどなあ ――現在〕
〔ことね:鈍感 ――現在〕
もとより顔の広い千尋には、自分の戸惑いなど理解できまい。
――この話題を続けるのは分が悪い。
琴音はさらに文字を打ち、チャットの軌道を変えにかかった。最初にちょっかいをかけてきたのは千尋のほうだ。こうなったらとことん付き合え。
〔ことね:明日は何を教えたらいいと思う? ――現在〕
どうやら完全に駄弁るつもりでメッセージを送ってきていたらしい。千尋の返事がさっきよりも遅れた。
〔チヒロ:そうだなー ――現在〕
〔チヒロ:明日はコトが一人で説明できるやつにしなよ ――現在〕
琴音は眉をひそめる、
〔ことね:いいけど、なんで? ――現在〕
一人でもなにも、琴音としては最初から、小清水にアクアリウム知識を仕込むことに関して千尋を頼った覚えはない。彼女の横槍やアイデアに助けられることが少なくないのは認めるが、基本的には自分の頭と口だけで完結させられるテーマを選んでいるつもりだ。
千尋は、今度はあっさりと返事をしてきた。
〔チヒロ:あたし明日の昼は用事あっから ――現在〕
〔チヒロ:一緒にいられねーからさ ――現在〕
はあ?
〔ことね:用事? ――現在〕
〔チヒロ:あたしゃ他のクラスにも話し相手がいるのだよ ――現在〕
〔チヒロ:小清水ちゃんが来るなら、あたしがいなくたってコトが独り寂しく昼休みを送ることはねーっしょ? ――現在〕
「ぐっ……!」
――いつ私が一緒にいてくれなんて頼んだ!
しかし、反論できない。
悔しいが、ものすごく悔しいが、琴音が休み時間の間ずっと机に突っ伏して過ごさずに済んでいたのは、千尋が何かにつけて絡んできていたからという理由が途轍もなく大きいのだ。
〔ことね:よけいなお世話だ! ――現在〕
怒りのスタンプを貼り付けてLANEを終了させた。
「……ったく」
わしわしと髪の中に指をかき入れる、
「私だけで説明できるやつと言われてもな」
困った。候補が多すぎるというのが正直なところだ。
子供の時分から千尋の川遊びに付き合わされてきたせいで、琴音のアクアリウム歴も相当に長い。大抵の魚なら過不足なく解説しきってしまえる自信はある。
どうしたものか。
答えを求めて部屋をぐるぐると彷徨った視線が、琴音自身のメインタンクである90cmレギュラー水槽を捉える。
――そうだ、
「こいつにするか」
自分が最も詳しい魚。自前の写真や動画を用意できる魚。千尋に口を挟まれずとも、小清水がどんな質問をしてきても絶対に答えてあげられるであろう魚。
琴音は立ち上がり、本棚からアクアキューブの既刊を取り出す。
表紙にはこうある。
スネークヘッド大特集。
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