第20話 かわいい奴だよ、手はかかるけど
「――スネークヘッド?」
明くる日の昼休み、LANEのメッセージどおりにA組の教室を訪れた小清水は、手渡された雑誌を見て首を傾げた。
月刊アクアキューブ、今年の二月号である。
表紙には「スネークヘッド大特集」という太文字が踊り、エメラルドグリーンの鱗を光らせる魚の横顔が特大のアップで掲載されている。
「そ、スネークヘッド」
琴音は小清水がちゃんと来てくれたことにひとまず安堵しつつ、
「ライギョって聞いたことない? その仲間だよ」
「う~ん……ごめんね巳堂さん、ちょっとわからないや」
「いや、謝ることじゃないけど」
正直なところ、薄々予想してはいたのだ。
ショップごとの強み弱みはあるにせよ、スネークヘッドは決して、いつどこに行っても在庫があるというほど市民権を得ている種ではない。
何より、相手は釣りもやったことがないらしい小清水だ。「ライギョの仲間です」なんて説明をしたところで、まずピンときてはくれないだろうと思っていた。
「ま、言うより見てもらったほうが早いよ。ほら」
琴音が巻頭の特集ページを開くと、わあ、と小清水が感嘆の声を漏らしながら瞠目した。
「かっこいい子たちだね!」
「でしょう?」
まるで自分が褒められたかのような昂揚が琴音の心を満たした。自然と唇の端が吊り上がる。
蛇のように身をくねらせて沈降する、青とオレンジの斑の個体。
水草の陰からメダカを狙う、褐色に銀の星を散りばめたような個体。
体を反らせて水面から口を出す、金属に似た光沢を放つ青い個体。
異なる三枚の写真が組み合わさって見開きを構成するそのページには、スネークヘッドの醍醐味とも言える特徴がまるごと詰まっているのだ。
「これだけでも分かることがけっこうあるよね。一口にスネークヘッドと言ってもいろんな仲間がいること、肉食であること、水面まで息継ぎをしに行くこと」
「たしかに……綺麗だけど、怖い感じも――って、あれ?」
小清水の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ、
「息継ぎ? お魚さんってエラ呼吸なんじゃ?」
「ん、やっぱり気づいたか……前から思ってたけど、小清水さんっていいところに目をつけるよね」
アナバス、と呼ばれるグループが存在する。
ベタやグラミーに代表される彼らは、呼吸器に「ラビリンス器官」という構造を有している。その機能をものすごく端的に言い表すと、「空気中から酸素を取り込む」ということになる。
スネークヘッドのエラには、ラビリンス器官そのものではないが、それとよく似た仕組みが備わっているのだ。
「――そういうわけで、スネークヘッドはちょくちょく水面に顔を出す。水から取り込む酸素よりも空気から取り込むほうが多いから、息継ぎができないと窒息しちゃうんだ」
「なるほど~……じゃあ、水槽のフチいっぱいまで水を入れて蓋を閉める、みたいなのはダメなんだ?」
「まあ、そういうことだね」
スネークヘッドに限らずそんな飼い方はすまいというのが琴音の意見だ。が、ツッコむだけ野暮ではないかという気もした。知識がないせいか天然なのか、どこまで本気でどこから冗談なのかイマイチ判別のつかないところが小清水にはある。
「あ、でも蓋しなかったら息吸えるね」
「! それは絶対ダメ!」
たとえ冗談でも看過できない話になった。
「スネークヘッドを飼うなら、蓋は必ず閉めなきゃダメ。それも隙間があったらダメで、水槽の上をしっかり全面塞ぐようにしないといけない」
「え……そんな厳重にするの? どうして?」
小清水は困惑気味だ。
無理もない。蓋を使わないことによるメリットも水槽の世界には確かに存在し、現にそうやって管理しているアクアリストもいるくらいだ。琴音が蓋にこだわる理由など、まだいかなる魚も飼ったことのない小清水には想像もつくまい。
しかし、これだけは何としてでも譲るわけにはいかないのだ。
アロワナ、ハチェット、そしてスネークヘッド――そうした魚の飼育者たちの血の叫びを、琴音はただの一言に集約した。
「跳ぶからだよ」
かく言う琴音自身、この習性に何度悩まされたか知れない。
あるときは水合わせ中にバケツから飛び出され、
あるときは水換えの隙をついて水槽から飛び出され、
またあるときはガラス蓋についた水滴を獲物と誤認したのか、勉強している横でガンガン物音を鳴らされて全然集中できなかった。
琴音の口から次々と発せられる恨み節に、小清水はいつしか目を白黒させるばかりとなっていた。琴音はハッと我に返る。つい感情が入りすぎてしまった。
こほん――咳払いをして切り替える、
「とにかく……スネークヘッドはジャンプする。しかも目がとてもいい。カドを落とした蓋をそのまま使ったりしたら、その切り欠いた部分を狙い澄まして水槽から飛び出す。気づくのが遅いとそのまま干物のできあがりだ」
「すごいね……でも実際それってどうするの? ヒーターとか温度計とか、ああいうのって水槽の中に配線通さなきゃいけないと思うんだけど」
「やりかたは人によるかな。全面覆ってほんとにちょっとの隙間からコードだけ潜らせるって人もいれば、カド落としたところからコード通して、穴をウールで埋める人もいる」
「工夫してるんだねえ」
小清水が感慨深げに息をつく。
「ちなみに巳堂さんは? 今までの話からすると、巳堂さんが飼ってるのってスネークヘッドなんだよね」
「そ。後者」
「っていうと、ウールを詰めてる?」
「うん。私、外部フィルター使ってるから」
「…………?」
「つまり、数ミリの隙間じゃ吸水と排水のパイプが通らない。カドの切り欠きはどうしても必要だってこと」
なるほどね、と頷いた小清水が雑誌をめくる。
次のページからはカタログのようになっていた。三〇種類を超えるスネークヘッドの仲間が、それぞれ写真つきでごく簡単に解説されている。
「巳堂さんのもこの中にいる?」
「もちろん」
琴音の水槽にいるのと同じ種は、八ページ後に載っていた。
最大全長二十五センチの扁平な体。冴え冴えとした青い鱗にぽつぽつと黒いスポットが入っている。背、腹、尾の大きなヒレはいずれも色鮮やかで、根元の緑から群青を経由して先端の黒へと向かうグラデーションを描いている。
「ブルームーンギャラクシースネークヘッド。……かわいい奴だよ、手はかかるけどね」
口にして思わず笑ってしまう。つくづく仰々しい名前だ。とりあえずド派手な単語を並べておけばいいだろう的なセンスには大いに首を傾げたいところで、インボイスネームを考えた誰かは重度の中二病だったに違いないと琴音は信じて疑わない。
だが、同時に琴音は知っている。
この魚の美しさが、決して名前に負けてはいないということを。
「昨日写真を撮ってきたんだ。見てみてよ」
琴音はアルバムアプリに収めた写真をタップして広げると、スマートフォンごと小清水に手渡した。
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