第17話 こんなに近くにいらっしゃったなんて
「ここに来るってことは、翠園寺さんもアクアリウムやるの?」
「ええ」
翠園寺莉緒の答えはたった一語のシンプルなものだった。
滑らかに目を細め、唇の端をわずかに持ち上げる莉緒。学校でもよく見せる仕草だ。この清楚な微笑みにノックアウトされる男子は後を絶たず、上品な佇まいに息を呑む女子は数知れないという。
後者にはもちろん小清水も含まれている。
ほんとに育ちがいいんだなあ、などという小清水の感心に気づくでもなく、莉緒はさらに言葉を続ける。
「肥料を切らしてしまったんです。いつもは通信販売で取り寄せるのですが、すぐに欲しかったもので。……ついでに生体の品揃えも確かめていこうかな、と」
「なるほど~」
まさか同じクラスに師匠候補がいたとはこれっぽっちも知らなかった小清水は、とりあえず相槌を打つくらいしか頭が回らない。
それは琴音と千尋にしてもあまり違わないようで、二人は「水槽やってる女子って実在したんだな」などと囁きあっている。思い切り自分たちのことを棚に上げているのが気にかかる。
莉緒の視線が、二人と小清水との間を往復した。
「小清水さん、そちらのお二人は?」
「あ、紹介するね!」
小清水はくるりと身を翻して二人の隣に立ち、
「隣のクラスの巳堂琴音さんと、天河千尋さん。わたしに水槽のこといろいろ教えてくれてるの」
隣のクラス、という言葉に莉緒は反応した。
「ああ……それでは、最近できたお友達というのは――」
「うん。巳堂さんと天河さんのことだよ」
「そうでしたか。アクアリウムにお詳しい方たちということなら、わたくしもぜひお話を伺いたいですね」
すると、待ち構えていたように、千尋がさっと一歩前に出た。
「いま紹介された天河のほうだよ。翠園寺さんってB組の委員長っしょ? 噂には聞いてるよー」
白い歯を見せて笑い、ぐいぐいと切り込むように握手を求めてゆく千尋。小清水の脳内に強烈なデジャヴがよぎる。
知り合ってからまだ数日程度ではあるが、千尋の人当たりの良さは身をもって経験済みだ。
翠園寺家が市内有数の名家であることは公然の事実だし、小清水に言わせれば莉緒自身のオーラだって半端ではないものがある。にもかかわらず、千尋が気後れする様子は微塵もなかった。
「よろしくお願い致します、天河さん」
莉緒もさるもの。千尋の押しの強さに戸惑うことなく握手に応じる。
もっとも――小清水の見たところ、莉緒のペースはまったく普段どおりというわけではない。
こころなしか、今の莉緒は、クラスで堂々と振る舞っているときよりも気持ちが弾んでいるように見える。
「同じ趣味を語り合える方がこんなに近くにいらっしゃったなんて、わたくしまったく存じ上げませんでしたわ!」
「そりゃーあたしもだよ。男が多い界隈だし。女子でアクアの話ができるのなんてコトぐらいだと思ってた」
「コトさん……というのは、そちらの?」
「そうそう、こちらの」
そこで千尋は振り返って、
「――ほれコト」
「……言われなくてもわかってる」
口では憮然と返しつつも、琴音の顔にはどこか安堵が滲んでいる。
――やっぱり、得意じゃないのかな。人と会うの。
この何日かの付き合いの中で、小清水は薄々ながらも、本来の琴音は一匹狼タイプなのではないかと感じていた。千尋が廊下などで別の友達と喋っているところはよく見かける一方で、琴音が誰かと仲よさそうにしている場面はついぞ目にしたことがない。例外はただ二人――千尋と、自分だけだ。
昔からの縁だという千尋はわかる。
では、自分はどうか。
アクアショップで我知らず迷惑をかけそうになっていた自分に、琴音はあちらから声をかけてくれた。
――わたし、そんなに危なっかしく見えたのかなあ。
――見えたんだろうなあ……。
琴音が孤独を尊ぶ一匹狼であるという見立ては、正しいのかもしれないし、単なる早とちりなのかもしれない。しかし、これだけは確実なこととして断言できる。
琴音は優しい。
そんな人でなければ、声をかけてくれることも、水槽について丁寧に教えてくれることもしなかっただろうから。
そして、そうだとするならば。
――いつまでも甘えてちゃダメだよね。
「A組の巳堂琴音。よろしく」
小清水の懊悩をよそに、琴音は莉緒へと手を差し出していた。
「肥料を探してたってことは、水草水槽?」
いきなり水槽の話題に持って行くあたりがさすがだ。
莉緒はこくりと頷いて、
「60cmレギュラーでネイチャーアクアリウムを嗜んでいます」
――ネイチャーアクア?
初めて耳にする言葉だった。おそらくアクアリウムのジャンルの名前なのだろうとは想像できるが、具体的にどういうものなのかはよくわからない。
二人の話の腰を折るのも悪い。
小清水は千尋のそばに寄り、くいっと袖を引っ張って小声で尋ねる。
「……天河さん。ネイチャーアクアって?」
「……ひらたく言や、水草中心のレイアウト水槽のことだね。いかにも『自然』って感じの、インスタ映えしそうなやつ」
納得。たしかに莉緒のイメージに合う。
ところが、琴音はどうやら引っかかりを覚えたらしく、
「60?」
ふうん、と意外そうに首を傾げる。
「150とか180で豪勢にやってるんじゃないんだ」
「そんな、滅相もない。翠園寺の娘とはいっても、わたくし自身が使えるお金はそんなに多くないんです。たぶん皆さんとあまり変わらないと思いますよ」
莉緒が眉尻を下げて笑った。
「自立心を養えという我が家の教育方針でして。今年からアルバイトも許されましたので、最初の定期テストの成績がよければ探してみようと考えているくらいです」
「うちの高校、バイトしていいんだっけ?」
「生徒手帳で調べました。
「……ふむ」
琴音は真剣な面持ちを浮かべて腕を組む。
「私も検討するかな。なにかとお金かかる趣味だし」
「では、そのときになったら相談させていただいて構いませんか? お仕事の情報も一人より二人のほうが集めやすいでしょうし」
正直に申し上げて、世間のことには自信がないもので――そう吐露して莉緒は両掌を合わせる。
同好の士に出会えたことがよほど嬉しいのか、言っている内容とは裏腹に、テンションの高さが仕草から滲み出ている気がする。
「いいよ」
琴音が頷く。
どうやら独りを苦にしない性格ではあっても、人付き合いを忌避しているわけではないようだ。あるいは初対面が苦手なだけなのかもしれない。
「私も水草レイアウト勉強したいし。都合いいとき話そう」
「はい、ぜひ!」
――うん。
小清水はひそかに確信して頬を緩ませる。
やっぱり、巳堂さんは優しい。
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