第21話 見に行っていいかな!?
「なにこの格好! かわいい!」
小清水が覗き込んだスマートフォンの中では、琴音の部屋の90cm水槽を棲み処とするブルームーンギャラクシースネークヘッドが、底砂の上にぺったりと尾をつけて休憩していた。尾の先で体を持ち上げるような「逆シャチホコ」の姿勢だ。尾と腹のヒレは畳まれているが背ビレを広げたままなので、深い色合いがよくわかる。
「きれいだなぁ。ほんとに真っ青」
「でしょ。とはいっても所詮スマホのカメラだから、限界はあるけど」
「え。……本物はもっとすごいの?」
「体をくねらせるときとかメタリックな感じにギラつくよ。でも、機械のスペックが足りないのか私の腕前がダメなのか、その光り方はどうしても写真に表れてくれないん、だ……」
そこまで口にした琴音は、ふとあることに気づいて勢いを萎ませる。
小清水の瞳が、よく濾過の効いた水のごとくに輝いている。
「巳堂さんっ!」
「わっ」
小清水がぐいっと身を乗り出してきて、琴音は思わず仰け反った。
――近い! 近いって!
小顔のわりに大きな、覗き込まれると吸い込まれてしまいそうになる双眸。こんなにキラキラした瞳をもつ子が至近まで距離を詰めてくるのは凄まじく心臓に悪いのだが、たぶん自覚はないのだろう。
「な、なに……」
琴音はそれだけ絞り出すのが精一杯だ。
期待に満ちた表情を顔いっぱいに貼りつけて、小清水が椅子から尻を浮かせてさらに詰め寄ってきた。
「巳堂さんの水槽、見に行っていいかな!?」
断れるはずがないのだった。
◇ ◇ ◇
――ホントに連れてきちゃった……。
放課後である。
千尋の「用事」とやらは昼休みでは終わらなかったらしい。彼女はホームルームが終わるなり別のクラスに出かけてしまって、入れ替わりに小清水がA組の教室に飛び込んできた。
一緒に電車に乗って一緒の駅で降りて、琴音と小清水は今、巳堂家の門前で肩を並べている。
「……じゃあ、上がって」
「うん! お邪魔しまーす」
鍵を回して扉を引く。無人の玄関へと招き入れる。
「その……親はまだ帰ってこないから、気を遣わなくていい、よ」
「お仕事?」
「共働きなんだ。――ええと、私の部屋は階段上って右」
どうにも態度がぎこちなくなってしまう。
考えてみれば、千尋以外の友達を部屋に入れるなんて小学生のとき以来だ。極端に散らかってはいないと思うが、見られて恥ずかしいものはなかっただろうか。たとえば干している最中の下着とか……。
しかし、いまさら煩悶しても遅い。家に上げてしまったうえに家族もいないと教えておいて、「やっぱり日を改めよう」もあるまい。
腹を括った。
自室のドアを、開けた。
「ここだよ」
「わぁ」
小清水は部屋に足を踏み入れるなり周囲を見回して、
「さすが巳堂さん。整頓されてるね」
「まあ、散らかってると水換えのときとか危ないし。……そのかわり可愛げのない部屋になっちゃってるけど」
「えぇ? でもオトナっぽくていい部屋だと思うよ、何て言うかこう――機能美! って感じで」
褒められるようなもんじゃないけどな、と琴音は苦笑。
あまり物を置かないのは、好みだからというよりも経済的な理由が主だ。お小遣いの大部分は水槽に消える。もっとお金のかからない趣味を持っていたら、自分だって小清水のようにぬいぐるみでも並べていたかもしれない。
が、そんな事情を露も知らない小清水は、「オトナっぽい」と評した部屋の中心で大きく息を吸い込んで、
「ん~、いい匂いがする~。これミント系?」
「そ、そう、ミントのやつ」
生活臭を嗅ぎ取られるのではないかと琴音は内心気が気でない。幸い芳香剤が役に立ってくれたようで、日頃から備えておいて助かったと心底思う。
「飼育水が臭うかと思ってさ……実際は濾過利かせたら気にならなくなったけど、せっかくだから続けてる」
「いいな~。わたしもこれにしてみようかな」
――ま、いいか。気に入ってくれたなら。
子供のような彼女の反応を見ていると、今の部屋の整え方で正解だったように思えてくる。
機能美、なるほど悪くない。
「――あっ」
そして小清水が、いよいよ勉強机の隣に目を留めた。
その位置には琴音の部屋の主役とも言える、そして小清水の来訪の目的でもある90cmレギュラー水槽が鎮座している。
「おお~……すごい。本物の川みたい」
「いい形の石とか流木を見つけさえすれば、小清水さんだってこのくらいのレイアウトは組めるよ。難しいことやってないから」
「そうなの?」
「底材をひく、石を置く、流木を転がす、水草を植える。私が立ち上げのときにやったのはそれだけ。――ほら、ソイルと化粧砂を敷き分けるとか、モスを巻くとか、石板積み上げて壁を作るとか、そういういかにも雑誌とかに出てくる水槽みたいなことは全然やってないでしょ?」
「言われてみればそうかも……いや、う~ん、そうかな……」
小清水はいまいち納得のいかない様子だ。
たぶん水草が育っているからだろうな、と琴音は当たりをつける。バリスネリアやウィステリアが繁茂しているから立派に見えるのだ。もちろんこうなることを見越して植えたわけだが、立ち上げ当初には緑がまばらであったということを小清水は想像できないのだろう。
「まあ、レイアウトの話なら私よりも……」
適任者がいる。そう言おうと思った瞬間、千尋のよこしたメッセージが脳裏をよぎって琴音はぎくりと硬直する。
――そんなに取られたくない?
イメージには何故か声までついてきた。
半笑いだった。
実にムカついた。
あいつがあんなことを言うから変に意識してしまうのだ。束縛の強いカレシじゃあるまいし、友達に別の友達ができたって自分が嫌がることは断じてない。
琴音は勢いよく首を振って、
「――翠園寺さんに聞くといいよ。ネイチャーアクアリウムが専門なら、水景の作り方は詳しいはずだから」
「そっか。じゃあ、お話のネタに取っておこうっと」
と、そのときだった。
石の陰から、水槽の主がぬらりと姿を現した。
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